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自己啓発書でも読んだほうがいいのか?

私のいる会社では、半期に一度、自己評価と振り返りという名目で上司との面談(1 on 1)がある。

以前の面談の際、当時の上司から「今後、どんな風になりたい? 来年とか、自分がどんなビジネスをやっていたいか、想像してみて」と言われた。

正直、「好きな人の好きな人になりたい」以外は思い浮かばなかったが、そういう答えが期待されていないことは流石に分かっているので、「ちょっと思いつかないです、すみません」と返した。


上記のエピソードが雄弁に物語っているように、私にはあまりビジネスだとかそういうものへの熱意がない。

働き始めて数年が経ち、もう「いい年」になっているにもかかわらず――。

その証拠に、ここに書く仕事の話はいつも、飲み会でどういう話をすべきか困ったとか、こういうことを言われて困惑したとかそんな話ばかりで、ライフハックなどについて書けたためしがない。


そもそも私は「ビジネス」という言葉が嫌いなのだ。

あまりにもその意味がころころ変わるからだ。

しかし、私の好き嫌いには当然お構いなく、多くの人がこの言葉を使う。

だが「ビジネスにつながる」と言うとき、それがどのレベルで言われているのか、私にはいまいち掴みきれないのだ。

一つの案件として受注したい、ということなのか。

部署を新設して取り組むべき事業、ということなのか。

一つの案件を足がかりに「得意先」になってもらえる、ということなのか。

それが、私はいまいちよくわからない。


そんなものは文脈依存なんだからよく話を聞いていれば分かるだろ、と言われて終わることなのかもしれない。

しかし、まあ正直言うと、面倒くさいのだ。

だから私の中で「ビジネス」という言葉は、なんか使っておくと雰囲気が出るぐらいのものになっている。その意味ではDXとかAIとかに近い。


実際、私自身も「ビジネス」と口にするとき、ちょっとだけ気持ち良くなってしまう。

なんだか自分が、いっぱしの資本家になった気分がするのだ。

経営者目線を持てとはこういうことか、と――絶対に「こういうこと」ではないのだが――思う。

だが、それでもやはり「ビジネス」という言葉は、そんなに好きじゃない。

イーロン・マスクやジェフ・ベゾスのことはよく分からない。


私は「ビジネス」ってやつがあまり好きじゃないが、世のトレンドがそうでないことも認識している。

一つのSNSというサンプルとして扱うには偏った集団に基づく管見の限りでは、起業して「デカいことするぜ!」みたいな人が溢れている。

何かにつけて「学びがあった!」とか「刺激があった!」とか大仰な言葉を使う様子は私の趣味にあまり合わないなと思うが、そういう反応を示すやつが人付き合いにあたって好印象を受けやすいのは、まあ間違いないだろう。


積極的に与しなくてもよいではないか。

これは、所詮そう切って捨てられる問題なのかもしれない。

しかしこうもトレンドから距離があるように感じられると、自分もそちら側に染まらないといけないのではないか、と不安になるから不思議だ。

そうでないと「食べていけなくなる」のではないか。

そうでないと社会から排外されてしまうのではないか。

そんな「ぼんやりとした(しかしどこか切迫した)不安」が、私の心を蝕んでいく。


では、「変わろうとする」として、実際的に何をすればよいのだろう?

電車内でよく広告を見かけるようなビジネス書を読めばいいのだろうか。

ライフハック本、自己啓発書を読み漁ればいいのだろうか。

NewsPicks Publishingの書籍を読めばいいのだろうか。

あるいは、西野亮廣のオンラインサロンにでも入ればいいのだろうか。

自分で書いておいてなんだが、どれも気が進まなくてうんざりする。


決して、ビジネス用語をこねくり回したいわけでも、胡散臭いコンサルタントになりたいわけでもない。

ただ、先述の「ぼんやりとした不安」が取り除ければそれで良いのだ。

それこそがまさにインフルエンサー・ビジネスの付け入る隙だと言われようと――私はそれをどうにかしたいという欲望に駆られそうになって仕方ないのだ。


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