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#29 イギリスのジムでトルコ人に強制的にオーバーワークをさせられる 30代からの英国語学留学記 2018年2月25日 

2度目の日曜日。

朝9時に目が覚めて朝食を食べにダイニングへ向かうと、週末にも関わらずシナンと出くわす。土曜の夜はどこかへ夜遊びをしていたようだが、今日は珍しく朝早く目が覚めたらしい。

タイミングよく休日の朝食を二人一緒に取れたことに対し、シナンはどこか運命染みたものを感じたようで、家の近くにあるジムへ一緒に行こうぜ、と僕をアクティビティに誘ってくれた。

仲の良い友人の一人がウェイトトレーニングに非常にハマっており、機会があれば英国のジムをレポしてくれ、と頼まれていたのと、僕個人としてもジムで体を鍛えることは結構好きなタイプだったので、これは良い機会と思い快諾。

ここの所オヌールの我儘に振り回され続けてきたので、奴よりはしっかりしており在英生活も長いシナンであれば安心であろう。

ジムは会費制であり、月額料金は40ポンド、日本円で6000円(2018年2月当時)と結構高いが、ビザ無しの外国人でも入れるらしい。
いきなり会員にはなれんよ、と難色を示したのだが、シナン曰く初回は体験とのことで、入会せずともタダで設備を利用できるとのこと。太っ腹。

ジム用のシューズや服は持っていなかったが、道中にある小規模なショッピングセンターにその種のモノは全部売っているので全く問題ない、とのことで、タオル以外ほぼ手ぶらで向かう。

前回の水タバコ屋が想像以上に遠い辺鄙な住宅街のど真ん中にあったため、シナンの言う「近い」には若干疑いをもってはいたが、シティーセンターの逆方面を10分程度歩く無事ついたため一安心。
ここオックスフォードは住宅街の中にも、商店等がある程度立ち並ぶ小規模な商業エリアがありちょっと驚く。

トレーニング用品も何と総額20ポンド程度(当時3000円)でウェア上下、シューズ共に揃ってしまった。イギリスは服飾関係は本当に安い。


ここまで恐ろしいほど順調。
異国のジムでwork outをエンジョイするか、と喜び勇んでいたのだが、

残念ながらそうは問屋が卸さなかった。

イギリス、オックスフォード郊外のジムが悪いのではなない。

お節介焼きのトルコ人・シナンと一緒にジムへ行ったのが問題だった

まぁ彼の誘いがなければそもそもジムに行くことはなかったのに、この言い草は酷いとは自分でも思う。
シナンは押しつけがましいほどの超お節介さんなのがいけないのだ。


シナンの近影 長いこと一緒にいたのだが写真4枚しかなかった

今回訪れた英国のジムは、全体的に日本のジムと似通っていたが、一番異なる点はフリーウェイト用のパワーラックがかなり多く置かれていることである。

マジョリティーである白人男は皆フリーウウェイトに張り付いており、それ以外のマシン、特に日本では大人気の有酸素運動マシンの類はガラガラであり、これらを使っているのは白人女子か小柄なアジア人くらいであった。

余談だが白人女子はやたら露出が高い服を着ている。ただし年齢問わず、体型を問わずではある。
色々な意味で目のやり場に非常に困るのだが、
シノンは「これもジムへ行く大きな目的の一つDAZE」とのこと。


流石に20代前半の白人男性、性欲が強い。

ただ一番困惑したのは誰もタオルを持ち込んでいないこと。
日本のジムでノータオルは最大のギルティである。
器具を使った後は必ず入念に付着した汗を拭かなければならないし、トレーニング中に汗が飛び散ることを極力防ぐために、身体も定期的にタオルで汗を拭わなければいけない。

だがここオックスフォードのジムでは誰一人としてそれをしていない。

一応ジムのルール・マナーとして明記されている案内板が至る所で目に付くのだが、そもそも誰もタオルを持ちこんでいないので守れる訳がない。
そして何故かトレーナーも注意しない。あんたらはしろよ

しかもフリーウウェイトを使った後、誰も器具やウェイトを元の場所に戻さない。そのためウェイト置き場は乱雑そのもの。これは安全性的にも良くないのではないか。

そしてストレッチゾーンでも誰も靴を脱がない。
皆靴を履いたままマットの上に載ってストレッチをしている。
それじゃマットの意味ねえだろ。いくら靴を脱ぐ文化がないからといってそりゃないぜ。

ちなみにうちのホストファミリーはイギリス人ではあるが、家の中では靴を脱ぐ文化を持っている。
ただ玄関にげた箱はないので、最初は靴を履いたままなのかな、と思ったのだが「すまんが靴を脱いでくれ」と言われ驚いたものだ。

靴に関するルールについてドミニク先生に聞いたのだが、「60年近く生きているがイギリスでそんな家があるなんて今まで聞いたことないよ。ラッキーだったね。アジア人のあなたにば快適でしょう」という如何にもイギリス人的な返事が返ってきたものだ。

