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ハレもケもハレ14 : 病めるときも健やかなるときも、彼と

お付き合いをしている彼と同棲を検討し始めたのをきっかけに、人生とは?結婚とは?家族とは?を考え始めた今の心境を書き綴ることにしました。
お好きなところだけつまみ食いしていただけると幸い。

今回は顔合わせの延期と、同じ苗字で家族と過ごす最後の時間の話です。

🕊

水曜日、彼がついに捕まってしまった。

世を賑わせやがっている、件のアレに、である。昨晩いつもなら連絡が来そうな時間に返信が無かったあたりから胸騒ぎがしていたけれど、まさにだった。なぜか敬語でやりとりをしているLINEの通知画面に「大変申し訳ないんですが」の文字が見えた瞬間、すべてを悟った。


ほんとうなら、日曜日が両家顔合わせの予定だった。


もう数ヶ月前から予定を組み、わりと無理やり仕事のシフトを調整してもらって休みを取っていた。ジワジワと、ぞくぞくと増える感染者数のニュースを観ながら、毎日どうか逃げ切らせてくれどうか無事に終わらせてくれと願い続けた。駄目だった。

今までで1番、世を憎んだ。

自分が患者さん経由で濃厚接触者になって仕事が休みになるより、職場でクラスターが発生して病棟が閉鎖するより、自分にとってもっとも近しい人が感染するということがどれだけダメージの大きいことなのかを、身を以て知った。

謝り倒す彼。「顔合わせは、延期でも私抜きでもいい。最終的には委ねてしまうことになってしまうから申し訳ないけど、でもあなたが良いようにしてほしい」と口にする彼。分かるよ、寄り添ってくれてありがとう。でもねそうなのそれが重荷なの。と、言いたい言えないわたし。


結局、悩んだ末に顔合わせは延期することにした。
九州の実家に暮らす両親とはそのまま予定通り会うことにした。もう飛行機もホテルも取ってしまっていたし、婚姻届だって書いてもらいたかったし。なにより、こうして同じ苗字で2人に会うのはこれが最後だったから。
最大限に感染対策をして、会うことにした。


両親と会うのは、彼がわたしの実家に挨拶に来た、6月の頭以来だった。まとまった休日を取るタイミングがわからず、年に一度しか実家に帰らなかった社会人1年目の頃に比べたら、ここしばらくはやれ挨拶だの友人の結婚式だので実家に帰ることが増えていた。とはいえご時世柄、2人が東京に来るのはこれが初めてだ。Googleマップで見ていたというわたしの住む街のあちこちを歩いては、「地図で見たことある場所だ〜」と話していた。

ひさびさに会えた嬉しさと、「なかなか熱が下がらなくて」「熱は下がったんですが、酸素が薄くて体に力が入りません」と定期的に彼から送られてくる報告のLINEによる不安とで、内心ちっとも穏やかではなかった。そんなざわつきをつゆ知らず、婚姻届の証人欄を埋める父の横で母が泣いていた。


「もう、同じ苗字じゃなくなるんだ、中村あおい( 仮名 ) は存在しなくなるんだと思うと寂しくて」


ああそうか、結婚するってそういうことなのだ。

分かったつもりでいたけれど、ぽちゃんと心に落ちた。ちいさな石が底に沈むみたいに。
世の中には自身の苗字にアイデンティティを見出している人が少なくないことは知っている。それゆえに事実婚を選択するパートナーシップが多く存在することも。けれどわたしは苗字が変わることに対して、寧ろ好意的だった。自分が唯一選べる家族と同じ苗字になるということは素敵だと思っていたから。
母親や父親は選べないけれど、夫となる人だけはわたしが選べる家族なのだ。他人として20数年を生きてきた人と、向こう何十年かを0親等として生きるということ。本人と同じ位置付け、つまりは自分そのものとなるということ。

それはある種の喜びであり、また、完全な子離れの象徴なのだということを知った。

ここでしばしば書いては消しを繰り返していたように、我が母はネグレクトと対極のところにいる。良い母親であることに間違いはないのだけれど、その愛は正直重かった。わたしのことを一人格として受け入れようとしてくれてはいたけれど、どこかで自分の分身のように思っていた。義理の息子となる彼へ過剰にコンタクトを取ろうとしたり( これはわたしが真剣に怒って止めた ) 学生時代は1ヶ月の全スケジュールを毎月共有しなくてはならなかったり、こっそりバイトの時間を伸ばしたことが気付かれようもんならバイト先まで電話をかけてきたり、と、まあ「すこし」愛の重い人だ。敢えてここではすこし、という表現を使うけれど。


だからこそ、解散した後に自宅で浴槽にお湯を張りながら、こっそり安堵してしまう自分がいた。
親元を離れ、自分が働いたお金で家具を買い集めて家賃や光熱費を払って生活をする、この家が好きだとあらためて思った。ここがわたしの築いた城だった。

それに、一度足を踏み入れただけの両親よりもわたしの家を自分の次に知り尽くしている人が家族になることに安心した。血の繋がりだけがすべてでは無いのだ。

「お互い一人暮らしをしながら週末だけ行き来する今の生活のほうが、絶対に楽だよね」と言い合いながらも結婚することを我々が選んだのは、家族になることでしか得られない特権が欲しかったからだ。それは平穏な日々ではなく、有事の時こそ発動するもの。自分が決定能力を失ったとき、なにかを決めてほしいのがお互いだと思った。だから家族になろうと思ったのだ。今回を経て覚悟ができた。相手が苦しいとき、手を伸ばせない現状がこんなにも辛いと思わなかった。この人が苦しいときは、自分も苦しいのだ。一緒に苦しくありたいし、自分だけは強くいたいのだ。ふたりで折れてしまわぬように。


「病める時も健やかなる時もなんとやら、ですし、個人的にはこういう時に手が伸ばしたいから結婚するんだもんな〜と思いました。
またいろんなこと、これからもご相談させてください。」

「こちらこそ、頼りにしてます。迷惑かけっぱなしなので、なんでもいつでも相談してください!」


そんなふうにLINEを交わしたこの人と、病める時も健やかなる時も生きていく。
そんな選択をするまで、もう3週間を切った。



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