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【創作BL】プレゼントは期待の先に

※去年のイブに投稿した、こちらのお話の別視点です。
 どちらも単体でお楽しみいただけますが、読み比べていただけると嬉しいです!


 乾いた衝撃音と共に、左頬に走る熱さ。次いでじわじわと焼けるような痛みが広がる。

「……なんで告白断っただけで、こんな目に遭うんだ……」

 泣きながら走り去って行った女の子の姿は、もう見えなくなってしまった。

『あんなに優しくされたら、期待するじゃない!』

 別に、そこまで優しくした覚えはない。ごく普通に接していただけなのに。君のことが好きとか、可愛いとか、そういう甘い言葉を言った覚えもない。深い深い溜め息をつくと、頬が切れるような痛みが走った。

「おい」

 聞こえた声に振り向くと、そこには一人の男が立っていた。あ、この人知ってる。講義が何個か被ってて、あと単純に容姿がめちゃくちゃ好みで、かっこいいなと思っていた男だ。同じ場所に居合わせると、どうしても目で追ってしまうような、そんな存在の人間。

 ていうか、今の、見られてた?

 背中に冷たい汗が伝う。思わず左頬に手を当てて、何を言おうかと思考を巡らせた。目の前の男は肩からリュックを降ろすと、中を探った。
 疑問符を頭に浮かべたまま、その手を見つめる。大きくて骨ばっているけれど、綺麗な手。どうしよう、手も好みだった。
 じっと見つめているのも悪いかと思い、視線を泳がせる。どきどきと音を立てる心臓を抱えて、先の見えない展開が動き出すのを待っていた。
 視界の端で、その手が取り出したのは、個包装に入った不織布の白いマスクだった。そしてそれは、俺へと差し出された。有無を言わさず、という空気に呑まれ、素直に受け取ると、男はリュックを担ぎ直した。

「お前にはちょっとでかいかもしれないな。まぁ、今日はその方が都合が良いだろ」

 ふ、と笑みを零すと、男は踵を返して去って行った。何かを言えば良かったんだろうが、何も言葉に出来なかった。両手で受け取ったマスクのビニールが、くしゃりと音を立てる。
 落ち着け。多分、さっき俺が叩かれるのを目撃して、頬が赤く腫れるのを見越して、マスクをくれた、と。

 ……なにそれ。
 めちゃくちゃかっこいいじゃん……!!

 一気に顔が熱くなる。頬を叩かれた時よりも、もっと、もっと、芯から熱くなるような衝動。心臓がばくばくと音を立てて暴れ回る。
 どうしよう、本当に、好きになってしまった……!


 それが、約3カ月前のこと。あの日の空気、秋晴れの雲一つない青空を、俺は鮮明に覚えている。

「あれ、なんか急いでる?  もしかして、デート!?」

 ぴし、と身体が強ばった。そう声を掛けられたのは俺ではない。授業終わりの講義室。背後に座っている男が平然と口を開いた。

「いや、バイトだ」
「え〜!?  イブなのにバイトなの!?」
「今日だと割がいいんだよ。じゃあ、またな」
「夜中、雪降るみたいだよ!  気を付けてね!」

 俺の横の通路を通り、男は講義室を出て行った。クリスマスイブなのに、バイト。つまり、恐らく、恋人はいない。思わぬ朗報に口角が上がる。それなら、俺が君のイブを奪っちゃおうかな。
 席を立ち、廊下に出た所で後ろから呼び止められた。顔を赤らめた、見知らぬ女の子。次の言葉を聞く前に、先手を打った。

「ごめんね、急いでるんだ。これから大事な用があるから」

 悲しそうな顔は見たくなくて、すぐに踵を返して駆け出した。


 一番格好良くて、一番似合う服に身を包み、家を出た。我ながら、『これからデート』という感じがする。君のバイト先を知ったのは、本当に偶然だった。今までは逆に、行くことは無かったけれど。
 クリスマスの装いに染められたコンビニの、自動ドアをくぐる。

