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私が言語聴覚士を目指し、そして辞めた今。(6)

 特に実習生時代、新人時代は「患者の精神的な部分に偏り過ぎ。もっと冷静になれ」と言われ、手探りで【バランス】を獲得しようと努めていた。極端に冷淡になることもあり、【バランス】の難しさを感じ、悔し涙を堪えたことも多々あった。

 臨床経験を重ねるごとに、重視することが変化し【患者が笑顔になる】ことをより深めるために、例え「ぬるい」と言われるようなリハビリであっても提供し続けた。そして、根拠に欠ける【自分の感覚】というものを判断材料やリハビリプログラムに導入した。そのために常に自問自答や葛藤が増えていった。

 けれど、上司のお母様のリハビリと向き合った際に、誰よりも冷静に、誰よりも患者に寄り添い、誰よりも家族に寄り添い、誰よりも患者の可能性を信じると静かに決めた。そして、不思議と今までのような[自問自答]は消えていた。光に向かって進むだけ、自分を信じて進むだけだととてもシンプルだった。

 スタッフが、「指になかなか機械に反応しない。バイタル測定が難しい」と言っても、冷静に一本一本の指を少しずつ角度を変えながら反応を示すポイントを見つけることはできた。反応があれば、その数値は安定しており安心材料となった。免疫低下のために生じる、口の中の炎症部位からは容易に出血してしまうため、食べるリハビリ前の準備は、それはそれは丁寧に、慎重に行う必要があった。口腔ケアから口のストレッチ、マッサージ、それ以外にも、覚醒してもうらために冷たいタオルや温かいタオル、歌や上司の仕事の失敗談などを話すなど、お母様の五感を刺激しながら僅かな反応も見逃すまいと集中を研ぎ澄ませて関わらせてもらった。

 いよいよ、口から食べ物を食べる訓練の当日が来た。この瞬間は、いつもいつも非常に緊張する。脇汗をかき、私の手が震える時もあった。この時も同様に、心臓が3個体にあるのかと思うほど、体中を心拍数が鳴り響いた。けれど、不思議と冷静さが同居しており、確認ポイントや一連のリハビリの流れは非常にスムーズだった。そして、一口…。

 「………ゴクン」

想像以上にスムーズに嚥下(飲み込む)、バイタルも呼吸も安定。

「この感じ、イケる。目標設定も早々に決定できそうだ」
「いい感じだ。うん、イケる。」

そう私は心の中で呟いた。

 しかし、全身状態としては内臓が機能しておらず医師や看護師は積極的なアプローチを避け、『看取り』の話まで持ち上がった。そんな中私は、

「お母さんの体が持ち堪えてくれるなら、イケる。人が馬鹿かと笑ったとしても、食べられるようになる。イケれば、通常量の半分は食べられるようになる。この感じは。」

 そう思っていた。上司も「好きだったビールも飲める日が来るかも」と笑顔で冗談を言っていた。お母様の体の回復を信じ、日々のリハビリを淡々とこなして行った。ある医師には「ST(言語聴覚士)は焦っているんじゃないか。ストップだ」と告げられたが、もう1人の医師が「STの判断のもと本人が好きだった物を好きなように食べてもらってはどうか」と提案してくれ、結果、私のリハビリは続行することができた。あくまで、『看取り』の段階にあり「もう最期だから好きなもを食べさせてあげよう」という流れだったが、私は「いや、私のリハビリは看取りが目的じゃない。もっと食べられるようになる前進していくリハビリなんだ」と心で断言した。

 誰よりも冷静に、誰よりも患者の可能性を信じ。…そのつもりだった。

 しかし、数日後にはお母様の体はもう限界だった。臓器がほぼ機能せず身体中が浮腫み出だし、吐血もし始めた。脈拍も呼吸数も減少してきた。医師よりリハビリ終了の指示が出され[看取りケア]へ切り替わった。


(7)へ続く…