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中庸について深堀

ネガハラに関して書いた文章から、色々飛躍した考えがわいてきたので、書き記しておきます。

ネガティブと暴言は違いますからね。暴言は悪意です。ネガティブは負の感情に見えますが、負ではなく、混沌としていて負なのか正なのかわからない感情です。
先日中庸の話をしましたが、混沌は中ではないです。どちらにも属さないどちらも混ざっているあいまいな状況。
だからネガティブな感情をどこが悪いのか、どこが良いのかをはっきりさせて、真ん中の感情にもっていくそれが前に進める一手と考えます。
暴言は確実に負です。それは中庸の考えでは片方に寄りすぎてダメな状態と言えます。

ここらへんの話を深堀していくとどんどん言葉が出てきますので、もう少し書きましょう。

好きという感情は正の感情と思いますが、正よりの中というのが正しいかと思います。
好きが正に偏りすぎてしまうと、ストーカー、夢妄想、過度な干渉につながります。相手を束縛しすぎるということですね。
上記のことを考えたら、悪いと思いませんか?
でも好きというだけならば、悪いことではない。
推し活をするだけならば悪くはない。
それを相手に押し付ける行為が悪いのではないでしょうか。
だから好きという感情は正よりの中なのです。

逆に嫌いということも考えてみましょう。
好きという感情からすると、負よりの中と思います。
でも嫌いってのは負すぎない?って思われる方も多いかもしれません。
違うんですよ。嫌いだから無関心を貫くならば相手に危害を加えておりません。
だから中なのです。
嫌いだから攻撃する。嫌いだから無視する。嫌いだから暴言を吐く。
これらが嫌いに偏りすぎているということ。
無視をするというのは関わらなければいけない立場というときに考える内容です。かかわらなければいい立場なのであれば、無関心ということになりますので、無視とは違います。
例えばの例であげますと、嫌いな芸能人のことを肯定する人がポストしていました。その人に、「その考えおかしい!この人はこんなのじゃない!」って攻撃したら無関心を貫けていないので、嫌いを負に寄りすぎていると考えます。
無関心というのは見ても自分の中で無視をするということなのです。
ただ、それでももやもやが晴れない場合は、何でそう思うのかを攻撃ではなく相手に聞くとか、自分の考えをノートやメモ帳に書きましょう。
おのずと答えが見えてきます。
相手に聞くときは、真正面から相手を否定はダメです。どこをみて肯定したのか、何を思って肯定しているのか相手の考えを聞くという姿勢です。それができるときとできないときはあるので、できないときは自分の中のもやもやを必ず何かに書き出すということを行いましょう。
もやもやを溜めるというのは嫌いを増長させます。増長した嫌いは悪意に変わり攻撃したくなります。
攻撃した結果悪い方向に傾くので、自分の中をすっきりさせるために書くんです。書くことで頭にその嫌だという感情が少なくなるので少しすっきりしてくるはずです。


じゃぁ、相手が攻撃してきたらやり返すことは悪いのか?という考えがでてくるかもしれませんので、それについても考えましょう。
自分は無関心を貫いていても、相手が攻撃をしてくる場合、相手が嫌いという負の感情が振り切りすぎたということです。
その場合は、やり返すことで二つの結果になるのはないでしょうか。
①嫌いという感情がお互いに深くなり、二度と戻らなくなる
②お互いけがをする
ということです。

それでは、相手が攻撃した時にはどうしたらよいのでしょうか。
私は、話し合うということと考えます。
攻撃は悪意と言いました。悪意を真正面から受け取ると痛いです。
真正面から受け取らず、受け流し、相手の悪意の源が何かを聞き出しましょう。そして相手の話を聞いたらこちらの話も聞いてもらう。そしてお互いに勘違いがないのかを探し、何かしらの過ちを犯していないかを考える。
それで勘違いがあればいいのですが、勘違いがない場合もあります。
それであれば、お互いに行動を改める必要があるのです。
どちらも中ではなく、負に偏りすぎているのです。
自分が正しいという主張は確実にダメな方向につながります。自分の中でこれが正義だと思っていたことは相手にとっては違う可能性があるのです。
もちろん相手の正義と思っていたことがこちらにとっても違うことがあるんですよ。
だから話し合う。
それがお互いの中を得るために必要なことなんですね。

お互い腹を割って話し合ったらよかったという結果があると思います。
それはお互いの勘違いがとれたということ、お互いが歩み寄った結果となると思います。

これは非常に難しい解決策ですが、確実にいいことと思います。

私自身今の病気になった原因の方と上記のことを実践できるかといえば難しいなと感じます。ただ、できたら解決するだろうなって思います。
それにはどうして相手のことが嫌いなのかを深堀して、その深堀した結果どういう行動をしてほしくない。どういうことが嫌だと思っていると正直に話すんです。それで、相手がどういう思いでやっていたことなのか、どういう思いだったのかを理解できるので、お互いにすっきりするのではないでしょうか。

良く酒の席でゆっくり話そうぜってのがあると思います。
それって、話しやすい雰囲気作りの一つと思います。
堅苦しい状況であれば話しにくいことも、話しやすい場所であれば話せるってことがあると思うので、大事なことと思います。

だからこそ生きていくうえで中庸という考え方は非常に参考になると思っております。
自分が好きと思ったこと、嫌いと思ったこと、すべて自分を前に進めるいい感情ですので、きっちりまとめて自分の人生を豊かにしていきましょう。

自分も書いていて実践できていません。
言葉だけの部分もありますが、それでも悪くないんです。
考えること、感じたままに書く、それが自分の頭の中の整理につながり、その結果必ず転機は訪れます。
できることから実践する、できなかったときは責めない、できるときにやる、この考えは忘れないようにしていきましょう。


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