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【発達障害】僕の大好きな妻!

「僕の大好きな妻!」というドラマを見ている。

今までも発達障害を持つ主人公が出るドラマはいくつか見てきた。その中でこのドラマが秀逸だと思うのは、主人公が「特別な才能に恵まれた発達障害当事者」ではない所だ。
主人公は医者だったり天才だったりしない。ごく普通の「漫画家のアシスタントの奥さん」だ。だから余計に共感を持って見られるのだろう。

このブログを書いている今、第4話まで見終えた。各話私の気持ちを主人公が代弁してくれているように感じる。

例えば第1話では、自分が発達障害だと知った主人公がこう口にするシーンがある。「すっきりした」と。

実は私も、自分が発達障害だと診断されたとき同じ気持ちだった。
それまで、自分が人とうまくなじめないのも、周りの人にはできることが思うようにできないのも、自分自身に何か欠陥があるからだと思っていた。しかし、そうではなくて脳の働きが違うことが原因だとわかったことで長年の疑問が解け、本当にすっきりして、何かから解放されたような気持ちになったのを覚えている。

また、こんなシーンもある。食事の準備を手伝おうとする旦那さんに対して「順番が違う」と言ってその手助けを嫌がるシーンだ。

これもとてもよく理解できる。
自分の中で順番が決まっているので、他から手を出されてその順番ややり方が変わることに大変「気持ち悪さ」を感じてしまう。そして次に何をすればいいのかわからなくなってしまうのだ。ひどいときには自分のやっていること、さらには存在を否定されたような気持ちにも襲われる。

好意で手助けをしてくださることに対してもこうなのだから、発達障害は厄介だと言われるのも仕方ないことだと思う。

旦那さんのセリフにもハッとさせられるものがある。

「心が笑顔じゃないのに、笑顔の知花を見るのは嫌だ」というセリフもその1つだ。

きっと主人公には、笑うことしかできなかったのだろうと思う。自分は周りに迷惑をかけている、嫌な思いをさせているという思いが常にあるから、せめて笑顔でいれば嫌な思いをさせることはないのではないか、と考えて。

私自身、そうしているからわかる。自分の心とは正反対であっても笑ったり、同意することがある。
クリニックに通っていた頃、先生から毎回のように「過剰適応している」と言われていた。その時はどういうことかよくわからなかったのだが、これがそうなのだろう。

だから私は時々ものすごく疲れて、本当に文字通り1人になりたい時がある。自分の意に沿わないことをしているのだから当然と言えば当然なのかもしれない。

いわゆる「普通」の人々はどうやっているのだろう?心と行動は一致しているのだろうか?すごく不思議だ。

第4話、主人公が定型発達の人からこう問われるシーンがあった。「発達障害でよかったことだってあるかもしれない」と。それに対し、主人公はしばらく考えてからこう返す。

「障害があってよかったと思ったことは1度もない」

私はどうだろう。朝日新聞の取材を受けた時には確かに「発達障害があるからこそこの機会をいただけた」と思った。でも普段は?

……残念ながら、答えはノーだ。

前回の記事でご紹介したカフェでは、自分の好きなことをしてキラキラと輝いている方に多くお会いする。私の夢も、そうなることだ。こうして文章を書いて生きていきたい。それが私に自信を与えてくれる。

「僕の大好きな妻!」の主人公は、彼女を理解したい、一緒に生きていきたいと願うご主人と、これからどのように生きていくのだろう。

ドラマを見終えた時、私も自分に自信を持てるようになっていたい。

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