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【入浴日記】手記

 「手紙」という題にしたかったのだが、生憎丁度良い紙もペンも無く、ここにあるのは携帯電話、そしてお風呂に浮かぶ可愛いアヒルさんである。「手で記す」という事で、「手記」とする。

 拝啓 一年前/後の私へ

 よく頑張ったね、身体が動かなくなるまで本当によく頑張った。辛い思いを沢山して、自分の失態も自分で筋通して詫び入れて、よくぞそこまで頑張ってくれた。よく飛び降りないで今に繋いでくれた。君は今日、医者に行って診察してもらうまで休暇を依頼した後だね。嘸かし疲れただろう。ゆっくり休んでくれ。

 今の私は、一人で暮らしているよ。今住んでいるところから差程離れていなくて、歩いて二分といったところかな。背中を押してくれた優しいあの子とは袂を分かつ結果になってしまったけれど、今は今で優しい朋輩や友人達に支えられて何とか息をしている。

 謝らなければならない事がある。左腕に、恐らくもう消えないであろう傷を残してしまったよ。大丈夫、今は自制出来ている。あくまである程度、だけれども。折角頑張ってくれたのに、ごめんよ。

 そして今の私が何をしているかと言うと、率直に言ってまた休んでいる。まず九月に君は復帰する。戻ってから辛い事も沢山あるが、素敵な思い出になる事も沢山経験するよ。そこは楽しみにしていてくれ。そして何度か休みながらも、年内の仕事はきっちりやり遂げる。流石君だ。だが年が明けてから徐々に不調になってゆき、再び療養休暇を取得せざるを得ない状況になる。これが届けば本当に嬉しいのだけれど、この手記を過去に届ける術は無い。ただの落書きだね。

 君は完璧主義者だよ。全てが百点満点でないといけないと錯覚している。医者からこう聞かれるよ。その思考は徐々に柔軟に変化していき、六十点で合格と思えるところまで降りてこられる。そんな高いところに居ては、飛び降りた時に助からないよ。

 何故この手記を君に送るかと言うと、今私が戦っている相手は君ではないかと思うからだ。欲張りな癖に、全てを完璧に仕上げようとする私は完全に消え去ってはいない。故に、自分自身の視点が合わず淡々と靄々としているのではなかろうか。

 君なら、私に何と言うだろうか。私はもう考え方が変わってしまって、故に自分が何処へ向かって進めば良いのか分からないのだよ。目の前の事に一所懸命な君ならば、私を見てどんな声をかけるのだろうね。

 君の好きな曲から歌詞を拝借するよ。

過去も未来も この場所には無い
いま此処に立て 真実の人

 私はこの言葉に支えられて生きている。辛うじて死なずに済んでいる。心は澄んではいないが、命を失ってはいない。何度か捨ててしまおうと思ったけれど、それは君も一緒だからお互い様という事にしておいてくれ。

 さて、これを一年後の私へ送るにあたって、何を語ろうか。今、私は教壇と文壇のどちらを目指すべきか迷っている。解が分からぬが故苦しんでいる。それは分かっているんだ。そして文壇に立つ事を夢見て、一年間は教壇に立とうと決心している。恩師から頂いた恩を返せるように、精一杯やろうと腹を括っている。

 そこまで鮮明に思考が固まっているのに、何故こうも感情がぶれ続けるのだろうね。これを読み返して君は答えを出せるかい?出せるのならば、きっとこの黒い霧から脱出したのだろうね。素晴らしい。もし答えられなくとも、苦しむ必要は無いよ。自分が答えを用意せずに出した問なのだから、答えは無い。これが正解であり、これ以上の答えが導き出せたのならば、それもまた更なる正解だ。試行錯誤を繰り返せ。

 結びに、過去の私へどうでもいい話をしておこう。今は想い人はいないよ。野郎共と楽しく野球して酒飲んで生きている。美味い酒に出会えたんだ。そして美味い酒を更に美味しく嗜める素敵な店の常連となっている。家計は苦しいけれど、君のツケでは無い。私が抱えるべきツケだ。しっかり払えるように自制心を忘れず生活するとしよう。

 そして未来の私へ問いたい。君の進路は決まったかい?きっと十月位から悩み出しているか、或いはもう決めた方へ道を歩んでいるかだと思うな。どうだい?真逆死んではいないだろうね?仮に君の目にこれが届かなくとも、悔いも何も無い。君が選んだ結論を尊重する。とりあえず、今は死にたくは無いよ。生き辛い世間様だと思いながら心の臓を動かしている。

 結びが随分と長くなったね。もうすぐ原稿用紙五枚を超えてしまう。まぁ無理しないで、やりたいようにやってくれ。私は二月に教壇に復帰する。宣誓した以上、有言実行の理念を曲げたくは無いからね。珍しくアヒルさんが隣でぷかぷか浮いている。いつも足元でこちらを見ているのだが、今日は隣に居てくれてるよ。嬉しいね。

 百に迫っていた、何なら偶に超えていた体重は今や八十を割っているよ。君より寒がりで風邪をひきやすくなった。未来の君は体調を崩してはいないかい?自愛の心を忘れちゃいけないよ。今の私はぐらぐらのがらがら瓦礫の様だけど、その上に素敵なものを建ててくれ。

敬具
現在(2023/01/29 22:13:01時点)の私より。

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