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エイゴspeakerへの道 序章

「それなりに話せるけれど中途ハンパ」なエイゴspeaker。
英語の話力はおそらく大人びた小学生程度。
リスニングがもっと弱く、字幕なしで映画やドラマは理解できないし、
話についていけなくて英語話者数人の会話に入っていけない。
それでも、英語話者となんとかコミュニケーションをとって家族になり、
一緒に生活している私の英語ウヨキョクセツ。


英語をつかうようになっていちばん重要に思うのは、「英語(言語)はツール」ということです。コミュニケーションに使う道具。だから、「言いたい(伝えたい、話したい)」「読みたい(知りたい)」のモチベーションがあってこそ、身につくものだと思います。逆に言えば、それがなければ身につけるのは難しいし、身につかなくても自然なこと。(むしろ身につける必要がないのかも…)
それが意外と認識されていない気がします。
 
 

私は、団塊世代の日本人の両親の間に日本で生まれ育った“純ジャパ”。歳の続いた三姉妹でいろんな意味で余裕がなかったのでしょう、映画(洋画)にも洋楽にもほとんど触れずに育って外国や外国文化への接点がなく、英語にも興味を持たずに中学生になりました。
 
高校時代までの私を知っている人たちは、今の私を想像しなかったと思います。映画や洋楽が好きだった子たちはどこか独特のオーラがあって、日本のアイドルしか知らない私たち大多数とは話が合わないから、おそらくちょっと線を引いていた気がする。
私にはそんな子たちが大人びて見えて、どこか憧れながらもやっぱり“世界が違う”感じがあって、その世界に近づけなかった。
 
今思うと、彼らの視線は日本を通り抜けて、世界に向けられていたのでしょう。私の瞳には海外は映っていませんでした。

 
私にひとつだけアドバンテージがあったとすれば、声楽を専攻した母から「外国語は発音が大切」と聞かされていたこと。そのため英語の発音がカタカナにはならないようにしていて、大学の第二外国語のスペイン語の授業でも、当たり前に先生の発音を真似してクラスをざわつかせました。(本人は無自覚。本格的な発音をするのが気恥ずかしい大多数の中で、ちゃんとしたリズム・発音でテキストを読んだので目立ったと、だいぶ後になって友人に聞きました)
 
 
中学校までは優等生で英語の授業にもついていっていましたが、ほかの教科と同じく、覚えることが中心の“勉強”で、ゲーム感覚で問題を解いてクリアしていただけ。クラスに数人いた英会話や英語塾に通っていた子たちには及ばない、「英語では二番手」と感じていました。

でも中2のとき、主な動詞の過去形・過去完了形がaから羅列されたプリントが配られ、「全部覚えてくること」という夏休みの宿題は優等生として完璧にこなし、「am-was-been,is-was-been,are-were-been,become-became-become,begin-began-begun,catch-caught-caught…」と今でも覚えていて、役に立っています。
 
 
ところが。高校の授業からまったくついていけなくなりました。グラマー、リーディング、ライティングの授業があったような気がしますが、そのどれも。予習も復習も怠り、勉強が足りなかったからなのは明白です。「SVO」などと言われても「何のことだろう?」と他人事のようになり、さじを投げた状態で、当然のように大学受験はうまくいかず、浪人。でもそれがターニングポイントになりました。
 
予備校で改めて文法を習ったら「SVO、そういうことだったのか!」と英語がわかるようになり、必ず一定の得点を見込める得意科目になりました。
そして大学時代から「英語を使って世界で活躍するかっこいい女性」への憧れを強くしたのでした。
 
 
英語を話せるようになりたい、そして世界へ飛び出したいという気持ちを、早くも大学1年生の春休みに行動に移し、3週間、米国オハイオ州にホームステイしました。今でも覚えているのは、トランジットの空港で初めて黒人の方とすれ違って驚いたこと。1994年、日本で黒人さんを見ることがまだ少なかった時代でした。
初海外、自分でお金を払って一人旅。この行動力発揮は、我ながらGood job!だったと思います。
 
そして、英語が全然話せないことを痛感。ホストファミリーたちといい関係を築いて帰ってきたものの、言いたいことはほとんど伝えらえませんでした。


その思いがあって、社会人になってすぐ英会話教室に通いました。行動してよかったと思う一方で、大手英会話スクールではなく、選んだのは街の小さな英会話教室。カリキュラムの面ではこの選択が良かったのかどうかは、よくわかりません。
でも、このときの1人のクラスメイトの姿勢から、「間違ってもいいから、とにかく伝えようとすることが大事なんだ!」と学んだことは大きな収穫でした。
 
そのスクールを辞めたことはあまり記憶になく…おそらくなじんだ先生が辞めるときに、思ったような効果が出ていなかったから自分もいったん辞めたような気がします。
 

そして数年後、たまたま車内広告で見た英語スクールのメソッドが、一気にエイゴspeakerへの道を拓いたのでした。訓練としての英語学習が私にはとても効果的だったのです。

文法のベースがあって、だからがんばって聞けば何を言っているかわかり、先生のリピートで発話を繰り返していったら、英語のパターンとリズムが体に入ってきた。そしてだんだんと、自分で言いたいことを文章にして口から出すことができるようになっていきました。
 

語弊をおそれずに言えば、これが私の人生を変えたのだと思います。大げさな気もしますが、ここで夫との出会いがあったことも含めて、大きな転機になったことは間違いありません。


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