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時給を意識して"書く"ということ

なんと、3月はひとっつもnoteを投稿できていなかったみたいです。体力もメンタルも非常によわよわHPで駆け抜けた1ヶ月でした。

ということですべりこみnote。


最近、何かのライター向けイベントレポートで、登壇者の方のマイルールとして「時給5000円を下回るお仕事は受けないことにしている」という内容を見て「ほぅ......!」となった。

たとえば、Webデザインもライティングも、たいていの場合は納品によって報酬が発生するわけだけど、人によっては脳内で「時給換算」することもよくあると思う。

バナー10本つくって1万円の案件は、2時間でできる人にとっては時給5千円だし、5時間かかる人にとっては2千円。

その昔、とある残業続きだった1ヶ月を会社の月給÷実務時間で無邪気に計算してみたら学生時代のアルバイトとほぼ変わらない時給が弾き出されて「もう残業なんてしねぇ」と心に決めたこともある。


最近、わたしはどうにも「あ、今わたし、豊かじゃない」と気付くことが多い。お金の話じゃなくて、心や考え方のこと。

時間を自分でコントロールできていないなとか、締切にメンタルもプライベートの過ごし方も振り回されているなとか。楽しくやりがいあるお仕事を両手に抱えていたつもりが、いつのまにか溢れて背後から飲み込まれていく感じ。

そんなときに冒頭の発言を見て「なるほど。この記事は○時間で仕上げよう!という目標をもって書いてみるのはいいことかもしれない」と思ったのです。え、もしかしてみんなやってるの?わたしだけできてなかった?

「今日中に終わらせよう!」はあるけど、「2時間で書ききる」という粒度の目標は立てずにこれまでお仕事してきたんだよね。だから、ライター犬田メメは働き方・書き方をバージョン2.0にしていくフェーズなんだなと感じたのです。

だってどんなに依頼がうれしい記事でも、最終的に時給500円になってましたは悲しすぎるものね。そのぶん時間も消えているわけだし。ずるずる書くの、よくない!

短時間で質の良いものを書ききるという筋トレにもなるしね。

ライターの仕事も、Webデザインも、個人でやっている仕事はどれも好きだ。だって「あなたに任せたい」と言ってもらえてるのだから、好きでやりがいがあるに決まってる。

でも、自分で自分に対してやりがい搾取してはダメだよね。

わたしのお仕事のパートナーさんはみんな倫理観のある報酬を提示してくださる方々ばっかりだから、わたしがぺらっぺらの時給になってしまうほどその案件に時間をかけてしまう場合、たぶん

  • 単純にスキルが未熟か

  • 求められているもの以上に自分が自分をやりがい搾取して突き詰めてしまっているか

なんだと思う。
とくに後者は性格上すごいありえて。ライティングであれば、このあと編集さんの目を通すわけだから、煮詰まり過ぎずに、原稿を次の段階へトスするというのも大切なのだ……。

納品系のお仕事だからこそ、時給を意識して働くということを23年度からは意識していきたいと思った、という話でした。
おわり。

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