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生きることへの絶望報告

「生きることへの絶望ってあるよね。」
「ある。」

そんな声から開催された「生きることへの絶望を分かち合う会」が6月あった。

あるけれど、絶望とともにいることは難しいし、人に話すこともほぼないので、あまり輪郭が見えてこない感情だ。
絶望って隣に座っているような感覚だけど、あまりどういう奴なのかは知らない。
でも急に真正面に座ってくるからやっかいなのだ。「私、いるよ!!!」って。主張つよめ。
たちが悪すぎる。来ないでくれ。まじで。

生きることへの絶望を分かち合う会

そこでこの絶望の正体はなんなのかを分かち合う会が開かれたのだ。
どんな人に来てほしいかと考えたときに、
「絶望があるものとして生きている人(生きようとしている人)」がいいなと思った。

絶望を話したときに、
「そんなことないよ!だってめいちゃんはすごいし、頑張っているよ!!!」と言われたら、
「そうだよねぇえええ。ありがとう!!!」
と言ってしまう。

そのときはいいのだ。

でもまた絶望は急に真正面に座ってくるのだ。
たちが悪すぎる。またお前か!!!!!!

そこで絶望戦士4名が召喚された。

私の絶望

分かち合っていくと、私の中の絶望の輪郭が見えてきた。

私の絶望は
「幸せが積みあがらないことだ」

これまで33年間、
努力して頑張って自己実現すると、幸せになれると思っていた。
※「幸せ」とはポジティブな感情が大きくなってネガティブな感情が少なくなると思っていた。理想の状態はポジティブ:ネガティブ=100:0
だから勉強も頑張るし、若いうちにしんどい経験をして力をつけようと思い、努力して選択してきた。自己実現したら毎日がhappy🌟キラキラ🌟だと思っていた。

でも、あれ??

どれだけ生きてきてもポジティブとネガティブが半々なのだ。ポジティブ:ネガティブ=50:50(めい観測値)
そろそろ75:25くらいになってもよくない??(絶妙)
今日はとても楽しかったと思っても、次の日はしんどかったりする。1日の中で変わる日もある。おかしすぎる!!
(ちなみに頭では分かっている。本とか読むとそうだし、概念的にもそうだ。でも私という人間が本当に腑に落ちているかは別だ。)

特に私は寝る前はとても満たされて寝ることが多い。
「今日も頑張ったな~~。」
「今日はこんなことがあって楽しかったな~~。」
「緊張したけど、いい体験だったな~~。」

と。

でも朝起きると、リセットされているのだ。
「朝が始まった~(´;ω;`)」
「今日のこと考えると憂鬱だあああああああ。(;_;)/~~~」
「ぁああああぁああ( ;∀;)( ;∀;)」

最近アンメットいう記憶がなくなった脳外科医のドラマを見て、
「私の今日は明日につながらない」って言ってたけど、
「私の感情は明日につながらない」
って思った。
感情の記憶喪失だ!!!って思った。
前の日の満たされた感情、どこいった!!
なんで朝起きると、憂鬱になっているのか分からない!!

それくらい積みあがらないのだ。
それが私の絶望だ。

6月の絶望報告

6月は自分の中の光を見ることが多かった。
自分の持っている力の可能性を感じた日もあったり、自信がなかった一面を発揮しても案外いけるじゃんと思えた日もあったり、経験が血肉になっていると思う日もあったり、とても充実感を感じた日が多かった。

しかし、その翌日には絶望を感じるのだ。
「とはいえ、周りの人はどう思ったのだろう?」
「昨日みたいな日が続くと体力も精神力も必要だし、そう思うと人生ながいな~~~~」
「本当によかったのだろうか」
など、絶望が濃くなる現象があった。これはなんですか??笑

これが光が強くなれば影も濃くなるということなのだろうか。

このまま終わると絶望で終わってしまうのでまとめておく

絶望の輪郭が見えてきたことでちょっと扱えるようになってきたのが救いだ。

そしてこの話をコーチ仲間にしたら、
「たしかに幸せは積みあがらないけど、幸せは毎日の中にあるよ」
ってさらりと言ってた。

生きることへの希望だと思った。

こうだ!と思っていた確固たる信念が崩れたときに絶望って感じるのかもしれない。思ってたのと違う!!って。
価値観や生き方も変わるしね。

かといって長年連れ添ってきた信念がすぐに手放せるかというとそうでもない。
当分は、
幸せは積みがるかもしれないし、積み上がらないかもしれない。
どっちもある生き方になるだろう。

もう少し絶望探究をしてみようと思う。

7月に絶望に出会ったら、ちょっとだけ笑えそうな気がする。








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