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「生きていくこと」だけを目標に、自分の「死にたい」願望を矯正する話


「よし、死のう。」

そう思ってしまう悪い癖が私にはある。誰にでもそう思ってしまう時はあるだろう。

思い返せばこの死にたい願望とは小学校高学年の頃から付き合っている。
その頃から私は人間関係をうまく構築できなかった。いじめとまでは呼ばないような子供特有のあのギスギスとした人間関係。
今まで仲良くしていたはずの友達との間に壁ができているように感じ、それがとても怖くて私は友達を繋ぎ止めようと努力していた。しかしその努力というものは相手には不要だったらしく、今思えば私はただの鬱陶しい蝿となんら変わりはなかった。

私の気持ちが拒絶されてしまったとわかると、寝る前布団にくるまり泣きながら心の中でクラスメイトひとりひとりにお別れの挨拶を済ませてから眠りについた。
明日の朝、私は死んでいる、そう願いながら。
しかし朝は来てしまうし、私は何もなかったように振る舞い朝食を食べて学校へ登校する、そんな日々を過ごしていた。

中学生になったものは篩にかけられ、カーストという概念が顕著になった。
ハブられることも自分の陰口を聞くことも、一線を超えない程度の嫌なことは一通り経験した。
それでも私は今までの関係が変わってしまうのが怖くて縋ろうとしてしまった。
「来るもの拒み、去るもの追う」これも私の最低な癖。
「来るもの拒まず、去るもの追わず」私にはこれができなかった。これができていたらどれだけ楽に生きてこれただろう。
この時も死にたい願望はいつもそばにいた。

高校は地元では進学校である学校に入学し、比較的穏やかな学生が各中学校から集まってきていたため、高校ではギスギスした空気を吸う機会も少なく落ち着いた生活を送ることができた。
しかしここでも私の悪い癖「事始めに張り切りすぎる」が発動し、勉強はそこそこなのに勉強ガチ勢コースを選択してしまった。
それに加え「ちょっと派手めなグループに惹かれてしまう」も発動してしまい、クラスでは結構テンション高めな人たちの7人という大規模グループに加入してしまった。結局途中で抜けるのだが…。
勉強もそこそこでノリがいいわけでもなく大人数で過ごすのが苦手な私はスタートから失敗してしまった。

勉強や人間関係から来る劣等感によって打ちひしがれることも多々あった。

ここでは悪い思い出ばかり書いているから見えにくくなっているけれど、悲しいことばかりではなかった。信頼できる家族にも友達にも恋人にも先生にも恵まれ私はそれなりに充実はしていた。

それでもやはり死にたい日々。

そこにコロナがやってきた。流行病と死にたい願望はとても相性がいい。
自分に自信が持てないし、勉強もそこそこだし、将来したいことも特にない。
私は将来に希望が持てなくて自己肯定感は急降下、死にたい願望もより大きく、より現実的になってしまった。

死にたい願望は前よりも私の近いところで長い時間留まるようになっていた。

もうすぐ死のう。テストが終わってみんなの迷惑がかからない頃合いに死のう。そう思っていた秋も深まる高2の秋。

テスト期間中のある日、隣のクラスの子が亡くなってしまった。

はつらつとしたかわいい子で、授業でも関わりのある子だったので驚きと悲しみと疑問が一気に押し寄せた。
お葬式で見た彼女の寝顔はとても美しかった。
なぜ亡くなったかを先生は教えてくれなかった。

彼女に先を越されてしまったなと不謹慎なことを考えていた。

きっと彼女が死ななくても私はなんとなく死なずに生きていたと思う。
でも私が今生きているのは彼女のせいでも、彼女のおかげでもあると都合よく考えてしまっている。

それからの私のそばにはずっと死がいる。死神と一緒に暮らしている。
でもその死神は私に何もしてこずただ私を見ている。

やっぱり生きていると生きていてよかったと思える場面に何度も遭遇する。
その感情が時に憎たらしく思えるがその感情を素直に受け入れることができれば、私はこの病を完全に克服できたといえるだろう。



大学生になった今でも死にたい願望はよく出てきてしまう。
ひどいのは秋の始まりから冬の終わりまで。

私は生きていくことを大前提としたこの世界に私は引っかかっているのではないかと今となっては感じる。
デュルケームを教わって冷静になれた気がした。
でも死ねるのなら今すぐにでも死にたいとは思っている。



ずっと付き合っていた彼とは別れてしまったし、私が今日まで生きながらえていた理由の大部分は無くなってしまって、私は死ぬんだと思っていたのに今度も死ななかった。

せっかくだしあと10年は生きるか。


生きることだけを目標に生きていてはいけないとはわかっているけれど、自分を救ってあげるには「生きているだけでいい。」と言い聞かせるしかないのだろう。
死神にも「まだ生きてた方がいいっぽいからあと10年くらいは近くで見守って。」って言おう。



2024/06/27


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