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『リメンバー・ミー』を観て色々考えた


『死者の日』

旅行中にぜひ行きたい祭りがある。毎年11月1日と2日にメキシコで祝われる『死者の日(Día de Muertos)』だ。お墓を派手に彩り、街中で音楽を鳴らし、お酒を飲み、騒ぎ、帰ってくる死者を盛大に祝う。

バチェラー5の死者の日メイクが記憶に新しい。

https://x.com/BachelorJapan/status/1689939725275287552?s=20より引用

盆棚や精霊馬を用意して死者の魂を供養する日本のお盆文化に近いが、『死者の日』にはお盆にはない明るさを感じる。

「死」を受け入れて「生」を思いっきり楽しもう!

という独自の死生観がメキシコには根付いているのだろう。

リメンバー・ミー

『死者の日』を描いたDisneyの映画『リメンバー・ミー』を最近もう一度観た。『死者の日』の時だけマリーゴールドの架け橋を渡って、死後の世界から現世に戻ってくることが出来るのだが、架け橋には入国審査のような検問所が設置されている。

検問所を通過できる条件が、「オフレンダ」という祭壇に写真が飾ってあること。つまり、現世で誰かが覚えてくれていること、である。記憶にある限り、毎年現世に戻ってくることが出来る。物理的に生命兆候が失われた瞬間を1回目の死とすると、2回目の死は人々の記憶から忘れ去られた時に訪れる。

人は、忘れられた時に、死ぬ。

いつ人は死ぬのか

死生観に興味がある。”人が死ぬ”というのは避けられない事実で、何千年も前から人類は向き合ってきたし、生きている環境・時代・国に関わらず平等に、全員に、死は訪れる。けれども、”死をどう捉えるか”については、日本という狭い集合体のなかだけでも人それぞれに違いがある。死に対する考え方を知ったら、生き方に気付けるのではないか。

coten radio「老いと死の歴史」を聞いて
より一層そう思わされた。

死をどう扱うのか、死をどのように認識するのか、なぜ死を悲しむのか、あの世に行った後にどうなるのかetc..埋葬方法ひとつとっても、地域の慣習に基づいた様々なやり方がなされるのを知った。

死の捉え方も大きく6つに分類できるらしい。

死の6類型
①他の人間や動物に生まれ変わる
②別の世界で永遠に生き続ける
③そばで子孫を見守る
④子孫の命の中で生き続ける
⑤自然に還る
⑥完全に消滅する

日本人的な考え方は、③すぐそばで子孫を見守るが近いのかもしれない。宗教的な世界観との相関もありそう。一神教、輪廻、道教、儒教、ニヒリズムなどなど。

老いは自分が決める、死は他人が決める

人に忘れられたいという欲望

海外でも国内でもいいが、旅行で1週間ほど学校/会社から距離を置くとする。その時の開放感がどこから来るのだろうかと考える。

それは、

もし自分が居なくなっても
問題なく世界が動いている感覚
(世界 = 自分の属する組織、会社、学校など)

だと思う。

リメンバーミーならぬ、フォゲットミーなんだけど、同じような気持ちを持ったことがある人は居ないだろうか。自分が居ても居なくても世界は変わらない、と思うと身も心も身軽になる感覚がある。これは、まわりの期待に応えようというプレッシャーを深層心理で日々感じていることの裏返しなのかもしれないが。社会からの空白の期間が、1週間・1ヶ月・1年と伸びたら気持ちがどう変わっていくのか。気になるところではある。

まとめ

メキシコのオアハカに行きたい


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