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恋人に殺される夢

 夢を見た。今ならスマホゲームでありそうな、和物ビジュアルノベルのホラーだ。

 僕はジャズ奏者でサックスを吹いていた。構内は催しが行われ、たくさんのお偉方が来ている。この大学は仏教の系列だからか、僧侶のような格好をした人が多い。

 場がそうしたのか、僕の意思かは分からなかった。けれど僕は今日のセッションを完璧なものにした。誰がどう見ても素晴らしいものだったと自負できる。酸欠で息がくるしいが、それすらいい証拠であるように思えた。お偉方から直接「すばらしい演奏だったよ」と言われて、当然のように受け取った。

 くらりとした。全身から力が抜けて、綿飴みたいにしなりながら倒れた。座っている格好で絨毯の敷かれている畳に倒れたから、静かだったと思う。薄く赤い、神社や仏閣でよく見る、フェルトみたいな生地のあの絨毯の上に、僕は倒れた。

 すかさず僧侶らしき二人が駆け寄ってきた。救急車を呼んだという。ダメだろう、僕は大丈夫なので、救急車はいらない、やめてほしい、そうかすれた息で言った。

 一人目の彼女も、心配して様子を見にきた。覗き込んで心配そうに僕を見ている。救急車が近づいてきた。止めるのが遅かったらしい。「むりだ、払えない。やめろと僕は言ったじゃないか」と僕が言うのを聞いて、二人の僧侶は僕を隠すことにしたらしかった。手招きに何とかついていき、各部屋の真ん中に位置していて、渡り廊下の奥にある、外がよく見える部屋へ入った。

 電気を消して、すぐにカーテンを閉めた。カーテンの隙間から、赤いサイレンが壁を照らしているのがよくわかる。僧侶がわずかにカーテンを開けて外を見た。バレたらどうしてくれるのだろう。

 結局、救急車は間一髪でやり過ごした。たぶん誤情報だと誰かが吹聴してくれたのだろうと思った。

 けれど僕自身の問題は解決していなかった。道路が紫に溶け出しているのだ。斑点模様になりつつあるのに加えて、固まった血のような黒がこびりついている。幻覚にしてはあまりに良くできていた。

 僕はその現実離れした有り様にふるえた。怖くてたまらなかった。錠剤を飲んでいないせいだと僧侶の二人が言った。一人目の彼女に手伝ってもらいながら、自動販売機から出てきた極度に大きいカプセルを飲んだ。僧侶が用意してくれたのだ。たしかに、今日の分の薬を飲んでいなかった気がする。

 症状は落ち着いたかに見えた。けれどこびりついた黒が今度はうるさくなった。ずっと動き続ける黒はうるさいに決まっている。「やめろ、うるさい、来るな」そう言うのに黒は聞かない。容赦なく近づいてくる。


 車が一台、目の前を通り過ぎて、その束の間に機動隊員が道路の真ん中に現れた。「あれは本物?」そう二人目の彼女に聞いたが、答えてはくれなかった。もう一台の車が通り、機動隊員はひしゃげた。ホログラムだったのだった。それは跡形もなく消えた。

 ホッとして、一人目の彼女に抱きついた。白いパーカーなので柔らかかった。「よかった」と言った。二人目の彼女が怪訝な顔をしていたので、同じように抱きついた。「ねえ、いつもそうだよ。二番目なんだ」二人目の彼女がそう言った。「違うよ、最後に一緒にいたい相手ってことだよ」僕はピリつく空気を感じながらも、食い下がった。

 それが良くなかった。二人目の彼女の手には、見たことないほど長い包丁が握られていた。逆手に持ったそれを、押し倒した僕の首に突き刺そうとする。目は狂気そのものだった。日本人形のような髪型が、歪さをいっそう引き出している。一人目の彼女は、ただ見ていることしかできない。

 目と鼻の先に刃がある。一度焦点を合わせれば、恐ろしさで力が抜けてしまいそうだった。両手で必死に押さえてはいるが、向こうも本気だ。ひとときでも首を突き抜ければ、すぐに風穴が空く。首に穴が空けば、血と息が音を立てて漏れるのは明らかだ。

 ぐ、と力が込められた。お互いの筋力が拮抗して小刻みに震えている。負ける。僕はここで殺されるのか。だが長くは苦しまないだろう。刃先が首元に着くのがわかった。ここで手を離してしまえば楽になる。そうだ、それだけだ。血が滲む。痛みはまだ感じない。諦めてもいい。

 そこで目が覚めた。

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