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読めない司書と名無しの少年(5)『縄と剣』

前回



「それがお前の武器かよ。舐めやがって」
 ベレメインは吐き捨てるように言った。
 二人を素早く倒した女司書エリエス。彼女は一本の長いロープを左右の拳に巻き付け、ベレメインと向かい合う。
 剣を相手にそのようなもので挑むことは、無謀と言える。しかしエリエスにそれを臆する様子は一切感じられなかった。

 脱力したように降ろされた腕と、それを繋ぐ一本のロープは拳の間で垂れ静かに揺れている。ベレメインには手枷を嵌められた罪人のように見えた。

 ベレメインの脳内にかつて自身が捕らわれていた牢獄の光景が想起される。忌々しい記憶。目から生気を失った罪人共が力なく腕を垂らしながら列を作る。剣を履いた看守。様々な罪状。罪の浄化という名目で行われる労働。看守は鞘に入れたままの剣を棍棒代わり振い、罪人を痛めつけ、その傷跡が疼く。
 諦め、あるいは意図してか外界への目を閉じ耳を塞ぎ、日々の労働に身を沈める者共。

 気に入らない。したいようにする。俺はあのようにならない。
 
 看守にいいように弄られながら、汚物に塗れても俺は這い出た。生きたいように生きる。こいつの何が気に入らない? 女だから……? それだけじゃない。こいつを見ているとあのころを思い出す。
 イライラする。いや、しかし……これは良い機会だ。ここでその流れを断ち切る。未だ俺をからめとろうとする過去の記憶を。殺すつもりで行く。生きていたら……まぁ、褒めてやる。
 
 ベレメインが動く。踏み込みからの突き。エリエスはステップを踏むように右へ避ける。ベレメインが刃を横に向ける。剣が輝石灯の輝きを反射し煌めく。ベレメインが剣を横に薙ぐ。エリエスは後ろへ退いた。

 ベレメインは勢いをそのままに体の回転させ、乱舞するようにさらに横薙ぎへとつなげる。回避は間に合わない。エリエスは棒を構えるようにロープを縦に張る。張力のかかったロープがピンと張り詰め細かく震えた。

 紐で剣を受けとめられるものか! ロープもろ共に絶ち斬ってくれる! ベレメインは構わず剣を振るった。
「あぁ?」

 不確かな感触が剣と伝わり、腕に伝わる。細かく震えるロープは繋がったまま。エリエスはロープでベレメインの斬撃を受け止めていた。
 ベレメインの視線の先、剣とロープの挟んで青い光を反射する鋭い眼光が彼を捕らえていた。

「油断しましたか?」
 重く鈍い痛みが走る。エリエスはベレメインの腹に足を食い込ませ、彼の体を蹴り飛ばす。その拍子に幾つかの椅子が巻き込まれ弾き飛ばされた。

 床に這いつくばったベレメインの耳に何かがしなり空を裂く音が聞こえた。顔をあげ確認する暇は無い。ベレメインは真横の長机の下へ転がり込んだ。直後、さっきまでいた場所でロープが床を激しく叩き、狂暴にのたうった。

「痛ってぇな、クソアマ」
 ベレメインは長机を挟んで立ち上がり、背にあった背嚢を降ろしながら言った。エリエスは鞭のように放ったロープを手繰り寄せ、左手に巻きなおしていた。
「今ならまだ痛くなくてすみますが投降……」

 エリエスが言い切る前にベレメインは手に持った背嚢をエリエスへ向けて投げつける。エリエスは左へ躱す。ベレメインは長机を踏み台に跳躍しロープごと両断しにかかる。いかにロープが切れくくとも、体重と速度を乗せて受けきることは難しい。それにたとえ斬れなくても刃を体に押し付ければいい。

 エリエスは前方に転がって潜る。背後で剣が床を叩く。すかさずベレメインが振り向きながら、エリエスめがけ斜め上から剣を振り下ろす。
「とったぁ!!」
 剣を通しまたしても不快な感触が腕に伝わる。剣が椅子に食い込んでいる。エリエスは転がった際に近場の椅子に向けてロープを投げ、引き寄せ盾としていた。
「チッ!!」

 ベレメインは椅子を乱雑に蹴りあげて剣を抜く。その隙に距離を離したエリエスはロープをしならせ鋭い横薙ぎをみまう。ベレメインは上体を逸らして避ける。鼻先をロープが掠め、長髪が数本切られてはらりと落ちた。
「司書にしては戦い慣れすぎだなぁ。エリエスさんよ」

「ここの司書は皆そうですよ。役割ですから。あなたも盗賊にしては良く動くかと。こんなことなさらず、どこかの護衛などされていればよろしかったかと」
 ベレメインはため息をついた。
「俺はまどろっこしい事は嫌いなたちでな。こっちで稼ぐほうが性にあってる。したいようにする。それに、それは――」ベレメインが腰から短剣を素早く抜き、投げた。エリエスはロープで弾く。短剣は気を逸らすための目くらましであった。ベレメインは再び距離を詰めていた。「――余計なお世話だってんだよ!」

 上から下へ、右手で剣を振り降ろし、エリエスは体を右へ逸らして躱す。ベレメインは左袖の隠し短剣が光を反射して煌く。首を狙った突きを仕掛ける。エリエスはロープを巻き付けたまま左右の腕を開いて構え、短剣と首の間に棒のように張り詰めらせたロープを入り込ませた。

