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男だけどリスカしてた話

十九歳の夏、予備校の一室で腕を切った。それを契機に、俺は何かあるとリストカットで解決するようになった。いやなことがあれば腕を切ったし、むしゃくしゃすれば腕を切った。悲しいこともつらいこともリストカットで蓋をした。他の解決方法は知らなかった。

そのうち自傷行為はエスカレートした。カッターで腕をメタメタに切りつけるようになったし、火のついたタバコを腕に押し付けるようにもなった。心療内科に通いだすと処方された薬で過量服薬をやり、果てはODによる自殺未遂まで起こした。病院に運ばれるようなことはなかったが、一晩ひどい酩酊状態に陥った。

あれから八年、現在俺は二十七歳の大人になった。もう立派な社会人だ。しかし今でも自傷癖は治っていない。いまだに石で自分の頭を殴りつけたり、長いもので首を絞めたりしている。自分を傷つける生き方から抜け出すことができておらず、つまり何も成長していない。

リストカット浪人生

現役で大学にひとつも受からなかった俺は、浪人して予備校通いの日々を送っていた。勉強漬けでストレスフルな環境であったかといえばそうでもない。勉強だけしていればよい環境は案外気楽で、むしろ充実していた。講師陣による洗練された授業も面白く、何も考えていないから先の不安もなかった。しかし、そんな中で今まで一度もやらなかったリストカットは起こったのだ。それはなぜだろうか。

原因は雑音だ。俺は音に神経質で、あらゆる雑音が不快の対象となる。人の笑い声、鼻息、立てる物音、犬の吠え声、金属の擦りあう音……。

しかしこれらは些末な問題。俺が最も嫌いなのは、咳・咳払い・鼻をすする音の三つだ。これは常に俺の神経を逆撫でし、逆上させる。終始鼻をすすっている相手に因縁をつけ、トラブルになったこともある。

そのため、基本的に俺は耳栓を一日中つけっぱなしにするか、スマホアプリでイヤホンから環境音を流して音を遮断している。そうしないとまともに生活できないからだ。だが、その頃はまだそんな試行錯誤とは無縁の日々だった。そして事件は起きた。

九月最初の授業前だった。少し遅くに教室に入った俺は、唯一空いていた席に座った。しかしそこは、俺が「ハズレ席」と呼んでいる場所だった。近くにいた男子生徒が鼻をすすっていたからだ。それも一度や二度ではない。鼻炎かと思うほど何度も何度もしつこくすすっている。

できれば今すぐ席を変えたい。だがどこも満席だ。俺は仕方なくそこにとどまった。その間にも生徒は鼻をすすり続け、俺の怒りはふつふつと温度を上げてゆく。

五分経ち十分経ち、とうとう俺はキレた。腹の中で煮えくり返ったやり場のない感情を、自分にぶつけた。金属製の折れたペンのクリップで、左腕を何度も何度もひっかいたのだ。皮膚が破れ、じんわりと涙のように血があふれてきた。

俺は自分の行動に驚いた。しかし、それ以上に興奮していた。これはリストカットだ。俺は今、すごいことをしたんだ。そう錯覚した。妙な特別意識が生まれた。今までのいら立ちが嘘のように消え、生まれ変わったかのようにさわやかな気分が俺を包んでいた。この体験に味を占めた俺は、リストカットを嗜癖化してゆく。

自傷、バイト、単位稼ぎ

翌年、大学に入学した。なんとか志望する大学へ入学し、五年かけて卒業したものの、振り返れば空虚でお粗末な学生時代だった。浪人時代の方がまだよかったとすらいえる。

そこには思い出らしい思い出は何も無い。自傷行為、アルバイト、単位稼ぎ。その苦い記憶が全てだ。恋人どころか友人ひとりおらず、常に暇と孤独を持て余していた。集団に属する面倒を避け、ゼミにもサークルにも入らず、ひたすらキャンパスと自宅を往復していたのだからそれも当然だ。

一年生の夏休み、コンビニでのアルバイトを始めた。長い休暇に退屈し、せめて大学生らしいことをしようと思ったのだ。人付き合いは苦手なはずなのに、家から近いというだけで勤め先を決めてしまった。当然、これは大きな間違いだった。それから自傷行為は坂を転げ落ちるようにどんどん悪化していったからだ。

高校時代に短期で郵便物の仕分けをやった以外にバイトの経験はない。そんな俺についた先輩は高校生のアルバイトだった。彼は鋭い口調で何でもはっきり口にして、相手が年上だろうと臆することがない。つまり俺とは正反対の体育会系だ。彼の下で俺は毎日怒られながら仕事をした。少しでも間違えれば叱責やきつい言葉が飛んでくる。「普通に考えろよ」というのが彼の口癖だった。

俺は年下にアゴで使われ怒られる理不尽に憤るより、ただ怯えた。怒られることがとにかく怖かった。次また怒られたらどうしようか。怒られないためにはどうしたらいいだろうか。四六時中そんなことばかり考えていた。そのため神経は過敏になり、一度注意されるだけで気持ちが絶望的になり、頭の中が真っ白になって何が何だか分からなくなる。そしてまたミスを繰り返す。そんな悪循環にはまっていた。

客たちとの関わりも最悪だった。来店するのは気難しいオジサンばかり。その人たちにもよく怒られた。怒られるといっても発生するのはほとんど理不尽な叱責だ。

意味不明な理由で突然怒鳴り散らすトラックの運転手、気に入らないと嫌みばかり言う年配者、奇怪な言いがかりをつけるハゲの親父、馬鹿にして「お前は頭が悪い」と面と向かって口にする年寄り……普通なら相手にもしたくないような連中に頭を下げなくてはならないのが嫌だった。そんな時でも俺は怒りなどみじんも感じない。ただ怯え、恐れ、しどろもどろになって涙をこらえるのだった。

