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最後の晩餐

 最後の食事は何が食べたいですか?
 この話題って幼い頃から何かと問われる気がします。本当に死が迫っていたら、それどころでないというのに。まあ、それは置いておいて。私はまだその答えは見つかっていません。やっぱり好物が食べたいのでしょうか。食べることに消極的な質のわたしは、好物が何だったか、すぐに思い出せません。食べられないものは少ないのでパッと思い浮かぶけれど、好きなものとか、今何が食べたい? と問われて、すぐに切り返せない。食に於いて気分もあまりないのです。脂っこいものが食べられないとき、とかならありますが。
 誰と食べたいかな、というのには、前まで答えがあったはずなのですが、大切な人ほど最期は会いたくないよなあ、と思うようになりました。よって、私は最後の晩餐はひとりで食らうことになりそうなのです。

昨年のM-1王者となったミルクボーイのネタ「コーンフレーク」
https://youtu.be/Jg6PEQuCiik

(駒場) おかんが言うには、死ぬ前の最後のご飯もそれでいい、て言うねんなあ。
(内海) あー、ほな、コーンフレークと違うかあ。

 という以上の件があります。それを耳にしてから、私はまだ死ねないな、と思いながらコーンフレークを口にするようになりました。逆に死にたくない時に口にします、念をかけるように。フルーツグラノーラ、好きなんですけどね。でも、たしかにこれは最後の食事には相応しくないのかも。


 今日の昼間、コンビニへ昼食を買いに行こうと久々に家を出ると、杖をついたお爺さんと遭遇しました。近所の方ではないらしく、友人宅を訪ねてやってきた。この近くに揚げ物屋はないだろうか、病人が最期にコロッケが食べたいと言っている、とのこと。
 生憎その方と出会ったのは駅から離れており、揚げ物屋はなく、駅の向こうまで行くのにも歩いて15分以上かかる地点でした。この辺の地理にまったく詳しくないようでしたので、私が行こうとしていたコンビニを教えました。そのお爺さん自体もあまり調子がよさそうではなかったですし、コロッケが売っている場所は他に思い当たらなかったものですから。
 その地点からコンビニまでは目と鼻の先だったので、簡単に道のりを説明して、私はその場を後にしました。「歩けるかな、誰かが買ってきてくれれば……」とそのお爺さんは呟いていました。が、午後の授業も控えていましたし、何処のどなたかもわからない方に、買ってきてあげるわけにも行かず、私は反対方向へと歩き出すしかありませんでした。その方が本当に緊急を要していたのかもしれませんが、道端で話しかけられた人間の素性なんて知る由もありませんし、幾らでも偽れるのですから。私は実に冷たい人間なのかもしれません。本当に御友人の死が迫っているかもしれないのに。

 お爺さんの話を信じるとしたら、知人である病人は、最期の食事にコロッケを選びました。結果を見届けられなかったことが、数時間経った私の良心を未だにゆすり続けておりますが、そのお爺さんがコンビニへ辿り着き、その方に食べたかった揚げ物が無事に届けられたことを願うばかりです。


 ところで、最後の晩餐と聞くと、ダヴィンチの絵も勿論なのですが、私はいつも高村光太郎『智恵子抄』の「レモン哀歌」を思い出します。

わたしの手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした

 描写が兎に角美しいなと思うのです。特に、「トパアズいろの香気」。
 この表現が当時中学生だった私の心に残り、今詩を書いている一因を担っているのかも。宝石のような、という表現だったら紋切り型でチープだけれど、香りをトパーズに喩えられたのには、もう唸るしかありません。
 最後の食事のイメージを、私は冬の日光のようだと思っています。陽の差し込む様は力強くて、当たればあたたかいのに、色は何処か冷たい。きらきらと光るのに、我々とは無関係のところで光っている、見放されているような感覚に陥る冬の日光に似ている。私が死の間際の食事に、仏のような清廉さを感じとるようになったのは、恐らく「レモン哀歌」の影響をかなり強く受けてのことでしょう。

 私の最後の晩餐は何であるのか。またもう少し、考えてみてもいいかもしれません。

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