 隠し短剣がロープに触れる瞬間、ロープの繊維が、捻じれ、開いた。

 より合わせられたひとつひとつの繊維が生き物の様に蠢き、閉じられた蕾が開き、花を咲かせるように。ロープはほどかれた無数の繊維の間に短剣を受け入れると急速に捻じれて閉じた。短剣の刃はロープに取り込まれた。

「ホッホウ! そいつはすげぇな!!」
 ベレメインは感嘆の声をあげながら右手の剣を下から上に振り挙げる。エリエスは後ろ体を後ろへ逸らし、なかば落下するような勢いで身を引く落とした。長く纏めれた髪がその後へ続く。

 ベレメインの視界が激しく揺らぐ。体を低くしたエリエスがベレメインへ足払をしていた。軸足を払われベレメインは受け身をとることもできず床へと倒れた。短剣はベレメインの手から離れていた。

 エリエスは長剣の柄を右手ごと踏みつけ、気づけばベレメインはエリエスに見下ろされていた。
 手を離し引き抜こうとするが、剣の柄ごと踏まれているため抜け出せないばかりか、踏みつける足の力が一層強まりベレメインを苦しめる。看守にうけた屈辱が再び想起された。

 ベレメインの手から離れた短剣はロープに取り込まれ無様にぶら下がっている。術の施された細い糸と細い鉄線で編まれた特別製のロープだった。

「高い所にある本を傷つけずに取るためのものですが――」エリエスは短剣を抜き取り無造作に放り投げる。短剣は床に突き刺ささって細かく震えた。「――道具は使い方しだいですね」

「このクソが! 離せ!」
「まだ戦うおつもりで?」
 エリエスは暴れようとするベレメインの足へロープを投げる。ロープは短剣を取り込んだ時のように繊維を開かせ、絡みつき、両足を拘束した。

 エリエスは剣を握ったままのベレメイン右手に更に体重をかけ、もう片方の足で剣を蹴り飛ばした。
「終わりです」
 それからベレメインを拘束するロープを手繰り、真っすぐにしごいた。すると繊維が開き、内部から一本の青く光る糸を露わにした。無数の糸に紛れ込んだ一本の弦。エリエスはそれを爪弾いた。

 ビンと言う音が暗闇に響いていく。
「……何をした?」
 ベレメインの問いにエリエスは答えず、上層を見上げていた。
「何をしたんだ!」

 見上げる先、遥か上層で何かが光った。輝石灯の光とも違う、ずっと強い白い光。それが四つ。

 光は動いていた。というより落下してくるようだった。
 星空から逸れた流星の如き輝き。強い輝きは吹き抜けを落下しながら各階層やその空中回廊や階段を照らし存在を露わにし、流星が通り過ぎるとまたそれらは闇に呑まれていった。
 各層の輝石灯の輝きをより大きな光で塗りつぶしながら、時にジグザクに軌道を変え、白い軌跡を闇に闇に描く。向かう先はエリエスとベレメインのいる場所だ。

 二人のいる場所まで来るのに時間はかからなかった。
 流星は床にぶつかる僅か手前で急停止し、浮遊した。四つの光が二人を取り囲んだ。

 白い光は次第にその明るさを絞り、ゆっくりと本来の姿を現していく。白いローブが揺らめき、長い裾からは辛うじて靴の先と白い手袋の先が覗いている。人の姿があった。顔は白い布で覆われ窺い知ることはできない。

「私は下層司書エリエス。侵入者を捕らえました。そこと、そこの人。あとこの人。これで全部です」
一人ひとり、指を差して言った。
「おい! なんなんだ……!」
 降り立った彼らの内の一人がベレメインに向けて手をかざすと、袖から白い布が飛び出し、生きているかのように体を這いまわり巻き付き、口を覆い、手足を縛った。残る二人の侵入者にも同様の処置が行われていた。
拘束されるのを見届けてからエリエスはロープを手繰り寄せた。

 彼らは白司書と呼ばれている。上層と下層の行き来きを制限された下層司書に代わって階層間の荷物の移動を主に行っている。侵入者を捕らえた際には彼らの移送も行う。下層司書と言葉を交わすことは無い。
「では移送をお願いします」
 白司書が静かに頷いた。
 白司書の足元ではベレメインのくぐもった声で何かを言っていた。きっと罵っているのだろう。

エリエスも白司書もそれに構う様子はない。
「それと、いくつか椅子が壊れてしまって」
「あああぁぁぁ!」
  悲鳴。闇の奥から悲鳴が聞こえた。少年の怯えた声だった。その場の全員が悲鳴の方を向いた。ただ一人エリエスだけは走り出していた。

 白司書は荷物の運搬以外で下層には関わらない。たとえすぐそばで異常があったとしてもそれは変わらない。それが決まりなのだ。
 エリエスの背後で、光が一際強くなり、布がためいた。白司書はまた流星となってこんどは上層へ向けて飛翔するのだ。三人の侵入者を伴って。
 
 エリエスの影は流星の輝きを受けて一瞬、濃く前方に伸びてからすぐに縮んでいった。今はいつもの青白い輝石灯の光が床と書架と照らしいつもと変わらぬそれらの影が伸び縮する。
「なんてバカなんことを」
 エリエスは独りごちた


【つづく】


 



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