そこにいる時間は常に面接中のように緊張し、一日の終わりに何事もなければ天に感謝していた。客に怒鳴られたり罵倒されなければラッキー。そんな状況であったから、精神状態はすぐに悪化した。家に帰るとカッターナイフを持ち出して腕を切るのが習慣となった。

自分で自分の体を傷つける行為には「効能」ともいうべき鎮痛作用があった。自分でどうにもできない不快感や心の痛みを感じる時、血が出るほど体を痛めつけることで何故か気持ちが落ち着くのだ。流れる赤い血を見て、焼けるような痛みを感じて、気分が楽になった。どこか救われたような気持ちになった。最初のうちはドキドキしながら浅く切っていたのが、しだいにためらいのない深い傷が増えていった。

こうしたメンタル面の悪化から、持ち前の自己嫌悪が強まり、それもまた強烈な自傷衝動の引き金となった。俺はもともと欠点だらけで魅力のない自分が好きではない。元来の自己嫌悪に激しい自傷衝動が重なった結果、ダメな自分へ罰を下すためにリストカットをするようになった。

自己嫌悪がひどくなる時間帯は決まっており、それはなぜかアルバイト中だった。作業をしていようが客の対応をしていようがお構いなしに頭の中に自分を責める声が響く。その声は言う。

「お前のような、馬鹿でマヌケで傲慢で醜悪で、仕事もできず性格も悪く顔もよくない心の底からどうしようもないウジ虫以下の存在に生きる価値はない。この汚物め。生きていて恥ずかしくないのか。死んでしまえ。お前などいない方がよいのだ」

頭が痛くなるほどの自責に耐え切れず、毎日のように腕を切った。酒を飲んで文字を彫り込むこともあった。それでも病院に運ばれなかったのは幸いだった。衝動的に過量服薬に手を出して自殺を図ったのもこの時期だ。この時期が俺の中で最も病んでいる時だったと思う。その頃の傷の写真を見つけたので少し載せようと思う。閲覧注意。




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自分の馬鹿さに嫌気がさした。
人に服従し、自分を押し殺すその態度はまさしく犬そのものだ。
臆病者(スペルミス)、愚か者
傲慢!


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一年ほどで自然にリストカットは収まった。天より降ってくるような自責の声も落ち着いた。しかし、より刺激的で痛みの強い自傷行為を見つけた。根性焼きだ。度重なるリストカットで厚くなった皮膚でも、火のついたタバコを押し付けると強烈な痛みが頭を突き抜ける。面倒な血の処理もいらない。自傷行為として根性焼きが定着していった。

だが、この頃から何も考えず自分を傷つけることが難しくなった。自傷行為に対する後ろめたさが徐々に芽生え始め、「こんなことをしていていいのか」と考えるようになったのだ。それは親に迷惑がかかるからでも、自傷行為の先に死が見えるからでもない。自分を傷つけるその行為が、弱く、情けなく、ダメなことだと思い始めたからだ。

考えてみれば、自傷行為とは考えるのをやめ、感じることを避け、楽な方に逃げるための小汚い手でしかない。そんなものに手を出す奴は人間のクズじゃないか。いくら俺がダメ人間とはいえ、そこまで堕落していいものだろうか。自分は弱いから仕方がないと開き直ってしまってよいのだろうか。

何度考えても自傷はやめるべきだという結論にたどり着く。だからなるべく抑えようと思った。しかし、その頃には自分の意思ではどうにもならないくらい自傷は俺の体に深くなじんでしまっていた。

情けない大人

なじんでしまったがために、社会人になってからも自傷行為は続いている。リストカットはあまりしなくなったが、そのかわりボールペンで腕を滅多刺しにしたり、ネクタイやベルトで首を絞めたり、石や拳で頭を殴りつけたりしている。

ある時俺は大勢の前で上司に罵られた。ショックだった。昼休み、涙をこらえながら亡霊のように外をうろついた。歩いて心をどうにか落ち着けようと思ったのだ。

その時通りかかった駐車場でふと手のひらサイズの石を見つけた。……とっさに手が動いた。気づけば石を握りしめて自分の頭を2度殴りつけていた。目から火花が散り、変な味が口の奥に広がった。その後、トイレにこもって3回にわたりネクタイで首を絞めた。気道がつぶれる感覚がして、10秒もすると立っていられないほどの目眩がした。

そんな奇行に走ったのは、俺が弱いからだ。いやなことがあると自傷行為に逃げて、立ち向かった経験に乏しいからだ。だから必要以上にショックを受けやすく、強い衝撃にどう対応したらいいのかわからないのだ。逃げて逃げて逃げまくって経験値を貯めなかった過去のツケを今、支払っているのだ。

そんな俺に追い打ちをかけるように音による自傷も重なった。

同じオフィスに、かなり頻繁に咳払いをする人がいる。咳払いの音が大嫌いだと上に書いたが、俺はその音に刺激されて毎日自分の頭を殴った。周りが引くくらい殴った。すると精神に異常をきたしたとみなされて、入社後半年足らずで部長から退職勧奨を出されてしまった。事実上のクビだ。この辺りの詳しい話はまた別の記事で書こうと思う。


そんなこんなで十九歳の夏からだらだら続けてきた自傷行為。あの頃から人生における時間が前に進んでいない。つまり俺は大人になりきれない社会のお荷物の無能者だ。早く大人になりたいね。


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