俺はお人好しのモンスター

複雑性PTSDと医者に言われてから、いろいろ考えていました。
なんでこうなったんだろう。
いつからこうなったんだろう。
どうしてこうなったんだろう。

その一つの答えのようなものを、今日見つけました。
きっかけは11月20日に東京で行われたLimp Bizkitのライブ映像(観客が撮影したもの)を見たことでした。

僕は洋楽が大好きで、特にLimp Bizkitはほとんどのアルバムを聴いているくらい大好きでした。
音楽は割と広く浅く聴く方で、一つのバンドを追っかけて聴くというより、色んなバンドの色んなアルバムをかいつまんで聴いていたので、その中ではLimp Bizkitのアルバムをほとんど聴いたことがあるというのは僕にとっては珍しいことでした。

今日も今日とて、自分の病気や苦しさについてずっと考えていて病みまくっていたのですが、Xでライブ映像を見た瞬間脳からアドレナリンが出てきて、とてもハッピーな気持ちになりました。

Limp Bizkitのライブは行きたかったんですけど、お財布的にも気力的にも無理かなと思って行きませんでした。
ただ、Xのライブ映像を見た時、まるで自分がその場にいてはっちゃけているような感覚になりました。

「あ、これだ」

そう思いました。
鬱になってから楽しいという感覚を忘れ、楽しみ方がわからず、ずっと苦しい思いをしてきました。
でも、Limp Bizkitのライブ映像を見たら、悩みや苦しみが全部吹き飛んだ感覚になりました。

音楽は好きだったのに、あまりライブに行ったことがありませんでした。
でも、Limp Bizkitのライブ映像を見たら、たぶん、自分1人で楽しみを見つけることができる。
そう思ったら、喜びが湧いてきました。

複雑性PTSDの話に戻りますが、なんでこうなったか改めて考えてみると、たぶん大学時代の環境のせいだと思います。

僕は、ラグビー部に入っていました。
自分から自主的に入ったのではなく、父親がラグビーが好きで大学でもラグビーをやらないかと言われたので、そしたら父親は喜んでくれるかなと思って入ったくらいでした。

思い返せば、大学のラグビー部ではそれまでしたことない経験や出会いがあったのですが、ただ少し厳しかったです。

僕は割とふわふわしていて、天然と言われることもあったのですが、そこをラグビー部の同期ほぼ全員からいじられていました。
そのいじりっていうのがたぶん普通じゃなくて、卒業後別の人からあれはいじめだよねって言われるくらいのものだったそうです。

ただ、その時僕は、いじられることでみんなが注目してくれている、と思っていたのでいろいろな無茶振りも頑張って対応していました。
その当時にいじってきた人たちも「これは愛なんだ」と言っていたので、僕もそう思っていました。

ただ、その状況が続き、大学3年頃に朝起き上がることができなくなりました。
部活も行きたくなさすぎて、でもいかないのは逃げだと思って、部活に行く前にウイスキーを飲んで気合いを入れながら行っていました。

たぶん、僕の複雑性PTSDはそこから来ているのだと思います。
他の要因もあると思いますが、その時は誰に相談できるでもなく、1人で乗り越えなきゃと思っていました。
もちろん、僕にもおかしいところもありますし、ラグビー部の同期もそんなに悪意はなかったと思いますが、ただ、その時の状況は自分としてはどうしていいかわからず苦しかったです。

まあその後も、実家に帰っても親とうまく折り合わず言われたくないことを言われてさらに悪化したということもあります。
そこから社会にもうまく出ることができず、適応することもできなくなり、今に至ります。

ただ、ここで書きたかったことは

「本当の自分ってお人好しな自分だ」

ということを思い出したことです。
対人恐怖症にもなりましたが、本来僕は人が好きです。
必要とされたらめっちゃ頑張ります。
人を信用しすぎるところもあります。

ただ、そこを利用されたり漬け込まれると、辛くなったり逃走闘争反応が出たりします。

でも、お人好しって悪いことじゃないよね。
苦しいこともあったけれど、結局お人好しな自分が好きだ、そうゆうことを思い出しました。

人が怖くなって対人恐怖症になり、緘黙になり愛着障害になり、自閉症境界性パーソナリティ障害と診断され、最近は複雑性PTSDと医師に言われ絶望を1万回以上しながら、まるでモンスターみたいになってしまった自分だけど、本当の自分はお人好しな自分だ、なんていうのを思い出した。

そんな投稿でした。

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