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「何者」でもない大人になる

幼い子どもは皆そうなのだろうか、幼い私には万能感があった。
こんな子どもは鼻について仕方がないと思うが、5、6歳にして、「自分の方が賢い」と周りの大人を見下していた。

小学校中学年くらいの時、桜蔭高校から東大の理科三類(日本で一番難しいところである)に行った人の話を読んで、私もそのルートを辿るのだろうと思った。
そして、何かはわからないけど、「エラい人」になるのだろうと思っていた。

今思えば私は自分が決して天才でもなんでもないことを身に沁みて知っているが、
負けず嫌いな性格や努力を惜しまない性格が功を奏して、昔本で読んだ人のように、桜蔭高校から東大という道を進むことになった。

桜蔭にいる時点で、自分より頭のいい人はたくさんいたから、万能感などはもちろんなくなり、「1番」になることが難しいこともわかるようになった。
でもやはり、1番でなくても、同級生たちは皆、私も含めて、何かの「エラい人」になっていくのだろうと思っていた。

勉強は基本的に好きだった。
とにかく感受性が豊かだった私は、世界に蔓延る色んな格差に憤ったり、哲学の新しい概念を知って感動したり、生物の発生の仕組みを知って鳥肌を立てたりしていた。
色んなことが好きだったけれど、エラい人になるべく進路を決める時に「私にとってエラい人とはどんな人だろう」と考えた時、それはマザーテレサだった。
徹底して弱者の味方であり、自己犠牲を伴ってでも利他の精神を貫く。そんな人物像が一番エラいと思った。
そんな存在になろうと決めた。

しかし浅はかなことに、「エラい人」とは、例えば緒方貞子さんみたいにUNHCRの長であるとか、何らかの権威を伴ってこそエラいと言えるのだと信じていた。
そうした肩書きがないと、今まで捧げてきた努力が報われないのではないか、といったセコい思いもあったと思う。

東大では2年生の時に行きたい進路を選択する。
その仕組みでは、人気な学科ほど成績順で優秀な人しか入れず、逆に不人気な学科は遊び呆けている人たちの溜まり場になりやすいようになっている。

私はマザーテレサの精神に近づこうと、「ケア」の道に進むべく、意を決して、成績がどんなに悪くても入れることで有名な健康総合科学科というところに進学した。(入ってみれば、不人気だろうがこの道に進みたいという志の高い友人たちに恵まれ、皆仲が良く楽しかった。)
その学科の中でも、ケアを学ぶべく看護師資格の取れるコースに進学した。

ちなみにこのコースの人たちあるあるで、よく「東大なのに看護師になるの?!」と聞かれる。
こんな質問に答えるうちに、右肩上がりにひたすら登っていた人生の階段を、自分の目的のために必要に応じて降りられるようになって来たことに気づいた。
健総に入り、看護師になる、という道を選んだことで、「上を、上を、」という意識が抜け、肩の荷が降りたような気がした。

それでも私はやはり「何者」かにならなくては、という昔からの天から降ってきた使命感/権威を持たなくてはいけないという義務感は消えなかった
「とりあえず看護師にはなるけど」。
将来的にはWHOで働くんだ、とか、看護学の研究者になるんだ、とか色々妄想して自分を納得させていた。

東大看護あるあるで「とりあえず数年は病院で働いて経験を積もう」、そしてそれから真剣に将来の道を決めよう、という考えに乗っかって、
私も総合病院に就職した。

就職して4月最初のたった1週間のオリエンテーションだけで、今まで積み上げてきた崇高な思いや看護の理想はガラガラと崩壊した

どデカい組織の小さな歯車として淡々と正確に動くこと。
「ケアとはどうあるべきか」とかそういう哲学は根こそぎ吹っ飛んで、いかに標準的な歯車になるかを植え付けられた。
私がケアを志し東大を出て素晴らしい教員の方々に看護の理想を教えられてナースになった人間であろうが、医者とあわよくば結婚するためにナースになった人間だろうが、そんな事情はなーんにも関係ない。
全ては同じ歯車であるべきなのであった。

私は新卒の100個ほど新たに生まれた歯車の中で、欠陥のある歯車だった。
それについては次の記事を読んでほしい。

WHOを志した子どもは、一病院の一歯車にもなれなかった。
私に何かを劇的に変える「力」はなかったし、私に「力」は似合わなかった。

今の私は病気に侵され、入退院を繰り返しながら、小さな精神科クリニックで細々と仕事をしている。
ちょっとした力さえ出ずに仕事に行けない日さえある。そんな日は寝たり本を読んだりして過ごす。
仕事のない日は通院したり、習い事をしたりしている。
慎ましやかな小さな生活だ。
華はないが、それなりに好きなことをして、満足だ。

こうして「何者」にもなれなかった私ができあがった。でもそれでよかった。「力」なんてなくてよかったのだ。

世の中は鳥の目で見れば「何者」でもない会社員や主婦主夫で溢れている。
でも虫の目で見れば彼らは「親」「友人」「ご近所さん」であったりする。

ケアとはまさにその階層の話である。
ただの人だけど、誰かの大事な人。そんな人同士が出会って生まれる温かいもの。

「力」をもってして多くの人たちを動かそうとなんてしなくていいのだ。むしろ、ケアの中には力の差が無ければないほど良い。
「何者」かになれなくても、私のやりたかったことは、それでよかったのだ。

なんか槇原敬之の歌みたいになってしまった。

今の私は、力があるどころか、病気のおかげで力を失い、色々な人に支えられている側の人間である。
この非力さ。
これを味わえていなかったら、どこかでとんでもなく有害なスーパーマンになっていたかもしれない、と思うとゾッとする。

私は非力さに感謝し、お陰で出会えた隣人たちの傍で、彼らのために生きていきたい。

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