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猫とタバコと安いアパート、お前らどうせそんなのが好きなんだろ。

私ってこんな人間。

都会の片隅の安いごちゃごちゃしたアパートで拾った猫を飼いながらそれなりの給料で生活する。虚無感の中に生きながら、時にいい人と出会って多幸感の中しばらく生きる。その多幸感も長くは続かずその人の好きな銘柄を吸ってみたりして、しばらく感傷的になってはまた虚無感の中、夜の電車に揺られ猫の待つアパートに帰る。それでもまたいい人と出会って人並みに結婚してささやかに暮らしていく。そういうものだと思っていた。それを望んでいた。そんなクソみたいだけど美しいと感じてしまう生活。きっと恋愛文学ニヒ映画の見過ぎだ。そんなジャンルかもわかんないけど絶対そういうジャンルだろう。

私の言う恋愛文学ニヒ映画というものの主人公の女の子は儚くて美人であんまり笑わない。狭いけれどインテリアの凝ったアパートに住んでいて生活費の内訳があまりわからない。私も大人になれるのだとしたらこんな女の子になりたいと思っていた。でもこの手のものは妙にリアリティがあるにも関わらずリアルではない。そう、恋愛文学ニヒ映画はリアリティのある偽物、結局どこまでいっても映画。そんなものに焦がれて生きてきた田舎娘。更級日記の菅原孝標女と同じ。

私はありがたいことに環境に恵まれている。でも私のこの環境はあまりにも輝いていて、整いすぎていて私はどうしてもそこに馴染んでいるとは思えない。浮くとかじゃなくて弾かれてるのにしっかり足枷をつけられている気分。「ここにいるべきじゃない」と言われているのにその足枷の鍵を誰も渡そうとはしてくれない。私もそこにいる人たちにすっかり依存してしてしまっている。

一人で生きていきたい。でもこの環境から足を踏み出して仕舞えば、私はどうなってしまうのだろう。地元に戻ってそれとなく死んでいくと思っていたのに、知りたいことが増えすぎてしまってそれどころではなくなってしまっている。

みんな私のこと嫌いになって。そんな贅沢な願いができるほどに私は多かれ少なかれ愛されているという自覚がある。でもいざ愛されなくなると耐えきれなくて死ぬのだろう。常に満たされない何かが満たされることを渇望しながら、与えられた愛に対してうまく愛を返すことのできない、こんなめんどうくさい生き物として生まれてきたこと、だいぶ恨んでいます。

とりあえず今は猫を拾って里親募集してもずっと誰にももらわれなくて「仕方ないなあ」ってわざわざペット可の安アパートに引っ越してひとりぼっちの猫とひとりぼっちの私で「私たち似てるねえ」って暮らしたい。
もう猫のために生きようとでも思わない限り私は生きていけない気がする。

猫を私の満たされない心の隙間を埋めるために利用してしまうことはきっとどうしようもないくらいに大罪だ。でもこれまで人間にもそんな態度とってきたことあるから私はきっと地獄に連れてかれる。ベアトリーチェには会えない。


2024/06/30

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