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オタクと宗教民営化

この国は無宗教だと言われて久しいけれど、本当のところは神道に染まっている。だって年始は初詣に行くし、実家には神棚があったりする。さらに言えばこの国には、エンペラーこと天皇さまがいらっしゃる。世界でいちばん偉い位を持ってるらしい。国民全員が天皇を知ってる。あまりにもあまねく人たちに浸透し過ぎているせいで、みんながみんな気が付かないだけだ。

でもこれは民営化された宗教じゃない、どちらかと言えば国営の宗教だ。全国民が信仰者みたいなものだから、規模も大きい。そうじゃなくて、じゃあもっと個人的で、みんながみんな信仰を自覚している宗教はなんなのかと言えば、それはオタク文化だ。"推し"ってやつ。僕はむかし、いわゆるアニメオタクだったような気がするけれど、たとえばアイドルにハマったりはしなかった。だから消費者としてプライドを持ったり、応援して、育てることに責任感を持つ楽しみというのは、実はよくわからない。アイドルにお金を投資したいなら直接送金すればいいんじゃない? と思うし、グッズのコレクションはジャンルを跨がないなら自分らしさがない気がする。でも現代では、どうやら20代の半分がオタクを自称しているらしい。どうりでよく見かけるわけだなと思う。ヘタをすれば、僕のように中途半端で、オタクじゃない人間のほうがマイノリティなのかも。

オタク文化のことはよくわからないし、趣味、楽しみとして眺めてみてもまぁわからない。けれど目線を変えて、これを宗教として見たならば、あら不思議、いとも簡単にわかる。だって"推し"は宗派を指す言葉だし、違う宗派の人間同士が合わないのは当然だと思えてくる。さいきんは同じ宗派同士でも喧嘩し合うみたいだけれど。

ファッション的な意味も大きい気がする。「普段の自分と違って、あのアイドルに傾倒しているわたしは素敵」みたいな。着られる"推し"。あなたのためなら頑張れる、みたいなストーリー。でもそれも、いちど宗教として見てみると、宗教が持つパワーの一つにしか見えない。他人に信仰をアピールしたがるのも、逆に隠したりするのも宗教そのまんま。隠れキリシタンとかいたでしょ、そういうやつ。

別にオタクに限らなくたっていいかもしれない。たとえばあの会社の商品はなんとなく好かないから買わないとか、逆にこの会社は好きだから高くても買うとか、そういうのも宗教染みてる。信仰そのもの。情報が溢れすぎてるのかな。ものを選ぶときに、安くていいものを買うんじゃなくて、自分の宗派に合うものを買うほうが多いような気がする。オタク文化がわからない僕でも、この辺はわかる。製品が好きな会社とかあるし。これも宗教みたいなもの。

ゆらゆら生きていて、気がついたらオタク文化とか情報にみんな飲み込まれて、宗教は民営化されていたのです。

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