見出し画像

魂の抑制と解放。『天使にラブソングを』

・自分を愛すること、それは神を喜ばすこと。

先週『天使にラブソングを』という映画が金曜ロードショーで放映された。

その放送は観ていなくて、昔の曖昧な記憶から話すが、

ざっくり言うと、

マフィアから逃げ出した黒人の歌手が、ある貧しい街の修道院に身を潜め、巻き込み騒動を起こしながらも、歌を通じてその修道院に居るシスター、町の住人などの周りの人たちと心を通じさせる心温まるコメディー映画だ。

主人公の黒人シンガーは品がなく、シスターらしくない振る舞いなどを行い周囲から疎まれる。

しかし、彼女は徐々に人から愛されるようになるのだ。

なぜか。

彼女は彼女らしく振舞い、自分自身を愛しているからだ。

それは、神に仕えるシスターにも通じる姿勢だ。

もともと、キリスト教の本質は『自分を愛すること』であるからだ。

中世やそれ以前のキリスト教は、神を信じ、神に仕えることを基本姿勢としていた。

しかし近代になり、神とは自分の中にあるものとした。

そしてそれは、自分を肯定し、自分を愛することと同義だ。

その姿勢が神を喜ばせることにもなるからだ。

・よろこびの機械

レイ・ブラッドベリの「よろこびの機械」というSF小説がある。

そこでは、人は神が造ったよろこびの機械だと述べている。

なぜか、

神は完璧な存在である。

完璧が故、失敗がない。

失敗がない故、喜びがない。

神は喜ぶことが出来ないのだ。

そこで神は、人を造った。

人は愚かで、完ぺきではない。

目に見えないものを信じる。

失敗をするから、成功があり、

苦しむから、喜びがある

人は喜ぶことこそが、存在意義であり、

神に対して出来る最大限の感謝の姿勢なのである。

・汝、自らを愛せ。

仏教(宗教)の般若心境にこのような一文が存在する。

「ぎゃーてぃーぎゃーてぃーはーらーぎゃーてー」

意訳:往き往き、彼岸に往けるもの、その者こそ悟りである。幸あれかし。

さらに意訳すると、:道極めしもの、幸あれ!

これは悟りを開くために日々修行する僧(探究者)に対して、「幸せになれ!」という願い、または真理が込められている言葉だ。

なにかしらの道を極めることはとてつもなく辛く、困難だ。

それに挑戦するということは、当然失敗の可能性も含んでいる。

しかし、だからといって悲観するんじゃない。

挑戦するから、失敗があり、成功があるんだという心強く、熱いメッセージなのだ。

キリスト教、仏教、その他宗教も本質は自らを愛することなんだ。

修道院やそこで修行するシスターは、あらゆることを抑制されている。

でも、抑制は神の信仰に対して本質ではない。

自分を愛すること、解放こそ本質なんだ。

自分を大切にしないと、他者を大事に思えない。

まずは自分を肯定することが世界の始まりだ。

自己肯定感は、他者から貰うものではなく、自分で湧き出すものだとここ最近、常々考える。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?