ADHDですけどなにか?-何もしない作戦。

遊びに出かけても倒れる。
倒れたら倒れたで3日は起きれない。
だいぶ困った状態にはなるけど、これが普通なように思える。
これまでの心の負担分を休むことに務めなきゃいけない。

ここで必要だと感じたのが“何もしないをする努力”だった。
ではその“何もしない状態”とはどういうものか自分なりに説明したい。

家事をしない。

いきなり無茶を言うように思うがこれも一歩である。
家族が困るだとか、自分が困るだとか
生活習慣として完全に馴染みきってしまったこの一連の流れを一旦ストップする必要がある。
「夕ご飯の準備をしなければ!」「掃除をしなければ耐えられない!」「休んでるのだからこのくらいはやらなきゃ!」「時間が勿体無い。」
全て愚言だと思った方がいい。
僕らに必要なのは極限までぼーっとしてみることだと思う。
これはこれで脳内でネガティブな思考が反芻する可能性があるけどそこらへんもまた“瞑想”だとか“セルフコンパッション”だとかを鍛えて自己肯定感を安定させる必要がある。
話は脱線したが、そういった気持ちの安定のためにも一旦全て放り投げる覚悟がいる。
全て何もしないは廃人コースまっしぐらな気もするけど。
どうしたら何もしないで済むか、どの家事をどうすれば頼れるか、どうしたらイチ過程でも家事を減らせるか。
こっちの作戦を考えるのに脳みそのキャパを振り分けた方がいい。
ともかく強迫観念だとか、そういったところでの切迫感から自分を切り離す機会にするのがいいと思った。
周りの人が助けてあげられることは声かけ以上に生活のサポートだとも思う。

努力しない。

「早く治さなきゃ!」「会社に早く復帰しなきゃ!」そういう焦りもあるだろう。
パッパラパーな僕はもう振り切っていたので「たくさん音楽作らなきゃ!」という気持ちが強かった。
断言する、ぜったいうまくいかない。

これが気晴らしならなんとかなるのだけど、僕の場合、制作がしたかったけどできないと言うブランクがしばらく続いていた。
そんな中から、いいもの作らなければ!みたいな謎の切迫感があった。
僕が伝えたいのはこういった切迫感につながることはしてはいけないと言うこと。
「これを機に英語覚えなきゃ!」「新しい資格に挑戦しなきゃ!」とかも愚行です。
と言うか、できない。
無理やり体を起こして無理やり頭に情報を突っ込むことになっているはず。
新しいチャレンジをするにもまずメンタルを安定させてからだと反省している。
この挑戦が後に反動となって結局休職期間が延びることになってしまうのです。
僕らがまず先にやることは“療養”だと言うことを忘れてはいけない。

人の気持ちを考えない。

だいたいからして、人の気持ちを考えられないやつが鬱だとかで倒れることはないのだけれど、僕らはそういった方々のサイコパス性だとか、人の頼り方を学ぶ機会にしてしまったほうがいい。

うつ病になるだとか、性格特性で病院のお世話になるキッカケって
現代社会のシステムに対して誠実に答えすぎる点だ。
ただ、それを応える上での水準が世間的に高すぎて、それに答えられない人はADHDだとかそういった“障害”というくくりで隔てられていると言うなんとも胸クソの悪い話なように思う。

そもそも普通の人なんていなくて、みんなどっかしらイカれてるはずだ。
どこかのスキルが突出してるぶん、どこかが変態的かもしれない。
聖人君主のようなひとでも結局変態かもしれない。

またもや脱線してしまったけど。こうして倒れでもしなければ何かを改善しようと言う機会はなかなか訪れない。

僕らは図々しさと言うものを覚え、人に頼ることに慣れる、遊び呆けることに慣れる。
最終的に優雅さを取り戻すこれにつなげていけるのがベストであり、現在進行形の僕の課題だったりする。

ちなみに僕がそういったことで初めにやった作戦が
「気持ちが沈んじゃうから、ともかく会いたい人に会いまくる。」でした。
ほんと、その節は皆々様ありがとうございました😇
みんな優しい。

ちなみにこの作戦は“海に行った後反動で死ぬ”に該当するものがあり、結局家で寝込むことが多かった。
やっぱり最初の1ヶ月は療養に専念すべきである…。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?