「……いらっしゃいませ」

 レジカウンターの中で、サンタの帽子を被っている君がいた。そんな目つきの悪いサンタクロースがいてたまるか。でも、それすらも愛おしくて、一直線に君の元へと向かった。

「ホットのミルクティーください」

 俺に気付いた様子はなく、特に会話もせずに会計を済ませた。コンビニ内のイートインスペース、数少ない2人掛けのテーブル席に足を進め、レジカウンターの方を向いている椅子に腰を下ろす。ちょっと申し訳ない気もするけど、許して欲しい。ここなら、君の姿がよく見えるからね。

 視線を上げると、客が途切れたのか一息ついて、窓の外を見つめている君が映った。暴れ出す心臓を落ち着かせるように、カップを両手で包み込んだ。熱々のミルクティーが、手のひらをじわりと温める。

 すごい、デートじゃん。クリスマスイブに、好きな人を独り占め。贅沢だなぁ。
 ところで、君のバイトが終わるのは何時なんだろう。まあ、何だっていいか。気が済むまで、この空間を楽しませて貰うことにする。

 それにしても、本当にかっこいいなぁ。人類皆が惚れてもおかしくないと思うんだけど、君の噂って怖いとか睨まれたとかそんなんばっかり。
 健康的な肌色に似合う、長めの茶髪。チャラく見えないのは、その髪を額から掻き上げるようにオールバックにして、くくってるからだろうな。なんて言うんだっけ、あの髪型。……ああ、ハーフアップか。ヘアゴムにこだわりとか、あるのかな。

 自分が男性女性、どちらも恋愛対象になると自覚したのは、結構前の話だ。同性のことを「かっこいい」だけじゃなくて、「そういう目」で見ている時があると気付き、素直に受け入れた。でも、本気で好きになり、ここまで夢中になっているのは、性別問わず、君が最初。

 ちらりと窓の外へ目を向ける。駅から続々と出て来る人達。手を振り合って合流したり、スマホを見つめていたり。皆が皆、幸せそうにキラキラしている気がする。でも悪いね、この瞬間、世界一幸せなのはこの俺だ。


 2時間後。
 俺は、自分で言うのも何だが待つのは得意だった。でも、座り心地が良いとは言えない椅子、ずっと滞在するには適さない低めの室温が牙を剥いて来た。そりゃそうだ、コンビニのイートインスペースに何時間も滞在する人間はほぼ居ないだろう。

 外の人通りが少なくなると共に、コンビニに入店する客も減って来た。最後にあの音を聴いたのは、どれほど前だっただろうか。
 客が居ない時でも、君は基本レジカウンターの中に居て、何かの作業をしていた。案外、真面目なんだなぁ。こつんと当たった指先が、カップを倒しそうになって慌てて掴んだ。とっくに冷えきったミルクティーは、あと3口分くらい残っている。

 君以外の店員は見掛けていないけど、もしかして今日ってワンオペなのかな。だとしたら、このままコンビニごと何処かに飛ばされたら、本当に2人っきりになれるのかな。そうしたら、何か変わるかな。そうでもなければ、君との関係が変わることなんて――……。
 語りかけるように目線を上げた時、色素の薄い瞳と目が合った。

「……あ」

 小さく声を漏らす。瞬きをしても、俺の視線の先には間違いなく君が居て、その瞳は俺の姿を映していた。今日初めて、君の世界に俺が現れたような気がして、笑みが零れる。溢れ出る幸せを隠すために俯くと、キィ、という音に次いで足音が耳に届いた。
 まさか、と顔を上げると、そこには眉間に皺を寄せた、この世で一番愛しいサンタクロースが立っていた。見上げる角度で良かった。じゃなきゃ、涙が溢れて仕方がなかったよ。

