女の子から下の名前で呼ばれ、緊張で腹を下した

大学の同じゼミの同期に、可愛らしい女の子がいた。

私自身、彼女とすこぶる仲が良かったわけではなかったが、かといって険悪な関係なわけでもなかった。

ほとほどに交流のある、ゼミの同期。

それが私と、大学一年生の時分から付き合う彼氏のいる彼女との関係だった。

ここでは彼女のことを、梶浦さんという仮名で呼ぶことにしよう。


ある日の朝、大学に向かうバスで私と梶浦さんは偶然隣同士の席になった。

バスは混み合っていて、私たちの周りにも、たくさんの乗客がいた。

「1限あるの?」と彼女は私に訊ねてきた。

「うん。梶浦さんも?」

「そう。え、授業なに?」

「表象文化論Ⅱ」

「え、一緒。そういえばさ、ゼミの輪読のやつやった?」

「いや、まだかな。そろそろやんなきゃな」

「まずいな。それ」

彼女とは、大学に着くまで、そんな月並みな話をした。


バスが大学の停留所に着いた。

私たちは料金を払ってバスを降り、同じ教室に向かって歩き出した。

「ねえ――」と梶浦さんは言った。

「下の名前なんなん?」

雄太だ、と――これもこの記事用の仮名だが――私は答えた。

「じゃあ、これからは雄太くんって呼ぶね」と彼女は言った。

サークルでもゼミでも苗字で呼ばれることばかりだったし、名前で呼び合うほど親密な関係の異性もいなかったため、私は少しドギマギした。

梶浦さんは「授業の前に自販機でお茶を買うから先に行ってて」と言って、私とは別れた。


私は、言われた通り先に教室に入り、席について筆箱などを出しながら考えていた。

あれは果たしてなんだったのか――。

いや、大した意味などないのだろう。

彼女が、男女問わず、関係性問わず下の名前で呼び合う文化圏の人間であり、私もその法則に当てはめられただけであり、そんな過剰な意味を見出しても仕方がない。

後から教室に入ってきた彼女は、別の友人を見つけたのか、私とはまったく離れた席に座った。

まあ、そんなものだ――と私は思った。

こんなことは、大学生活においてはなんてことないワンシーンに過ぎない。


しかし、そうは言っても、私はひどく緊張していたのだろう。

推量形でそう書く理由は二つある。

一つは、上述の通り、私は努めてそれを意識しないようにしていたし、実際に当時の私は、それがないものだと思いこんでいたから。

もう一つは、その内面に反して身体は過剰なまでに正直だったから。

というのも、「雄太くんって呼ぶね」という発言がどれほど関係したのか、その因果関係を解明することなど不可能だが、この授業中、私はかつてない腹痛に襲われることになったのだ。


授業が始まってまもなくして、私は上述の通り、腹痛に襲われた。

それは尋常でない痛みを伴っていて、とても90分の講義中ずっと耐えられるものではなかった。

私は早々に我慢合戦を諦め、講義を中座しトイレに向かうことにした。その際にも前屈みにならないと歩けないほどの酷さだった。

私にとって不幸だったことは、その痛みが一回の排泄では終わらなかったことだ。私はこの授業中、3回も腹痛で中座することとなった。

更に運が悪かったのは、この教室は前方にしかドアがなかったことだった。

つまり私は、梶浦さんに、授業を3回も抜け出す姿を見られたということだった。


無論、私の腹痛など彼女は知る由もない。そもそも、腹痛だとしても回数が多すぎた。

それがどうしたのだ、という意見もあるかもしれない。

そんなほどほどに交流がある程度のゼミの同期が、授業中に何度外に出たかを気にされると思うなど自意識過剰ではないのかと――。

しかし実際には、私の中座は梶浦さんにとって効果覿面のようだった。

以降、彼女はゼミで会ったときも、私に挨拶どころか、目も合わせてくれなくなった。

もしかしたら、授業中に煙草を何本も吸いに行く不真面目な学生と思われたのかもしれなかった。


同学期、私は同じ授業に出続けた。

時に同じように腹痛に襲われる日もあったが、あれほどの腹痛は後にも先にも経験がなかった。

だからやはり、あの「雄太くんって呼ぶね」で、どこか心が舞い上がっていたのだろうと結論する他ない。

しかし、その結果として、私は梶浦さんの信頼を損ね、上述の通り会話する機会も以降逸してしまうこととなった。

必然、彼女の口から「雄太くん」というその呼び名が発されることは、彼女が、そして私が卒業するまでついぞなかった。


あの日の「雄太くん」をどう供養すればよいものか。

卒業してからもう何年も経つが、私はそれをいまだに思い付けないままだ。


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