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私は「いろんな価値観があるという価値観」を選んだ

中学の卒業アルバムの余白のページに書かれた3年の担任の先生からのメッセージが、はがそうとしてもびりっと汚く破れて残っているシールみたいに、心にこびりついている。

「世の中にはいろんな考え方をする人がいるということを、
学んでいってくださいね。」

思いっきり、ダメ出しされたと思った。
「あなたは、世の中にいろんな考え方をする人がいるっていうことがわかっていませんね」って。

立っているところが揺らいだ気がした。というか、ぐるんって、水平を一瞬失ったような?ショックだった。だって、そんなこと一度も言われなかったから。大人になった今思い返すと、その先生は、芯は強いのだけれど少し優しすぎるというか気が弱いというか。納得いかない顔をして息を吸って何か言いかけても、いつも飲み込んでしまう。そんなタイプの、たぶんそのころアラサーの女性だった。

優しいから、確かメッセージ前半にはいいことを書いてくれていたんだと思う。「しっかり意見が言えるのはいいことです」みたいな。だけど、私にはそこに続いた「自分の意見が世界のすべてだと思ったらいけないよ」という意味の部分だけがグサリと刺さった。
(だから、メッセージは正確には「世の中には、いろんな考え方をする人がいるということ、学んでいってくださいね」だった。)

私のことそんなふうに思ってたの? だったらもっと早く言ってよ…
ダメだと思ってるのに放置しておいて、最後に爆弾を落として去るのは、ちょっとひどいんじゃない?

でも同時に、もっともだと思った。そうだよね、ほかの人の違う考えは聞いたほうがいい。
そこは、不思議なほどとても素直に受け入れた。

そしてそのとき、「私は何も知らない。もっと世の中のことを知らなければいけない。」という想いが心に根を張った。

          ◇     ◆     ◇
ただ、私は自分の意見に自信があって押し付けていたわけではない。
あったのは、「人に迷惑をかけない」、「間違わない」ことに重く価値をおく教育方針の親から譲り受けた、失敗を恐れる感覚。
そこに、生まれ持ったやけに強い正義感とむやみに強い競争心に、譲れない美意識、そして未熟さゆえの知識の足りなさと狭い視野、さらに対応力のなさが作用して出てきた反応みたいなものだ。

学校って何かゴールを設定されることが多い。
「ゴールに到達できなかったら大変(間違ってはいけない)」→「あの人の言っている意見だとそのゴールに到達できないから、この場を救わなくては(了見の狭さと奇妙な正義感)」で、ゴールに到達する別のルートの可能性に気づかずに、強い調子で自分の思うベストなルートを強く提案してしまっていただけだった。

でも、そうか。それは単なる「自分が思うベストなルート」なだけなのか。ほかにいいルートがあるかもしれないなら、人に聞くほうがいい。私一人の浅知恵なんて、たかが知れている。ほんとにそう。

そう気づいてからは、「私はこう思う」と「私は」をつけて、「これは自分の考え」と限定するようになった。「これがベストだ」と言っているのではない。「あなたはどう思う?」という意味をこめて。元来、知りたがりだから、しつこく人の考えを聞くようになった。

そうは言っても、まだまだ未熟で、負けん気の強さにより「私の意見はあなたの意見とは違う」ということを強く言ってしまって、その人の考えを認めないようになってしまったことも、たくさんたくさんたくさん…あると思う。相変わらず、「間違ったら大変!」が強すぎて、自分の信じる美意識に突き進んでしまったことも。それは本当に申し訳なく思う。今でも修行中。

          ◇     ◆     ◇
それにしても、たった今気づいて驚いている。卒業してそれっきり、年賀状のやりとりすらなく全然仲良しじゃなかった先生の捨てゼリフが根を伸ばし、芽吹いて太い幹になり枝を張り葉を茂らせて、今の私に育っている。

「世の中を知らなければ!」という強い気持ちが、世界を飛び回ってニュースをレポートしている人への憧れになった。マスコミ学系に進学して、日本の外に出るために英語を話せるようになりたいと英語の勉強を続けた。
多くの日本人が知らないいろんな世界を見て、知って、別の世の中で起こっていること、違った見方、つまりは違う価値観を伝えたいと思った。
私の大きなテーマって、「多様性」だったのか! 
就職活動のときにこうしてちゃんと自己分析して言語化できていたら、今ごろ大きなメディアにいたかもしれない。

ツメが甘くて勉強もまったく足りなかったから、夢が叶ったとは言いづらい。でもライターになって、どんどん新しく違うテーマに接し、いろんな人に取材して世界が広げられる意味では、希望通りの仕事に就くことができた。

取材をしていると、いろんな価値観の人に出逢う。みんなそれぞれ素晴らしい。

都心のタワーマンションで最新のアイテムに囲まれて暮らし、分刻みの仕事、社交にと飛び回っているビジネスの成功者のエネルギッシュな生きざまに憧れる。でも、地方の古い家で自然に囲まれたスローライフも、とても素敵だと思う。

質問に対して、雑誌に載せられないことばかりだけれど、それくらい正直に本音を話してくれた若い女優さんの誠実さに、心を打たれる。けれども、こちらが求めているノリを瞬時に察知し、ちょっぴりウソを盛って面白く記事用の回答をしてくれる芸人さんに、さすがだと脱帽する。