「何笑ってんだ」
「……ご、ごめん。それ、可愛いね」

 溢れた涙を拭って、その指先を君の頭に向ける。誤魔化したけど、嘘じゃない。

「うるせぇ。ところで、ミルクティー1杯でどんだけ粘るつもりだ?」
「俺、猫舌だから」
「冷え切ってるだろ」
「意地悪なこと言わないでよ、サンタさん」

 乱暴に外された帽子。ちょっと崩れたヘアセットに色気を感じて、邪な気持ちを押し殺す。
 ていうか、話し掛けてくれたけど、もっと話しても良いのかな。

「君、同じ大学だよね? 何度か講義で見掛けたことある」
「ああ」
「やっぱり。でも、話すのは初めてだね」
「そうだな」

 あ、やっぱり。途端に身体が冷たくなって、カマを掛けたことを後悔する。覚えてないんだ、あの時のこと。でもあんなかっこ悪い現場、忘れてくれた方が都合が良いような、そうじゃないような。
 窓の外へ向けられた視線。その横顔に見蕩れていたら、すぐに向き直られた。

「待ち合わせか?」
「まぁ、そんな感じ」
「……彼女か」

 なんでそんなこと聞くの、と自分に興味を持って貰えたのかもしれないという期待が渦巻く。落ち着け、焦らず、ここは慎重に。緊張から微かに震える手を、ひらりと振った。

「残念ながら、違うよ」

 正解確実だと思っていたのか、驚いた表情を見せた君は口を閉ざした。じゃあ誰? ってことだろう。

「そんなに驚かなくても。彼女じゃないよ。でも、クリスマスを一緒に過ごしたいなって思う人を、待ってるんだ」

 ああ、なんだか嬉しいな。伝わるわけもないし、伝わって欲しいわけじゃないけど、君に好きだと言っているみたいで。
 君は何も言わずに、振り返った。視線を追うと行き着いた先は掛け時計だった。時刻は21時半。

「約束は何時なんだ」
「19時の予定だったけど、まだまだ長引きそうかな」
「……本当に、来るのか?」
「うん、多分ね」

 自分でも流石に苦しいなと感じる返答。怪しまれてはいないだろうか。もっと設定を練って来るべきだったかもしれない。でも、君と話すことになるなんて夢にも思ってなかったから。……もっと、話したい。今日だけでも、いいから。
 財布から取り出した硬貨を、テーブルの上に置く。

「ねぇ、奢ってあげるからさ、話し相手になってくれない?」
「……一応、仕事中だ」
「でも、君以外の店員さん見掛けてないし、お客さんも全然来ないよ。来たら勿論対応して貰って構わないからさ、それまで俺とお喋りしてよ」

 ね? と首を傾げる。君は悩んでいるのか、視線を泳がせた。何だ、一体何を天秤にかけてるんだ。金額? それとも、俺が怪しい?

「飲み物だけじゃ足りない? 肉まんとか食べる?」
「……そんなに貢がなくていい」
「ん、じゃあこれ」

 いくらでも貢がせて欲しい、という思いを抱きつつ、硬貨を差し出す。わざわざテーブルの上から掬ったのは、あの手にもう一度触れたかったから。
 今日は、俺から渡すんだね。


 視界の端に、何かが過ぎった。窓の外へ目を向けると、雪が降っていた。いつから降り始めたんだろう。会話に夢中で、全然気が付かなかった。
 それと同時に、今何時と掛け時計を見ると、もうすぐ24時というところだった。

「勤務は何時までなの?」
「24時だ」
「あと、もう少しだね。うーん、流石に日付越えたら俺も帰ろうかなぁ」

 君が居なくなるのに、俺がここに居る理由はない。

「……その方が良いんじゃねぇか。雪降って来たしな」
「そうだね、お腹も空いたし」

 残しておいたミルクティーを口に運ぶ。冷たくて甘い雫が、喉へと落ちていった。
 もうすぐ、終わってしまう。一緒に帰れたりするかな、と思ったけれど、どうだろう。終電は去ってしまったし、帰る手段がタクシーしか無い。君の家は確かこの辺りだったから、歩いて帰れるのだろう。ならば、ここでお別れだ。
 冷え切ったミルクティーを飲んだせいか、身体が酷く冷たい。まだ、一緒に居たい。

