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愛犬『キャンディ』

その昔、「ニンテンドッグス」というニンテンドーDSのゲームがあったことをご存知だろうか。私は子供の頃、父に初めてゲームというものを買ってもらったのがその「ニンテンドッグス」だった。
ニンテンドッグスには柴犬、ダックス、チワワと3バージョンがあり、私はチワワ版をプレイしていた。そのゲーム内で1番最初に飼ったのが、白いロングコートの女の子のチワワで、その子に「キャンディ」と名付けた。
私はゲームでも現実のようにさまざまなお世話をしたり、すれ違い通信で他のお友達に出会ったり、他の犬種も飼ってみたりと非常に楽しんでいた。


時が経ち私は女子校の中学生になった。
中学生になると途端に「いじめ」というものが生まれるようになった、聞こえるように「臭い」や「ブス」などの悪口陰口を言ったり、当時ニキビが酷かった私に「それ移るの?」「キモい」「汚い」など見た目を罵ったり、走り方を揶揄ったりといった精神攻撃が続いていた。当時おとなしかった私は、何故そのようなことをするのかわからず、反発もできずに押さえ込むしかなかった。

私は引きこもりになった。

引きこもりになった私に、当時まだ存命だった父が犬を飼おうと提案してきた。
一人っ子の私に家族が増えることで、少しでも心が楽しくなると思ったのだろう
母と私はネットでペットショップと、これから家族になる子犬を探した。
すると、白いロングコートのチワワの女の子が目に止まった。まだ生まれて3ヶ月の小さなチワワの子犬だった。

私はその子を見た途端、「ああ、これはニンテンドッグスのキャンディだ、
あの子はゲームの中から会いにきてくれたのだ」と思った。

母にこの子に会いたいと言い、車ですぐさまショップに行くと、まるで本当にあのニンテンドッグスから飛び出してきたような白いチワワの子犬がいた。私はその子を絶対に家に連れて帰ると決め、その子は新しく我が家の家族の一員になった。
名前は「キャンディ」
ピンクのドッグトートバッグを買い、その中にキャンディを座らせて、バッグを膝の上に乗せて、車で家に帰った時の、あの温もりは忘れられない。

その後、キャンディは大きな病気や怪我をすることもなく、すくすくと育っていった。
途中引っ越しが2回ほどあり転々としていたが、何も問題はなく、私も一人暮らしをするようになってキャンディと離れてしまったりしたが、ペットカメラで様子はいつでも見られるようになっていた。

ある日、キャンディの体調が悪いと母から連絡があった。
何を使ってでも病院に行けと言い、私はすぐ実家に帰った
末期の腎不全と診断された。
腎不全は老犬によく起こる病気で、致死率が高い病気だ
キャンディは目も見えなくなり、私のことも忘れてしまっていて、家の中を起き上がってはウロウロしたり、ずっと寝ていたり、呼吸は常に荒く、寂しいのか苦しいのかクンクンと鳴いていたりもした。
末期なので治療法は緩和ケアしかなかった、それでも少しでもキャンディが苦しまずにいられたらと、緩和ケア用のフードを購入しよう等と話し合い、眠れずに夜鳴きをするキャンディを撫でながら寝ようとした時だった。

クンクンと夜鳴きが止まった、私はキャンディが安心して寝れたと思い、寝てしまった。
が、なぜかなかなか眠れなかった。

次の日の早朝母が大泣きで「キャンディが死んじゃったよ」と私の部屋に入ってきた

キャンディは横になり冷たくなっていた。

犬は、「死」という概念がない という話を聞いたことがある。「ああ、ちょっと疲れたなあ、少し休もう」と思いそのまま亡くなるのだそうだ
横になっているキャンディはまさに「少し休もうかな」とそのまま旅立っていったような感じだった。

2023年10月12日 キャンディは15歳で亡くなった。


生きとし生けるものはみな死ぬ、それはこの世の理であり自然なことだ。
すべては自然の神々が定めたものであり、運命である
「命」を「運ぶ」と書いて運命だ。
キャンディに会えたことも、「命を運んだ」運命。死ぬということも、「命を運ぶ」運命。

母はずっとキャンディにごめんねと言っていたが、私はキャンディに「ありがとう」と言いたい。
一緒にいた、過ごした時間全てに、出会えたことに、「ありがとう」
さようならではなく、「また会おうね」と言いたい。

私は、生まれ変わりはあると思っている
その方が、また会えると信じられるからだ。


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