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エンヤと嵐のあいだで

好きな映画を聞かれたら、「冷静と情熱のあいだ」と言う。
それにちなんだ、今回のタイトル(笑)

ここ数年、車の中ではずー----っと「嵐」の曲が流れている。
しかも、飽きもせず、ずー--っと同じCD。
コロナ前頃から聞いているのでかれこれ3年近くか。意外と長いぞ。

ただ、私は嵐のファンという訳ではない。
それなのに、嵐の曲を聞きまくった。
その不思議を分析したみた結果のお話。

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2003年に夫が脳腫瘍で初めて倒れた頃から何年も、車の中でいつも聞いていたのはエンヤだった。まさに、「冷静と情熱のあいだ」の主題歌のエンヤ。
飽きもせず、ずっと聞いていた。

彼が倒れた瞬間から、我が家の運転手は私になった。
それまでペーパードライバーに近かったが、そんなこと言っていられない。

彼が倒れてから病状詳細がどんどん分かり、転院、3回の手術、時にICUに入り危ない状況、抗がん剤、放射線治療、その他もろもろ、親や会社とのやりとり、子どもの世話、保育園への送り迎え、買い物、家事育児。
何をするにも、車は大活躍した。

そして、唯一自分の時間を確保できたのも、車の中だった。

1人で運転中に曲を聴きながら泣いたり(ちょっと危険)、駐車場に車を止めて、ぼーっと曲を流しながら泣いたり、好きな曲に元気をもらったり、とにかくずっと流していた。
エンヤと共にあの日々はあったと言っても過言ではないほど、繰り返し聞いていた。とにかくエンヤが唯一の癒しだった。

もともと、思春期には中島みゆきをこよなく愛していた私なので、エンヤは選択肢として自分でも納得していた。

それが、今回はJ-POPS。
しかも「嵐」。メンバーの名前もかろうじて覚えている程度。
当時はまだ活動休止前だったので、バリバリのアイドルだ(笑)

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聴き始めたのは3年程前。

ちょうど、彼の脳腫瘍が再発して、余命を告げられ、最期をどう過ごすのか、今後の治療や病院をどうするのか、介護認定・障害者認定、その他もろもろの面倒な手続きをやらねばとか、色んなことがどどどどっと襲ってきた時期に近い。

キッカケは嵐が活動休止に入ったことだった。
当時、活動休止前に、嵐はどこの番組にも出ていたし、自然と嵐の曲を聴くことも多かった。奉納曲や、もともとブルーノマーズ好きだったこともあり、何かと聴いた。コンサートに行きたいとは思っていなかったが、自宅でコンサートが見られると聞き、熱狂的な嵐ファンの友人たちが必死で行くコンサートはどんなものかと、嵐のフェスもみた。
珍しいものを見る感覚で。

そんな感じで、割と身近な存在になっていた。
それで、活動休止と共に嵐の曲を聴く機会がなくなり、意外と寂しいものだなと思っていたところ、熱狂的嵐ファンの友人が4枚組のCDが余ってるから是非聞いて!!!と、CDをくれたのが聴き出したキッカケだった。

そしてその日から、車で流れる曲はずっと嵐になった。
4枚組CDゆえ、あまり飽きなかった。

エンヤの時と同様に、彼と一緒の時はもちろん、一人で運転するときは聞きながら泣き、勇気づけられて元気になり、何かとお世話になった。
今回は、むしろエンヤではダメで、絶対に嵐だった(笑)

なぜこんなにハマったのだろう。
2003年の時も今も、しっちゃかめっちゃかの状況は同じなのに。

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そこで、気がついた。

今回は、絶対的に応援団が欲しかったのだ。
正解がないことや、先行きが不安なこと、即時判断が山ほど押し寄せてくる自分の心を前に向けて支えてくれる、応援団。

それが、嵐だったのだ。

2003年に彼が倒れたときは会社に所属をしていて、お世話になっている方々が沢山いた。四六時中誰かに連絡をして、相談をして指示を仰いで、また色んな声を寄せてもらって、という状況だった。
彼のことだけでなく、子育て真っ最中だったので、保育園がらみのことも色々ある。周囲に人が多かったのだ。
だから、エンヤという一人のボーカルで、しかも日本語でも英語でもない、何と言ってるか良く分からないけれど、癒される人の声が静かに流れる状況が必要だったのだ。ひとりで落ち着ける時間を欲していた。

でも今回は、子どもも成長し、家にもいない。
彼も退職し、基本的に二人の生活。
脳腫瘍も進行し終末期医療のステージに入り、本人の判断能力も落ちた。
生きる方法を探るよりも、彼の最期をどう迎えるのかにシフトした。
彼の人生に関わる方針も、最後の決断は私が行うことになった。
沢山の医療関係者は関わるけれど、全体を一番よく知っているのは私。

「正しいこと」なんて何もなく、手探りで色々決める。
何しろ参考事例が転がっている訳ではないので、迷うし、しんどい。

そんな中、嵐の5人が揃って歌う声や歌詞は、それはそれは大きな応援歌になったものだ。
一度に5人から応援されるのだから、こんな一石二鳥なことはない(笑)

「イチ二のサンで前を向け、常識なんて吹き飛ばせ」
「泣きながら生まれてきた僕たちはたぶんピンチに強い」
「飛べない自分を変えていこうか 踏み出して何度でも やり直そう」

アイドルの曲らしく(失礼・・・)、ド直球の分かりやすい歌詞で、しかも誰が聞いても色んな場面で自分と重ねられるフレーズが、疲れ果てていた頭にはすんなり入ってきた。
複雑すぎる中で過ごしていた私には、この分かりやすさ、単純な歌詞が本当に助けになった。

特に「常識なんて吹き飛ばせ」には何度も背中を押してもらった。

彼の治療において、在宅で看取るとか、飛行機で旅行するとか、無宗教で葬儀をするとか、かなり色々なことを言って回った。
普通やらないよね?と不安に想うことも沢山あった。
でも「常識なんて吹き飛ばせ」の言葉で、最後は自分が一番彼を理解しているはず、と信じて突き進んだところがあった。

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彼が亡くなった後も、車の中で、嵐は聴き続けた。

「本気で泣いて 本気で笑って 本気で悩んで 本気で生きてきたから」
「どんな言葉を使えば もっと通じ合えたかな」
「瞳を閉じれば 君と過ごしたあの季節が思い浮かぶ」


色んな歌詞を聞いては、色んな場面を思い出しながら、自然に涙を流しながら運転した。

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そして、最近また、エンヤが猛烈に聞きたくなった。
ひとりとなってしまった今は、大人数に応援されるのではなく、ひっそりと誰かに寄り添うように癒されたいのだな、と思った。
なかなか不思議なものである。

というのが私の分析だ。
だからどうだ、ということは無いのだけれど、自分の中ですごく発見だったので、記録に残しておこう。

ちなみに、彼の好きだったサザンオールスターズ、葬儀にも流した曲たちは未だに聞けずにいる。




ね、ずっと思ってたんだけど。
あれだけずーっと嵐ばかり流していて、よく飽きたから変えようって言わなかったね(笑)
まもなく、1年だね。

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