ホームレス(home-less)なわたし
5,6年前、私は新橋の居酒屋でバイトをしていた。
新橋の居酒屋は仕事帰りのサラリーマンたちで賑わう。
「明日も仕事じゃないの?」と思うけれど、華金じゃなくたって、閉店まで飲んでる人たちがいっぱいいた。
私はサラリーマンたちにお酒を提供し、サラリーマンたちと同じように、終電で辛気臭い家に帰る日々を送った。
「潜在的なホームレスなんていうのはね、たくさんいるんだよ」。
よりどころがない、安心できる場所がない、私には帰る場所がない、そう相談した時に、あるベテラン看護師はそう答えた。
houseとhomeの違いなんていうのは、中学校に入ったら習うかもしれない。
houseは建物としての家。
homeは家庭としての家。
「ホームレス」というと、世間ではハウスもホームもない人のことを指すから、軽々しくhome-lessなんて言うべきじゃないかもしれないけれど、
home-lessについて話してみたい。
新橋で終電まで飲んでハウスに帰るサラリーマンも、新橋で終電までバイトをしてハウスに帰る私も、同じくhome-lessだ。
houseのなかに本来あるはずの温もりあるつながりとしてのhome。それがない(less)。
温もりのあるつながり。
私は生まれた時からhome-lessだったような気がする。
家は家庭内暴力があって、温もりどころか危険なhouseでしかなかった。
一人暮らしをして、やっとこれでhomeができると思ったけれど、そこにあるのは「孤独」で、温もりもつながりもなかった。
出来たのは、安全なhouseだった。
パートナーと暮らすようになって、温もりもつながりも感じるようになったけれど、
「家庭」がそこに出来た途端、私はhouseでフラッシュバックを起こすようになった。「家庭」という概念が恐怖の対象なのだろう。
安全なhomeを私はまだ獲得していない。
毎日のように飲んで終電で帰る新橋のサラリーマンたちは、妻には疎まれ、子どもとも関わりがなく、
そんな辛気臭いhouseに帰るには心の壁が高くそびえているから、毎日お酒でそれを誤魔化して、寝る場所としてhouseを利用しているだけかもしれない。home-lessだ。
私のもともとの家族はもうみんなバラバラになってしまって、私に実家というものはない。(houseもない。)
やっと新しく築いた家庭では、homeを作ろうとする私たちを、過去のトラウマが邪魔をして、フラッシュバックの起こる危険なhouseに仕立て上げようとしてくる。
久々に鍵付き個室のネットカフェに籠もる。
あぁ、安全だ。
久しぶりにこころが落ち着いたような気がする。
homeではないけどsafeだ。
でも、いつまでたってもここにいる訳にはいかない。
冒頭のベテラン看護師さんは言った。
「もう大人なんだから、自分でhomeを作るんだよ。」
どうやって作れば良いんだろう、私のhome。
看護師さんは言った。
トマト育てるでもピーマン育てるでも良い。
釣りをしに行くのも良い。
そうやって環境を育てていくこと。
パートナーとお互いがお互いにフィットするように話し合って、互いに育てあっていくこと。
でも、自信がない。
私の心はまだ大人じゃない。
帰る場所、温かな大人の愛情、心から安心できる場所、
自分で作るんじゃなくて、そんなhomeに頼りたいと思ってしまう。
危険なhouseで育った私にとって、人は怖い。
友達の友達で、私と同じPTSDの子は、ホストの決まりきった優しさが良いという。
それが凄く分かる気がしてしまう。
お金で買える優しさは、裏切らないから安心だ。
タダでもらってしまう優しさは、いつ裏切られるともわからない不安定さが怖い。
病院の医師、看護師、心理士さん。
ホストじゃないけど、私もそうやってお金で裏切られないhomeを買おうとしているのかもしれない。
でも、その人達だって、一生一緒にいられるわけじゃない。
裏切られないhomeが欲しい。
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