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長髪を愛でる。

先日、さるおんなさんとのコラボ作品として、わたし・蓼原が作詞を担当させていただいた「結髪」が公開されました。歪みとかけて、ゆがみと読みます。
有難いことにラジオやテレビでも取り上げていただき、自分のかかわった作品をこのような形でみるのはなんとも不思議な感覚に陥ります。わたしであって、わたしでないような。
今回は髪について、わたしの思考(嗜好?)をつらつらと。

髪というモチーフを用いることになったきっかけは、髪を拾って保管することがひとつの愛情表現になり得るということを知ったからでした。

担当美容師が染髪の実験に使うために、ほかのスタッフやお客さんから髪を数束もらった、というのを聞いたときですら、鏡越しにみる担当の方と目を合わせることができなかった。保管ってどんなふうにしているんだろう。ある程度たまったら束ねるのかな。袋にいれるのかな。そのとき爽やかなお兄さんの裏側に秘められた何かがあるように思いました。もちろん、そんなのはわたしの勝手な妄想で、本当に彼はカラー剤を試すだけのために集めていたようですが。

以前関係のあった異性の部屋で、わたしの髪が落ちていたので捨てようとしたら、もったいない、と言って愛おしそうに摘み上げたときの衝撃は、件の話を凌駕するものでした。はじめは理解ができなくて、髪が溢れていたらきたないから拾わなくてごめんなさい、って言おうとしたら、わたしの考えうる返答の斜め上から降ってきて、ああ、そう? なんてだけ返した覚えがあります。
たぶん、それまでその人の一部だったものを手に入れたい、という欲望。蒐集癖のひとつ。そんな感じなのだろうと思うのですが、残念ながらわたしにはそのような欲はなかった。でも、それもひとつの愛の形。
お別れすることになった今でも、そのとても不器用な物言い、考えの出所など、わたしは心惹きつけられました。


髪は昔から美しさの象徴。
さるおんなさんが描いてくれたPVの一部に、ピアノを弾くかの少女が数度登場しますが、彼女は常に後ろからのカットしか描かれません。ひどく美しい彼女の髪は平安時代の女性を思わせます。
わたしは髪の美しい女性というと、源氏物語の末摘花を思い出します。髪はとても美しいけれど、当時の美人像からはかけ離れた容貌で、光源氏も灯りをつけずに夜の営みに及んだという、女目線でいうとなんとも可哀想な女性。説は様々ありますが、凹凸のはっきりした、現代で言えば美人だったのではないか、という説を押し、何処かで報われますように、とわたしは願っています。


髪に執着して制作を進めるにあたり、インスピレーションは此処から始まった、と言わんばかりの作品があります。
伊森凱晴さんの作品です。
とあるギャラリーで作品の搬入を手伝わせていただいたときに出逢いました。

伊森さんは本物の髪(ないしはウィッグ)を用いて、再造形をはかる制作スタイルをしており、まだ鮮度の高い切られたばかりの髪、丁寧に巻かれた髪は広がり方も毛先の整い方も異なっている。
特に惹きつけられたのは「子伝遺」という作品。髪でつくられたおたまじゃくしのようなそれは、遺伝子を指すのでしょう。壁面に貼ってある写真は複数の写真がコラージュされており、細胞のように伺えます。泳ぎまわる遺伝子。しかし、髪は切り落とされた時点で死んでいる。痛覚もないし。しんでいるから、遺伝子ではなく、逆流するタイトルなのか……? 
考察の余地がたくさん残されているように思います。

——生えている間は美しく思うのに、落ちた途端汚らしく思われるのは何故か。

ほかの作家さんとともに伊森さんがお話しされているのを聞いて、なるほど、と思いました。櫛でとかして、ブラシに絡んだ毛や、洗面所の地面に落ちている髪が足の指先に触れるときもちがわるい。先程まで自分に生えていたものなのに。
否、先程まで自分に生えていたから気持ち悪いのかも。謂わば落ちた髪はかつてのわたし。死体。脱皮したらもうその殻に用はないから。
髪とはなんとも不思議なものです。

話を「結髪」にもどしましょう。
髪に執着しているのは、さるおんなさんではなく、わたしの方で、彼女と話している際に、言われて自分の中で意識していなかったことがあって。

自傷癖とまで言わないまでも、わたしは毛を抜くのがすきでした。すき? それであっているのかはわかりません。快感を覚えるのはたしか。でもあまり髪を抜いてしまうと毛量が多いとは言え、今後がこわいから、意図的には抜かないんです、さすがに。でもお風呂場で髪を洗っているとごっそり髪が抜けます。指に絡まって、シャワーで流しても、今度は足の指に絡みついて、なかなか解けない。わたしは視力が悪いので、得体の知れないその絡みつく何かのきもちわるさが倍増しているように思います。
そんなところから、二番の歌詞ができました。

排水溝で蠢く影は
指先縛り枷となる
あの仔の髪はこれとはちがうの
私ひとりそっと接吻(くちづけ)

此処の視界が歪んでいくような髪の束素敵ですよねえ、さるおんなさん、てんさい〜!!ってわたしの書いた詩がどうとか関係なく手放しで褒めちゃう。
「あの仔の髪はこれとはちがうの」が肝だな、って個人的には思います。どんなレトリックより素直な表現がぐっさり来るなあ、と。

そうそう。たった一本の髪を大事に好いている女の子を描こうと決めたときに、わたしは自分が髪に囚われていることに気がついていませんでした。執拗に髪を梳かし、ヘアオイル、ヘアミルクを塗り、指通りが悪いことに苛立って髪を抜いてしまう、ストレスゆえに抜毛に走る……。
さるおんなさんと電話で打合せをしているときに、
「蓼原さんが主人公ちゃんとおんなじポジションなのか」と言われて、嗚呼と合点がいったわけです。

髪は、その人の不器用さが出る部分なのかもしれない。末端まで気が回っているかどうかも、人を見るひとつの指標となるのではないか、と。

そんなふうに自身と髪との関係性を考えながら聞いてみると、おなじ曲でもまた違った風に聴こえてくるかもしれませんね。何回嚙んでもたのしめる作品に仕上げていただいておりますので、さるおんなfeat.蓼原憂「結髪 -Yugami-」を今後ともよろしくお願いします

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