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大切なことはいつも書店が教えてくれた

初めてクラウドファンディングに参加した。ブックストアエイド基金というものである。


詳しくはこちら↓に。

いつか行こう行こうと思い続けていた書店も入っていたので、そこの名前を備考欄に書かせていただいた。

ここに挙がっていないけれど、応援したい書店は沢山ある。東京・神保町のバックハウスカフェとか。石川・オヨヨ書林とか。岡山・蟲文庫とか。福岡・taramuとか。熊本・橙書店 / 汽水社とか。旅行先で街の書店を探すのが好きだ。それもジュンク堂や蔦屋書店のような大型店舗ではなく、個人経営の古書店にうんと惹かれる。一歩足を踏み入れると、ふわりと漂うインクの染みた匂いが好きだ。ああ、そう、これこれ。と、いつもおもう。

思い返せば、青春時代のいつも近くに本があった。


小中高のおおよそは図書委員だった。小学校の頃は委員長までした。

高校では、部室と図書室が唯一わたしにとって息ができる場所だった。虐められていたわけでは決して無い。けれど、きゃあきゃあと飛び交う華やいだ声が、女子特有の馴れ合いが気持ち悪くて、泣きながら学校に通っていた時期があった。毎日電車に乗っては吐きそうになっていた。教室で授業を受けて、昼休みになるとすぐに図書室に行った。そこには、同じように教室の喧騒を嫌う友人たちと、いつも自分の世界を生きている図書司書の先生がいた。

いつも穏やかで、親しみやすくて、適当で、すこしだらしなくて、とても本に詳しい先生だった。司書室の掃除は図書委員の仕事のひとつだった。マグカップを洗ったり、テーブルを片付けたりする代わりに、いつもとびきり良い本を勧めてくれる先生だった。白玉団子を捏ねたり、ストーブでマシュマロを焼いたりしながら過ごしたあの場所があったから、わたしはきっと高校を嫌いにならずにいられたのだとおもう。


大学時代は3年間、書店でアルバイトをしていた。バイト先は県内でも有数の大型店舗だったので、いつも新刊に囲まれて右から左へ本を捌いていた。小さい頃から本が好きで、ずっとポップを描くのに憧れ続けていたわたしにとって、バイト先は天国だった。ポップを描くどころか、いつのまにか卒業間近には発注やコーナー作りまで任せてもらえるようになった。大学の友人たちに「いい加減バイトしてないで勉強したら」と忠告されてしまうほど、隙あらばバイトばかりしている大学生だった。バックヤードのインクの匂いがだいすきだった。

そしてバイト代で、そのまま取り置いている本を買ったり、だいすきな古書店で本を買ったりした。大好きな古書店は、わたしにとってセーブポイントだった。街の通りをすこし歩いた先にある、あたたかな明かりのお店。閉店時間があまり決まっておらず、つい店主の方と長話をしてはダラダラ居座る迷惑な客だった。進路の話も恋愛の話も大学の話も、すべてここに落としていった。


本が好きだ。けれどそれ以上にわたしは、本が沢山ある図書室が、そして書店という空間が好きだ。行くたびに新しい出会いがある。知らなかった作家、気にも留めたことがなかったジャンルにこれまで沢山出会った。ちくま文庫の背表紙の色のやさしさも、岩波文庫のつるりとした手触りも、an-anの紙が鋭利で手を切りやすいことも、大学生になって初めて知った。存在すら知らなかった雑誌がこの世には山ほどあって、きちんと一定数以上それを買い求めにいらっしゃる方がいることを、19になるまで知らなかった。どんなに険しい顔のおじさんも、疲れた顔のお姉さんも、目当ての本をレジに持ってくるときだけは良い顔をしている人が多かった。きっとわたしも同じような顔をして、いつもレジに本を持って行っているのだとおもう。

ネットショッピングはたしかに便利だ。この数ヶ月間は、どうしても欲しい本が決まっているときはわたしも利用した。家にいながら新しい本が読めるのは有り難かった。けれど、緊急事態宣言が解除されて、ようやく街に人が戻ってきて、まず他のお客さんがいないか確認した上でマスクをして向かったのは書店だった。惹かれるがままに本を手に取った。知りもしなかったような作家さんの本に出会えることが、インクの匂いを感じられることが、これほど嬉しいことだったなんて知らなかった。本をレジに持って行きながら喜びで胸がいっぱいになり、泣きかけたのはこれが初めてだった。

だからどうか、ひとつでも多くの世の書店に生き残ってほしい。若者の活字離れが嘆かれているらしいけれど、活字に飢えて掃除機の説明書まで読み始める若者もここにいるから。どうかこのご時世でも誰かに本を届ける場所は街にあり続けてほしい。それがわたしにとって光だから。


わたしの人生にはまだ、本から、書店から教えてもらいたいことが山ほどある。



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