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【発達障害】朝日新聞の取材を受けました

数年前のことになるが、朝日新聞の「声」という投稿欄に掲載されたことがある。それぞれ、自分が文章を書くことが好きなこと、それから人の目を見るのが苦手で、よく怒られて困ることについて書いた。これについてはこちらをご一読いただきたい。

その投稿に、ある記者の方が目を留めて、私に取材を申し込んでくださったのだ。

その方の息子さんも発達障害と診断されており、発達障害についての記事を継続的に書いていらっしゃるとのこと。今回は「声」の投稿の中で彼が「その後どうしているのだろう」と気になった投稿者に取材し、連載記事を書きたいとのことだった。

正直とても驚いた。
私の投稿は、ただ自分が言えないことを文字にして書き、どこかに訴えたくて投稿しただけだ。それがこのような方の目に留まり、取材の申し出をしてくださるなんて思ってもいなかった。

私のことが、私のように生きにくい思いを抱えて苦しんでいるのに、それを言えずにいる誰かの役に立つなら、と取材をお受けすることにした。

彼は私がブログをやっていると言うと、すぐに目を通してくれた。それも熱心に。そして、こう言ってくれた。

「胸がジーンとした」「文章が上手だ」

新聞記者という、言ってみれば文章を書くことを仕事にしている方がそんな風に言ってくださるとは思わなくて、とても嬉しかった。

これは神様からいただいた賜物だと信じているし、教会でもそう言われるが、私のことなんて何も知らない、会ったこともない、教会とは何の関わりもない方が言ってくださったことで、改めてその思いが強くなった。

自分が自閉症スペクトラム障害と知ってまだ5年の私よりも、彼のほうが長く発達障害、そして多くの当事者の方と関わっている。そのためか、とにかく私に負担にならないように、と私自身思いつかないようなところまで配慮してくださる。例えば、視覚過敏があればシャツは白ではないものにする、とか聴覚過敏であれば静かな場所を用意する、とか…何だか申し訳ない気分になった。

取材2日目に、彼はこんなエピソードを話してくれた。重い自閉症で話をすることが苦手な方が作ったウサギの置物が、自殺に失敗した人の心を救ったという。

彼は私の文章にそのウサギと同じ力があると感じると言ってくれた。

人に寄り添う文章だ、と。

嬉しかった。私がこうして書いている理由の1つは間違いなくそれだから。同じようにつらい思いをしている誰かの助けになりたいと思っているから。

私は、定型発達と異なる働きの脳で、多くの人が普通にできることができない。それで人に迷惑をかけたり嫌な思いをさせてしまう。それがとても嫌で、そんな自分がとても嫌いだ。私という存在には価値がなく、この世界に存在していてはいけないような思いを抱えている。

でも、今回このような機会をいただけたのは、私が自閉症スペクトラムを持って生まれたからであることも事実だ。

初めて私は、私という存在でよかったと思った。私をこのように創造され、こんな素晴らしい機会をくださった神様に感謝できた。

この記事を読んで、記者の方と同じように感じてくださる方がいたら嬉しい。そして、同じように生きることがつらいと感じるあなたの心に何かを残せたら。神様からいただいた賜物を、私はそのために磨いていきたい。

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