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あの日の週刊少年ジャンプごっこ

先日、近所のスーパーに行ったとき、小学生ぐらいの男の子たちが駐輪場で『僕のヒーローアカデミア』(ヒロアカ)の話をしていた。

「ワン・フォー・オールがさ――」なんて、主人公の緑谷出久(デク)とオールマイトの個性の名前を口にしていた。

ああ、男の子たちはいつの時代もジャンプ漫画に夢中なのだな、と思った。


「いつの時代も」と書いたのは、自分が小学生の頃もそうだったからだ。

ある日の休み時間、同級生の小泉がいきなり「螺旋丸!」と言いながら、なにかを握るようにした右手を私の懐に突っ込んできた。助走をつけていたから、それなりに痛かった。

「技」を撃ち終わった小泉は、「どうだ!?」みたいな顔をしていた。

小学生男子同士のなんてことないじゃれ合いだった。

小泉の不幸は、私が『NARUTO』を知らないことだった。


その頃、男の子の多くは『NARUTO』にハマっていた。

小泉の放った「螺旋丸」は、主人公のうずまきナルトが、師と仰ぐこととなる自来也から教わる水遁の術(忍術)だった。

しかし、私はそれを知らなかった。

私の住んでいた地域では『NARUTO』は週末の早朝に放送されており、そして私にはその時間帯のテレビの使用が認められていなかったのだ。

またちょうどVHSからDVDのものに買い替えたばかりだったレコーダーは父のおもちゃで、私には触ることができなかった。

私は『NARUTO』から隔絶されて過ごしていたのである。


とはいえ、私もジャンプ漫画およびジャンプアニメに触れずに生きていたわけではなかった。

夕方に放送されていた『ONE PIECE』は楽しく見ていたし、小泉とも「ゴムゴムの~」とか言って遊んでいた。

その輪の中には、松岡という男子もいた。

すでに存在する技や、まだ見ぬ妄想のゴムゴム技を使って、私たちはケラケラと笑っていた。ときに、見えない刀で三千世界もした。

それはきっと幸福な時間だった。


しかし、ある日から急に、松岡は「まだまだだね」と言ってかっこつけるようになった。

ケーブルテレビでのみ見れた『テニスの王子様』の影響だった。

彼の心はもうゴムゴム遊びなんてやる「おこちゃま」ではなかった。

だから、小泉は私に一縷の望みをかけて「螺旋丸!」と撃ったのだろう。

しかしそれは、上記の通り不発に終わった。

小泉の表情は、少し申し訳なさそうなそれに変わっていった。


これは、誰かに罪のある話ではない。

小泉には当然ないし、また私も、このことを今さら自身の親の「ダメさ」を象徴するエピソードとして糾弾に使いたいわけでもない。

ただ、誰のことも責められないというちょうど中間地点に落ちてしまった「螺旋丸!」のことが、ヒロアカで盛り上がる子供らを見て脳裏に蘇り、そしてちょっぴり悲しさを覚えたのだった。


私は、小泉の「螺旋丸!」の声が、彼が別の人に「千年殺しー」と言いながらカンチョーしている声をありありと思い出すことができた。

各音の境目が少しぼやけていて、語尾が少々間延びする傾向にある声。

まだ声変わりしていない、それでいて甲高くもない声――。


私は、あの子どもたちがずっと、あの輪の中に居たみんなが分かるヒロアカで楽しんでいてほしいな、と思った。

それが少年時代を過ぎた年長者のエゴであることは承知の上だった。

彼らはいずれ各々好きなものを見つけるだろう。

そして私たちみたいに、いずれ別れ、互いに交差することのない人生を歩むことになるのだろう。

それでもなお、私は彼らに小泉を重ね、その楽しそうな表情の消えることがないよう願ってしまったのだった。

彼らの「ワン・フォー・オール フルカウル」が、悲しい終わり方をしないように、と。


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