楽しい感情を追い求めると,それは逃げていく

何をしていても楽しくないし,何も楽しくなさそうに見える,ということがよくある.
ここのところそれがあまりに長く続いていたので,色々と考えていたんだけど,ようやく答えらしきものが見つかった.

それは,「楽しい感情を追い求めているから」だった.

楽しい感情を追い求めている時,心ここにあらずの状態になる.
対象と心が接していない,触れていない.
心は「今ここ」にフォーカスしていない.
楽しい感情を得た未来,を想像している.そして期待している.
心は未来に飛んでいってしまっている.
今ここを味わえていない.だから当然今ここから得られる豊かさから遠ざかってしまう.

そして,楽しさを得た未来と,楽しさを得られていない現在のギャップに苦しむ.現実と理想の乖離による苦しさ.

楽しい感情を追い求めている時,「楽しくない」という感情・思考に過敏になる.too sensitiveになる.
楽しくないことを,緊急事態だと捉えてしまう.
なぜなら毎瞬間が楽しくあるはずだ,という非現実的な理想を掲げているからだ.
だから,楽しくなさを解決しなくてはならない,と錯覚してしまう.
「楽しくなさ」と全面戦争してしまう.「楽しくなさ」を倒し,「楽しさ」を引っ張ってこようと躍起になってしまう.自らの感情そのものを抑圧したり回避したりしてしまう.

特に現代は,楽しい感情を追い求めてしまう人間が育ちやすい環境であると思う.
躁病的というか.
簡単に楽しい感情が摂取できる時代だから.あらゆるものがインスタントに提供されるから.
だから,気をつけないといけない.

具体的には,瞑想的に生きる必要がある.
つまり,自分の心に対して観察的である時間を増やすということ.
自分が楽しい感情を追い求めていることに気づく.
そして呼吸に意識を戻す.
これを続けていき,未来志向から現在志向に,ゆるやかに変えていく.

そして,「楽しいわけではない」という感情に慣れるということが大事なように思われる.
退屈力,とも言えるかもしれない.
楽しくないことに焦らないこと.
楽しくない,というのは異常事態などではないのだから.
意気込まず余暇を過ごせると,その力みのなさが,余裕が,楽しさをつれてくるかもしれない.
楽しさは求めるものじゃなくて,味わっていたら勝手に向こうからやってくるもの,と捉えておくくらいがいいのかもしれない.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?