 なぁ、と声を掛けられ、顔を上げる。君の瞳に、俺の姿が映っていた。

「……ラーメン食いに行くけど、来るか?」

 一瞬、何を言われたか分からなかった。俺の望んだ幻聴かとも思った。身体中の血液が沸騰するような衝撃と、治まらない鼓動。全身から溢れ出る嬉しさをそのまま伝えてはいけないと、僅かな理性が、あ、とか、でも、と小さく呟く。

「どうすんだ」

 ちょっと笑うような、まるで、仲の良い友達に向けるような声。俺が行くって言うって、分かって言ってるみたいな、そんなの、ずるい。

「……いいの?」
「奢りじゃねぇぞ」
「そんなつもりはないよ。行きたい。連れてって」

 時計の針がかちりと音を立て、24時を報せた。
 魔法は、解けなかった。



 支度して来る、と言ってバックヤードに消えた君の背中を見送って、大きく息を吐いた。
 なにこれ、夢? 夢なら一生覚めなくて良い、このまま死ぬ。どうして、ほぼ初対面の俺と話をして、ご飯にまで誘ってくれたんだろう。約束をすっぽかされて可哀想だと思ったから? でも、こんなに、優しくされたら――……。

『あんなに優しくされたら、期待するじゃない!』

「……そうだね」

 初めて、あの子の言っていた意味が分かった。今日、君が俺に与えてくれた優しさは、『優しさ』であって『好意』じゃない。
 期待はしても良い。でも、期待に応えてくれなかったからって、それは相手のせいじゃない。
 期待なんてしたくない。見返りなんて求めたくない。ただ、君のことを好きでいたい。

「悪い、待たせたな」
「ううん、お疲れさま」

 今やっと、待ち人が来たよと心の中で語りかける。並んで自動ドアをくぐると、痺れるような冬の冷気が身体を包む。雪はまだ降っていた。ホワイトクリスマスだね、なんてことは口にしない。

 駅前には誰の姿もなくて、本当に、世界に2人だけのような感覚に陥る。巻いていたマフラーを口元まで上げて、笑みを隠す。幸せだなぁ、好きだなぁ。涙が出そうなのは、寒いからだよね、きっと。
 君が進む方向に、足並みを合わせて着いて行く。ふわふわ、きらきらとした雪を踏み締めながら。はぁ、と白い息が君の前に立ち上る。

「……だいぶ待ってたのに、残念だったな」

 その言葉に、息を呑む。……違う。でも、本当のことなんて言えるわけが。

 俺は誰が好きで、誰を待っていた?
 君に、誤解されたままでいいのか?

 期待はしていない。拒否されるかもしれない。嫌われるかもしれない。もう二度と、話せないかもしれない。それでも一生、君への恋心を抱えて生きて行きたいと思った。

「ううん、願った通りのイブだったよ」
「……は?」
「俺が待ってたのは、君だから」

 静かな夜に、俺の一言は間違いなく君へと届いた。驚きと混乱の色が見える表情に、笑いかける。

「メリークリスマス」

 君は何も言わなかった。
 俺は足を止めた。一歩先へと進んでいた君が振り返ったまま、足を止める。
 俺は動かなかった。
 2人の間に、白い息が立ち上る。

「……俺は、寒いのが苦手なんだ」

 そうなんだ。知らなかった。

「早く、行くぞ」

 伸びて来た手が、コートの上から俺の腕を掴む。黒い手袋の上に、細かい雪が落ちては溶けた。
 引っ張られるように、早足で後を着いて行く。視界が眩くように歪んで、零した涙が凍る前にこっそりと拭った。

 好きも嫌いも、良いも悪いも無かった。でもこの寒さの中に俺を放り出そうとせず、一緒に食事をしてくれる道を選んだのは、優しさなのかな。

 どっちでもいいか。
 この夢のような時間は、サンタさんからのプレゼントだと思うことにするよ。

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