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【短編】ある猫の次の日

前の話【ある猫の日】

 意外と早かった。というのが、私の、私に対する感想である。
 というのも、私が患っていた病と言うのは、未だよく分かっていない不治の病だったわけで、おおよそ何か月後にあなたは死にます。と言われていたのだけど、よく分からない病だったものだしで急変する事もありうる。ということを担当医に言われていた。それが今日、訪れた、と。

 私はいつもの窓辺の椅子に座り、真っ白なベッドとシーツに横になる色白の私を見ている。
 現実感が無い。心電図だとか酸素濃度だとかそんなのは詳しく分からないけど弱っていることはわかる。私の顔の白さは病的なものの白さで、決して日光に当たっていないからというような白さじゃないことは明白だ。私は新しい体で、つまり猫の体に人格を写した状態でそれを見ている。

 私はこれまでの、特に数か月のことを断片的に思い出していた。長ったらしくて覚えてられないようなできたての病名。人格転写技術とその第一号となったこと。
 それから、闘病と私から私への引継ぎが始まった。人格転写に向けた入念な下準備。投薬、調整。人格転写後の新しい生活に向けた根回しなどなど。それらを思い出して。やり残したことは無かったかなど今になってまた再確認していた。

 付き合いのある方々への連絡もその一つ。ある日突然に近所のお隣さんか猫になるなんてビックリしないわけがない。
「やぁこんにちは! お久しぶりですが私、病気で死にます。でも、心配しないで猫になって生きるので!」
 実際にそう言ったわけじゃないけど、そんな感じで言った。人の目がピンポン玉みたいに丸くなる様子など一生分見たに違いない。来世があるならその分まで見たと言ってもいい。

 私は、私の臨終に立ち合おうとしている。最後の引継ぎ作業だ。二つあった人格が、片方の死でもって統合される。一度、分岐した人生がまた一つに戻るときだ。

 担当医は数時間前に私自身が立ち会う必要はないことを告げたけど、私は、立ち合います。と、ドローンを通して元の肉声を再現した声で返事をした。

 正直に言うと、立ち合うのは嫌だ。
 変な感じだ。だしとても後悔するよりはいい。この瞬間を逃したら、私が私をきちんと見るのは棺の中に納まっている姿になる。それはきっと、あやふやな死になってしまう。私が私としてこれからを生きる為にはこの引継ぎが必要なんだ。いいとも、私の葬式は二回行われるとして、その一回目の喪主をやってやろうじゃないの。とまあこんな感じで。

 私の背中を太陽が照らす心地よさ。私は感じていない。窓から聞こえる通り過ぎる車と歩道の小学生の声。私は聞こえていない。季節の変わりも、食べ物の匂いも感じていない。ベッドの上の私はいよいよ深い眠りにつこうとしている。

 人格を写してから暫くして昏睡状態となった私だけど、その少し前に、ほんの少しの時間だけど、私は私を互いの目で見た。お互いが目を丸くしながら見つめ合った。鏡でなく生身で見ることの奇妙さなどもう味わう事はないだろうな。

 考えていることは、分かるようで分からなかった。だって私は猫の体で生き続けるし、向こうの私は人の体で死ぬのだもの。もう別の人格といってもいいくらいに違う。ある時点まで一つだったものが分裂したのだ。わかるはずがない。そしてそれは片方の道が終わることでまた一つになる。

 向こうの私は新しい私のふわふわの毛皮を撫でながら言った。
「……猫だ」
「そうだよ」
「毛並みも、瞳の色も、私の思った通り」
「デザインキャット万歳。肉球だってほら」
「ほんとだ。それで……どう?」
「どうって?」
「猫になって」
「どうって……どうってことないよ。大抵のことはできるもの。映画もマンガもドローンを通して観たり読んだり。快適。あー子どもはちょっと嫌かな。追いかけ回すし、撫でまわすし、うるさいし」
「ふふ、楽しそう」
「人の気も知らないで」
「まあね。私、人だもの。それで、人じゃなくて後悔してない?」
「これでしてると思うわけ?」
「ぜんぜん」
「夢、かなっちゃったな」
「そうだね」

 私は不治の病になることで猫になるという夢を図らずも叶えたことになる。運命というか、運というか。不思議なもんだ。この技術が不変となれば私に続く人もでるのかもしれない。そうでないのかもしれない。わからないけど、少なくとも世界ではまだ一人だ。
 
 それから少ししてもう一人の私は眠りについた。植物状態。死と言う眠りの前ではうたたね、とも言えるかもしれない。

 それから今日までどれくらいだったかな。大体4か月だろうか。今日がその日だ。
 徐々に心拍が弱っていく様を私は見ていた。病室に響くのは電子音と人工呼吸器の音だけだ。もし心電図の波形を滑るサーファーがいたら、きっと到底満足できないような弱々しい波が右から左へ流れていく。
 少しづつ、少しづつ。弱く、弱く。小さな波はより小さく、さざ波になり、そして消えた。平らになったことを機械が告げている。
 
 繋がりが消えた。こちらが感じていた感覚もあちらが感じていた感覚もない。僅かに残っていた人の体の感覚が消え去るのは、するりと細い糸がほつれ、風に攫われるように抜けていった。私は死に、私はそれを見届け、再び私は一人に戻った。

 一人だけの簡単な葬儀。戸籍上は生きているわけだし、喪主は私で焼かれるのも私。これまた変な感じだ。変な事だらけだ。
 スチールの骨壺に収まったかつての私は今の私とそう身長はかわらない。ドローンは少し重そうに運んでいく。フリでもいいからもう少し軽そうに持てよと思う。私を運んでるんやぞ。

 潮風、潮の匂い。船を並走する海鳥。
「じゃぁね。私」
 ドローンが船と並走しながら蓋を開け、骨を捲く。海に撒くことにも許可がいるって知ってた? ドラマではそこまで描かないし、実際にやってみるとそこまでドラマチックでもないし、機械が撒いているとなんだか産業廃棄物か魚のエサやりみたいに見えてしまう。

 これで全てが終わって、また始まる。
『船、もどせますか?』
 ドローンのモニターに文字を表示させて船員に伝えた。私が意識しない限り、私の「にゃあ」はこうして人に伝わる。
「もう少し船を走らせても大丈夫ですよ」
『いいの。雨が降りそうだから』
 雨は降らない。泣いたりはしない。猫だし。もう一人の自分が消えただけだもの。スッキリもした。モヤモヤもしている。
 次は、どんな生き方をしよう。とりあえず、もう一人の自分に恥じないように生きて行こうと思う。

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