吹奏楽部
中学校に入学する前から部活は吹奏楽部に入ると決めていた。
そもそも私が通った中学には文化部が吹奏楽部と美術部しかなかったので絵が苦手で運動ができない私に選択肢が無かったというのもある。
小学校のブラスバンド部には興味が無くて入らなかったが、後に私はフルートに憧れを持ち中学生になったら吹奏楽部でフルートを吹きたい!と小6の頃から言っていた。
中学に入るとクラスに仲が良い友達がいなかったり、新しい環境が苦手なことも手伝い1学期はとにかく余裕の無いしんどい気持ちのまま生活を送ることになる。
最初の頃クラスでは隣の席の人や小学校で同じクラスだった子達ぐらいしかまともに話せなかった気がする。他の小学校から来た子達はみんな大人に見えた。
そんな中吹奏楽部は体験入部の時から小学校で仲が良い子も複数居て、同級生12人中10人が同じ小学校出身と凄く安心して過ごせるいわばオアシスみたいな場所だった。
体験入部の楽器も友達とお互いがやりたい楽器を一緒に付き合いながら回った日もある。
楽器は体験の時点でフルートが音が鳴らなかった。
金管も全滅。クラリネット希望のものの音が一定以上出ない。
楽器の希望には第一希望クラリネット、第二希望パーカッション、第三希望は体験入部で唯一音が全部出たサックスを思いつきで書いて提出。
そしたらまさかのサックスパートになった。
先輩がとにかく優しくて後に入ってくる後輩も含めサックスパートはとにかく幸せな場所だったので結果的にサックスで良かった。
入部してからはとても上下関係が厳しい部活で、挨拶から返事などいつも一年生は怒られていた。他の部活は上下関係が緩かったことも手伝い、吹部は学校の中で挨拶など目立つ存在だった。
道路で車道挟んだ歩道同士で叫んで挨拶するような感じ。
例えば何かの集会で学年跨り集まる時、移動教室の時先輩に会う機会は多々あるがそういう時吹部独自の大きな声での挨拶が必須。しかし、私だけが1年生の中で抱えた問題があった。クラスに吹奏楽部員が自分だけだったのだ。
クラスでいる際1人だけそういう挨拶をしなければならないから当然目立つ。すぐ慣れたけど最初はちょっとクラスメイトの視線がしんどかったような記憶もある。
女の子11人、そう簡単にはいかないような気がする人間関係だが先輩達が怖くて1年同士で割れてる場合でもなく割と円滑な人間関係だった。
色んなことを一緒に乗り越えながらかなり結束も固かった気がする。
1年生の頃はクラスで一緒に居るような友達ができなくて何となくしんどかったこともあり、部活でみんなと居る時間が救いだった。部活のために学校に行ってた気がする。どれだけ怒られても部活が好きだった。サックスも吹奏楽も全部大好きで3年間で1番部活愛があったのがこの頃かな。
2年生になると顧問の先生が代わり、厳しい先生になったため部活の雰囲気もまた少し変わった。とりあえず先輩になったから自由に過ごすというのは消えた。
2年生の頃はクラス替えもあり新しい友達も出来て学校にも慣れて部活がめんどくさいなあなんて思う余裕も出来た。
吹奏楽は中3の夏休みが仮引退、2学期は復帰するが中3の文化祭がラストステージになる。
つまり中2の10月(夏休み)からは自分達が1番上。
ちなみに私は入部〜中1の夏までアルトサックス。
中1夏〜中2夏バリトンサックス、中2秋から引退までアルトサックスという担当だったのだが先輩が引退してからはアルトサックスの1stを担当していた。
先輩達が引退して初めての連合音楽会、初めてソロを担当した。曲はカントリーロード。
大会ではないが講評はあって、ソロ上手ですねと褒められて凄く凄く嬉しかった。
その辺りからみんなでカラオケに行ったり、少ない休みの日を使い同学年の皆で遊んでいたかな。時に部室で帰りに遊んだり(猿山のような騒ぎと叫び声で)、お互いの恋愛事情を全員が把握して時にふざけて叫んだりするぐらい仲が良い部活だった。
たまに…いや割と頻繁に顧問には怒られていたが。
中学3年生になると部活もいよいよラストスパート。
最後の連音。最後の地区大会。最後の夏祭り。最後の文化祭。今まで立ってきた全てステージ1つ1つに最後という形容詞がついてまわる。
最後の大会貰った楽譜にはソロがあった。
連音も大会曲を演奏するため、自分達が1番上の代になってからは外の大きなステージで毎回ソロがあった。(秋の連音、初夏の連音、地区大)
緊張はしてたけど良い経験ではあった。
しかし最後の地区大辺りから特設合唱部が始まると明らかに自分の気持ちが特設合唱>吹奏楽になってしまう。
時間が被ってた時には基本的に特設合唱部に行っていた。
勿論吹奏楽部も頑張ってはいたけど特設ほどの熱意を持って向き合う事はどうしても難しかった。
それもあって最後の引退の時も自分は全然泣かなかったなあ。もうちょっと最後寂しがりたかったけど。パートの後輩はめっちゃ泣いてくれたから幸せ者だった。
高校は吹奏楽部を続けなかったため、私の吹奏楽人生は中学生活3年間で幕を閉じる。
将来的に音大に進学したため、管楽器の経験も楽器学の授業など様々な場面で生きた。
正直成績は全くの学校だったが、音楽技術よりそれ以上に精神が鍛えられた気がする。厳しいルールの下でハードなスケジュールの活動を引退までやりきったことは糧になり人生で役に立った。正直就職した際も吹部よりは上下関係優しいなあという感じでとりあえずあれ程の上下関係が厳しい世界を今のところ知らない。
そして同級生、あの個性豊かでうるさいメンバー達で楽しく仲良く。時に騒ぎすぎて怒られながら、時に怒られて泣きながら、時に励ましあって支え合いながら部活をできた時間は今思い出しても青春の1つだったなあと思う。
放課後の第一音楽室に響き渡る色んな音色や返事と挨拶、パート練習の楽しいお喋りタイム、カラオケでの馬鹿騒ぎ。全部もう2度と戻ってこないけど素敵な素敵な時間だった。
もう10年サックス吹いて無いけど、久々にサックスを吹きたくなってしまった午前2時であった。
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