余計なもののない、すっきり片付いた部屋は気持ちがいいなと思う。一方で、好きなものをぎっしり詰め込んだごちゃごちゃしてカオスな部屋も、こだわり満載でかっこいい。

テレビのイメージ通り、にぎやかに明るく、こちらを楽しませながらインタビューに答えてくれたコンビのボケ担当は人としてもファンになった。だけど、過密スケジュールのなか、エネルギーを無駄使いしないように淡々と静かにインタビューに答えた後、撮影になったらハイテンションでポーズをとってくれたツッコミ役にも、これが彼のプロとしてのあり方かと感心した。

正反対の価値観どちらも、手のひらを返すように「いいな」と思う。たくさんの価値観に触れ、「そういう考え方もあるのか」と、目の前にポンポンとドアが開くように世界が広がる。そして、「ほかのドアの向こうはどんなかな?」と思う。

素敵な生き方や暮らしをたくさん見せてもらって、世界が広がるほど、「じゃあ私は?」と、自分がどこでどんな生き方をしたいのかがわからないでいた。

周りの人は「家族(子ども)をもつ」「田舎で暮らす」「配偶者の転勤についていく」「マイホームを購入する」というふうに生きる場所を決めて、結婚していった。私はなかなかその相手に出逢えずにいた。

そして、あるとき気づいた。これは私がひとつの価値観を選び取れないってことなんじゃないかと。
そんなふうにいろんな価値観の中で浮遊している私を選ぶ人もいなかったわけだけれど。

          ◇     ◆     ◇
こういう感覚を共有できる相手があまりいなくて、徐々に自分は一匹狼でいくんだなと思うようになっていった。
それを受け入れたころ、続けていた英語スクールでだいぶ話せるようになってきて、思った。英語の先生たちと話すとラクだ。「どう思う?」と聞かれて「私はこう思う」と言うと、「へぇそうなんだ、僕は違ってこう思う」といった会話がごく自然だった。違うことを恐れる必要がなく、そこから「どうしてそう思うの?」と話を深められることが楽しかった。

「英語は主語がないと成り立たない。日本語には主語がなくても話せる」とよく言われる。
私が日本語で「私は」と話すことについて、あるとき、「『私』が多いのは、自分を主張しすぎる自己中心的な人」と分析されたことがあった。相手を尊重するからこそ「私」を区別しているだけなのに。

多くの話し合いの主語は隠れた「みんな」で、同じ意見だと確認するためのものになりがちな気がする。口火を切った誰かの「これがいちばん!(面白い、正しい、新しい…)」という意見に大きな文句がなければ、「そうだよね」と調子を揃える。違う意見を強く持つ人がいたら、先に出た意見を否定して「あなたは間違ってる」と論破する。
他愛ないおしゃべりをしているだけでも、その場の会話を主導する話者のトップがいて、その場の結論めいた空気にみんなが同調していく。あるいは、両者が相手を言い負かそうとし合って険悪なムードになる。そんなことが多い。
「私とあなたの考えは違う」「そんな選択肢もあるのね」「そこは同じだけどここは違う」という会話がもっとできたらいいのになぁ。。。

疲れてしまっていた私を、「私(I)」がある言語で自分を表現するコミュニケーションは少し自由にしてくれた。

          ◇     ◆     ◇
今の夫と親しくなって、ウェールズのインターナショナルスクール卒業だと知った。日本を含むアジアやヨーロッパ、南北アメリカ、アフリカ、オセアニア各国からの生徒が集まる、「世界の縮小版」な環境だそうだ。自然に友だちの出身国のさまざまな背景や問題などを知り、世界にはさまざまな価値観があることを肌で感じ学ぶ。
学校では、熱帯雨林保全や貧困国の親がいない子どもたちのための募金、当時内戦状態だったユーゴスラビア難民の支援、LGBT差別反対のアピールなど、生徒たちがそれぞれ問題意識をもって自主的に活動していたという。

西欧で生まれ育った夫は、東欧の政治経済を勉強して、元カノのお父さんが働くアフリカを訪ねたり、友達とブラジルで数か月暮らしたりして、1年のつもりで来た日本でそのまま暮らしている。そんな彼から聞く話は私にはとても刺激的で、もっと知ろうとして質問攻めの私を夫も嫌がることなく受け入れてくれた。

浮遊していた私は思いがけず彼と結婚した。それは、ひとつの価値観を選んで着地したというよりも、「世界にはいろんな価値観がある」という価値観を共有できるひとと一緒に、浮遊を続けていくことを決めた感じだ。

フワフワと頼りなく危なっかしくも見えるだろうと思う。東欧経済を学んだ彼が「今でも本気で共産主義をしている国を見たい」と言うので、行けるなら私も見たいと思ってふたりで平壌にも行った。
「自分の世界はここだけです」とひとところで小さく暮らせば、あれこれ考えて迷わないから心が平らかだろうなって思ったりもする。
でも、心の平穏さを求める気持ち以上に、知らないことへの恐怖のほうが強烈なのだ。

正解をひとつ決めて、「これだけが正しい!」となるのは、違う気がする。みんなが一つの価値観に同調しているのを見ると、「本当にそうなのかな?」と一歩引いてしまう。みんなが賞賛しているものそれ自体は素晴らしくても、「いくつもある価値の中のひとつだよね」って。ぜんぶ知った気になるのが怖い。
それだけが正解だと決めるとほかを排除することになる。その「正しくないものは排除する」気持ちが差別や争いにつながっていくような気もする。

「ただ唯一の正解」を語る人を見ると、そわそわ居心地が悪い。そのときそのときで何かしらの結論が出たとしても、「これで本当にいいのかな?」って、みんなで考え続けていくことが大切なんじゃないかなと思っている。

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