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結婚しました!

先日、山の日に結婚した。
結婚してまだ数日、一緒に生活し始めて1週間しか経たないけれど、いろんな感情に出会えて面白い。もちろん良いほうに振れるものだけではなく、苛立ったり、めんどくさいなあと思ったりといった後ろの向きな感情も含めて。けれど、自分が思っていたほど甘やかさこそ無くともきちんと地に足をつけていられる感覚がする。


ハレもケもハレというタイトルを掲げ、彼との選択について書き始めて約1年半。せっかくなのでちまちまと、これまでを書き綴らせてください。


🕊


ひょんなきっかけで彼と知り合ったのが2020年の2月頃。出会った頃に「最初からこんなにピタリと合う人はじめて」と思っていたのが懐かしい。
今となってはこんなにも真逆なことってある?とふたりで笑ってしまうほど、細々としたところの好みが違う。そもそも見た目が30cm超の身長差なので、凸凹コンビなのだと彼がご友人に説明していた。
食べたいものはすんなりと重なるのに、せーので箱の中から好きなものを選んでいくと終盤まで重ならないような、そんな人。
彼が我々のことを「4分類でカテゴライズすると同じところにいるけれど、9分類でカテゴライズすると確実に違うところにいる」と表していた、その言葉に尽きる。けれど、その違いを楽しいと思える相手で、根っこの部分は近しいところにあると思える不思議な人だ。


関係性が友人から恋人に移り変わろうとする少し前、一緒にお茶を飲みながら( 不思議な人だなあ )と思ったことをよく覚えている。彼より話が弾む男の人も、趣味が合う男の人も、一緒にいてドキドキする人も個人名で浮かぶ。2人ともよく話すほうではあるけれど、絶え間なく話しているというよりは結構な頻度で沈黙が生まれる。


けれど、どうしてか、「この人が欲しい」と人生で初めて思った人だった。


物みたいに扱う乱暴な表現で申し訳ないけれど、そのときはっきり抱いた感情がそれだったので許してほしい。一緒にいると居心地が良くて、この人のどこが好きなの?と聞かれると言語化するのにすこし躊躇うけれど、この人といるときの自分が好きだと思った。

仕事が楽しすぎてかつて恋人を振り、「ポエマーみたいな言葉を選ぶね」とかつて男性から笑われたことがあるわたしに、「仕事に対する姿勢と言葉の選び方が好き」と言ってくれたのが彼だ。
つい最近も「あなたのいちばんの運命の相手は言語聴覚士という仕事そのものだから、自分は人間部門の運命の相手だと思ってるよ」と言ってくれた。
入籍日当日も午後休こそ取ったものの午前中は働いていて、なんなら早出勤務で患者さんの朝食を見に行っていた。結婚した翌日も午後休で、休日で寝ている彼をよそに7時前に家を出て上司に学会の相談をしに行っていた有様。それだけ自由にしていても肯定してくれるところに救われている。


エブリデイ誰かの有事に立ち合い、数多の家庭環境に踏み込む仕事柄、結婚というものに正直あまり良い印象は無かった。離婚歴のある男性、仮面夫婦、不倫相手のもとに帰る患者さん。これを機に離婚したいから、離婚届に名前が書けるようにリハビリをしてくださいと言われたこともある。
それに、各々が一人暮らしをしながら週末だけ一緒に過ごすこれまでの期間もそれはそれで楽しかった。けれど、それでも尚なぜ結婚することにしたかといえば「自分が決定能力を失ったときに、この人に決定を委ねたいから」で、「何かあったときに1番に連絡が貰えて、自分のこととして動ける立場が欲しかったから」。
なにか起きてしまう前に、なんて縁起でもない思想だと思われてしまうけれど。そんなふうに考えた先に家族になるという選択があったのだと、今では思う。この人と家族になれて今は純粋に嬉しい。


自分の両親を見ながら想像していた結婚生活とも、患者さんがたを通して社会を見ながら覚悟していた結婚生活とも、違う生活になる気がする。
20数年も別の人生を送ってきたのだから、噛み合わないところだってある。苛立ったり、めんどくさいなあと思ったりすることはあるけれど、自分にもっとも近しいところにいる人なだけで彼は自分ではないのだから。けれど、他人と暮らすからこそきっとこれからは面白い。うまくいくことだけが人生の喜びではないと思うから。

「2人で1つ」とは思わないけれど、「1人」と「1人」の生活が重なってふたりで暮らしているのだとは思うようになった。それに、この世で1番好きな他人が家族になったことを幸福に思う。あとはお互いの努力のうえで、この日々が1日でも永く続けばいい。


ハレの日も、ケの日も、この人とならいつだってハレの日くらい良い日になる。


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