閑話休題

それでも設備自体はちゃんとしっかりしている。どう運用するかはこちら次第。普通にやれば問題はない、筈。

だが妙にシナンがトレーニング方法に口を挟んでくる。

「俺は会員でここで半年近くトレーニングに勤しんでいるから俺のやり方をお前もやるんだ。それが絶対に良い!」とこちらに対してシナン式トレーニング方法を強制してくる。

そのシナン式トレーニングというのは超低負荷で回数をひたすらこなす、といううやり方。

しかもフリーウウェイトで負荷をかけるのではなく、油圧マシンか自重によるトレーニングの方が望ましい。その方がナチュラルで真に使える筋肉が育つ、と彼は信じているらしい。

それじゃわざわざジムに行かんでも、家や公園でトレーニングすりゃいいんじゃないの、と口答えするも、「ジムでやるからこそ意味があるのだ!」とのこと。
自重トレーニングへの謎の信仰。

彼の考えも一理あるかもしれないが、低負荷で筋肉肥大を起こすには、かなりの回数を行い追い込まなければならない。それはやたら時間がかかるし、時間をかけたウェイトトレーニングは集中力が続かず誤ったフォームで行うことになりケガをするリスクが高くなる。

僕には僕のやり方があるので、と当然断るのだが、トルコ人特有の押しの強さがシナンにもある。

一緒に来たのだから同じトレーニングを一緒にするべきだ、俺の方がトレーニングに慣れているからお前もその方が絶対良い、と全く聞かない。

結果的に低負荷で回数を異常にこなす(1セット100回を3セット)退屈でツライだけのトレーニングに付き合う羽目になってしまった。

それだけでもキツイのだが、シナンは何故か同じ部位を連続してトレーニングしたがる。

既に疲労困憊の筋肉を休みなく負荷をかけても意味がない所かケガの危険性があるのに、何度もアームカール系のトレーニングを彼はやりたがる。
筋繊維の回復を待つ、という概念が彼にはなく、休みなく追い込めば追い込むほど強靭な肉体が出来る、と信じている。

昭和の運動部のような価値観を、この22歳のトルコ人男性は持っている

加えてシナンはストレッチを全くしない。

トレーニング開始して数十分で既に腕の筋肉が限界を迎えており、経験上悪い筋肉痛が長時間続きそうなので、隙を見てストレッチをしようとすると、「ストレッチなんぞ老人がエクササイズでやることだ、二度とするな!」
と怒鳴られるのである。

因みにジムへ入ったのは11時頃。流石にお腹が空いてきたため、施設内で売っているプロテインやバナナ等の果物類を買おうとしたのだが

「そんなのものは無駄だ!空腹でトレーニングする方が体にいいんだ!No Pain No gainだ!」

昭和の部活より酷い精神論である。栄養がなければ筋肉はできない!

流石にエネルギー切れで死にそうだったので、彼を無視してバナナとプロテインバーを摂取。色々と文句を言っていたが、君と僕は同じ人間ではないから、と言えば納得してはくれた。
この辺をちゃんと折れてくれるのがシナンとオヌールの大きな違いである。折れる折れないの問題ではないのだが。

シナンは22歳で兵役経験もある。三十路で運動不足なアジア人の僕には、彼と同じトレーニングというのは正直非常にキツイ。

こんな感じで4時間ヘトヘトになるまで合わない間違ったトレーニングをさせられた。本当にきつかった。30歳になってここまで肉体的に追い込まれるとは思いもしなかった。

特に一番きつかったのが、重量のある鉄球を腹に落とし腹筋を鍛える、という昔の新日本プロレスでやっていたようなトレーニング。

鉄球を落としてくるのは勿論シナンなのだが、振りかぶって全力で投げつけてくる。
これは拷問である。

だがこんなキツイだけのトレーニングを淡々とこなせるシナンは、大した精神力の持ち主だとある意味関心してしまった。

飯も食わずにこんなツライだけのトレーニングを4時間も、それも毎週末行っているとは恐るべし男よ。

彼は僕と二人でトレーニング出来たことが大満足だったらしく、会員になって来週も一緒に行こうぜ!と笑顔で誘ってきたのだが、勿論断る。

例の如くかなり押しが強かったが、僕は30歳で体力が君よりないし、英語勉強のために仕事を辞めてここに来たのだからこれ以上はできない、と説明すると、納得してくれた。

帰宅後、肉体疲労が限界を迎えたのでそのまま晩御飯まで寝る。
案の定、既にこの時点で筋肉痛が酷く階段の上り下りすらままならない、食器を持つことすらキツイ。

そんな僕の様子を見て上機嫌のシナン

NO PAIN, NO GAINだ!
明日のお前は今日より絶対に強くなっているぞ!


愛すべき男ではある。これ以上は何も言うまい。

夕食後、月曜の宿題をしようと思ったのだが、身体が言うことを効かない。

英語留学なのに筋トレのし過ぎで勉強ができないとは本末転倒である。

貴重な経験はできたが、勿体ない一日でもあった。

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