あの娘のことがウザいと言われたんです
自己紹介にも以前書いたが、私は中学受験を経験している。
高校や大学受験ならいざ知らず、中学受験は学習塾の存在なしに立ち向かえる類の試験ではない。だからこそ、合格を手繰り寄せるのは何より親の狂気などと言われることもあるのだが、その話はひとまずおこう。
そんなわけで、私も中学受験のために、学習塾に通っていた。
私の住んでいたのは大きな街ではなかった。
だから中学受験をする同級生は少なかった。
そのため街には学習塾も少なく、その数少ない受験をする同級生のうち一名と、塾がかぶったことはまったく不思議ではなかった。
その一名とは、同じクラスの女の子だった。
ここではその子の名を仮に、加耶としておこう。
私と加耶は、必然的にそれなりに仲良くなった。
と言っても、学校でもときどき一緒に喋る程度のことだった。
私が彼女のことを気づけば目で追っていたみたいなこともなく、ただ「接点の多い同級生」として、私は彼女のことを見ていた。
だから、受験も終わった2月の半ば、教室で佇んでいた私に彼女が「ちょっと」と小声で話かけ、そして外に出るようジェスチャーをした際は何事か、と思った。
べつに何かを期待したわけではない。
しかし、いまだかつてそのようなことはなく、何らか尋常ならざる事態が起こっている真っ最中であるらしいという実感だけがあった。
私は、窓もなく寒い2月の廊下に連れ出されていた。
彼女は少しもじもじしたりといったこともなく、単刀直入に、「ねえ」と切り出した。
「ねえ、真夏ちゃんってマジでウザくない?」
真夏は、私たちとは別の小学校に通う、塾でのクラスメイトだった。
そして記憶にはなかったが、どうやら私と真夏は幼稚園が同じだったらしく、その「切り口」から私は彼女とも仲が良かった。
上述の通り、私は何かを期待していたわけではなかった。
しかし、まさか話の中身が、塾のクラスメイトの愚痴とは思わなかった。
加耶はその後も止まらなかったが、要約すると、市外のとある中学校にも受からなかったくせに、なんだかえらそうでウザい、ということだった。
その会話から、どうやらその中学を加耶と真夏が受け、そして加耶だけが受かったことを私はその愚痴から察した。
ただの小学生男子だった私には、その場でなにか気の利いたことを言えるわけがなかった。
だから「ウザいかあ」みたいな、歯切れの悪い鸚鵡返ししかできなかった。
「そう、ウザいの!」と加耶は言った。
数日後のことだ。
その日も、私は塾の教室にいた。
その頃塾では、受験のときのクラスのまま、来るべき中学での勉強の予習をしていた。といっても、英単語のスペルとか、マイナスを含んだ加算減算といったレベルのものだった。
その休憩時間、教室でぽけーっとしていると、私は真夏から「ねえ、ちょっと来て」と教室の後方に来るよう手招きされた。
なんかこういうこと最近もあったな。
私は歩きながら、のん気にそんなことを考えていた。
教室後方の窓際まで来た。
教室の中央では、男子たちが大声で騒いでいた。
「あのさ」と真夏は言い、少し逡巡するような態度を見せた。
そして彼女は意を決したように「加耶ってさ、ウザくない?」と切り出した。
おいおい、そう来るか……。
私は、いまだかつて経験したことのなかった板挟み状態に、ただ呆然とするしかなかった。
真夏曰く、加耶は、市外のとある中学校に合格したぐらいで調子に乗って、自分を下に見ているようでウザいらしかった。
その中学校は、たしかに私たちの住む地域では中堅層の女子校であり、偏差値から言ってもたいして「難しい」部類には入らない学校だった。
加耶の件からは数日が経っていた。
しかし、依然として私は小学生男子であり、この場でもやはり、気の利いたことを言えるはずがなかった。
だから「ウザいかあ」みたいな、歯切れの悪い鸚鵡返ししかできなかった。
「そう、ウザいんだよ!」と真夏は言った。
さて、その数秒後である。
真夏は加耶を見かけ、「加耶!」と声をかけた。
当然、私は「一触即発か」と身構えた。
女性同士の取っ組み合いの喧嘩は、ドラマなどで複数回見ていた。
目の前でそれが始まるのかと、内心ものすごく冷や冷やしていた。
しかし真夏はあっさりとした声音で「トイレ行こー」と言ったのだった。
そして加耶も「うん!」と受け合った。
二人はそのまま、仲睦まじそうに教室から出て行った。
残された私は、ただ「女子ムズ……」と心の中で独りごちる他なかった。
このエピソードは私の記憶に強烈なものとして刻まれることとなった。
私の人間不信や女性不信の原因の全てだとか、主要因だと言う気はさらさらないが、少なからぬ影響は与えているように思う。
もちろん今では、そういう「表立っては仲良い」ことは、べつに女子特有のものではなく、男性同士でも普通にあることを知っている。
特に会社組織など、その集合体といってもいい。
しかし、小学生男子にとってはまぎれもない劇薬だった。
なぜ彼女らは、私にその話をしたのか。
それは、私が彼女らにとって、その話をしやすいポジションにいたというシンプルな理由に過ぎないのだろう。
加耶からすれば、私は同じ小学校に通いかつ塾でもクラスメイトである唯一の人物だった。
真夏からすれば、私は加耶と同じ小学校に通う、唯一のクラスメイトだった。
つまり、二人の結節点に、私が偶然いたというだけの話だ。
「それ、お前のこと好きだったんじゃねえの?」
大学時代、サークルの同期にこのエピソードを話したとき、恋人ができたことがないという彼はそう言った。
それだけはないだろうなあ、と私は思った。
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