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還り道

 虫は幼い頃から苦手だった。特にこれなら大丈夫というものはなくて、バッタ、カマキリ、てんとう虫、蝶、蝉、甲虫、トンボ。何から何までだめ。蜘蛛だけは潰しちゃだめだよ、と母がいうから、がんばって透明なケースで捕まえて家の外に出すけれど、本当ならぜんぶ誰かに片付けてほしいし、ぜんぶいなくなってくれないかな、なんて思っている。
「きっと虫だって、人間に対してそう思ってるよ」
 母は言う。上等だ。やれるもんならやってみろ。そんなふうに思うが、ある日突然でっかい虫が人間のことを喰らったりしたらひとたまりもないので、私はできるだけ関わりを持たずに済みますようにと願いながら、あまり物騒なことが起きぬよう黙っている。


 幼い頃、お盆は毎年熊野の方へ帰っていた。曲がりなりにも地方都市に住んでいた私にとって、そこは絵に描いたような田舎で、親の運転する車に揺られる山道は、昼間でも車の排気音しか聞こえなかった。

 私が強く記憶しているのは、酷く大きな蝉——木の幹を覆うような、片手をめいっぱい広げたくらいのやつが、曽祖母の家の前の木に止まっていたこととか、名前も知らないコンビニの窓ガラスに大量にカメムシが張り付いていたことだとか、虫に対する恐怖心を強めるような印象が大人になってからも思い返される。

 あとは、寂れたジャスコ。よく効いたクーラーと、隅の黄ばんだ青白い光の蛍光灯が、人の入りの少なさを助長している。夏休みだというのに。裏口から見えるのは生い茂る緑とどこまでも続く階段上の墓地で、ここができるより前からあの墓らはあったのかしら、なんて思うと不思議なきもちになる。ジャスコのために切り拓かれたのだとしたら……わたしは胸がぐっと熱されて、同時に冷やされたような、そんな心地になった。


 いつの頃だか忘れたが、父は窓の外を見ながら、どこか上の空といった様子で私にこう言った。
「うちの家系はな、お盆になるとみんな虫に乗って戻ってくるんだよ。叔父さんは蜻蛉でさ、俺が墓参りに行ったときにちょうど指に止まって。ひいじいちゃんはバッタで、ひいばあちゃんはてんとう虫。みんなぴとって止まってさ、何かを伝えにきてるんだよ、きっと」
 夏の頃に虫が止まる。それの何が不思議で、うちの家族とどう関係があるのかさっぱりわからん、そう思いながらわたしは曖昧な返事をした。そうなんだ、なんて返したかすらわからない。ふーん、とか、へえ、とかそんなことを言って、でもなんだかこの話は覚えていた。私の指とか服とかに止まったとしたら、払い除けることもできぬまま怯えてそこに立ち尽くすだろう。


 曽祖母の家といいつつ、その頃曽祖母はもう住んでおらず、市内の病院でその身が潰えるのを待っていた。ただ一度だけ会ったことがあるが、その次顔を合わせたときは棺の中だった。よく知らない人のよく知らない顔が、花に埋もれてそこにあった。それが数時間で身体は跡形もなくなり、白い欠片になって目の前に差し出される。箸で摘んだそれはある程度形が残っていて、私は先程まで泣いていた対象のそれと同じものだと結びつけることができなかった。


 私の中で死とは曖昧なもので、何度葬儀に出席しても毎度涙を流すのに、普段はやたらと死にたがる。そこには深い断絶があって——わたしがあの身を焼かれる機械に放り込まれることなどとても想像ができなくて、わたしの思う死など所詮机上の空論でしかない、そんな状態で生き死にを語ろうなんて烏滸がましい。それでも死に取り憑かれる瞬間があって、そんなだから、通院だの服薬だのしているわけなのですが、だからといって今にも危険な状態でもないし(少なくとも現在はそうであると言える)、どこまでいっても中途半端な生命体であるように思う。

 病院に行きたくない日もしばしばある。というか、いつだって行きたくなくて、薬の数が足りなくなって、後で痛い目を見るから行くだけであって、あそこに行くと自分が正常であるか不安になるから、できるだけ立ち寄りたくない。元気だけが取り柄です、とかまだ言っていたいと足掻く自分がいるから、できるだけ笑顔で悩みがなさそうに振る舞いたいから、そのためにはやはり欠かさず薬を飲むことが必要で、なんだかなあと思いながら、病院に行くための支度をする。それでも今日は特に頭が痛かった。熱中症なのかなんだか熱っぽくて、体温計を腋の下で抜き差しするとやはりいつもより高い。普段がひどく低いから、気温に左右されている部分も多分にあるだろうなと思いながら、少しぼうっとした頭のまま、最低限の化粧を施す。

 果てのない青い空の下、死化粧と近似値の私は、黒塗りの車とすれ違うとき、すっと親指を隠した。

(執筆日:2022.8.6)

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