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作りものだって嘘じゃない

「だからあたしは、かっこよく生きなきゃって思うのよ」

会社を辞めてから、ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」のゆりちゃんのこのセリフを、私はたびたび思い出している。

5月、久しぶりに親友と顔を合わせた。
彼女たちがこぼすのは、家探しの疲れ、義実家とのあれこれ、子どもを作ることへの葛藤、出産への恐怖。
どれもこれも、私だけ、分からない。
結局、何一つとしてたいした言葉をかけてあげることができなかった。

ちょっと前まで、お酒でこんな失敗をしただとか、こんな変な人に出会ったとか、そんなどうでもいいことばっか話してゲラゲラ笑ってなかったっけ。
でも、当たり前だ。だって、そういう年齢なのだ。
親友たちは現実的で具体的なことを悩んでいて、私だけがふわふわとした空想の世界にいるように感じられた。

生きる世界がもう違うのだと、彼女たちも思っているに違いない。
言葉の端っこを勝手に捕まえては勝手に胸に刺し、勝手に私は苦しんだ。
そんな自分を悟られないように、せめて笑って話をする。
自分のちっぽけな悩みを相談するのはやめにした。
私は自由に生きてて楽しいよって、そういうことにしておいた。
それから私は、落ち込んでいる自分に気が付かないように、空笑いをしたり、お酒を飲んだりして毎日を過ごした。

そして何日か経った頃、忘れもしない「コントが始まる」の第5話を観る。
友人の言葉の端っこを捕まえて苦しむ春斗を、私は見ていられなかった。
春斗の気持ちがどうしようもなく理解できてしまったことで、私は隠してきた自分の劣等感に気付かざるを得なくなった。
あのシーンを見て、私は本当に、ただただ"勝手に"苦しんでいるだけなんだと分かって、自分のことが心の底から嫌になりそうになった。
春斗のように、学生の頃から何も変わっていない、仕事も家もパートナーも、何も持っていない自分のことを、肯定できなくなりそうだった。

だからといってじゃあ、これまでの10年が楽しくなかったか、今ひたすらに苦しいだけなのかといえば、春斗はきっとそうではないだろう。
私もそれは同じだった。
自由に生きてて楽しいよって、それは全然うそじゃないのだ。
ただ。「大豆田とわ子と三人の元夫」の言葉を借りるなら、「楽しいまま不安。不安なまま楽しい。」ということなのかもしれない。

私はいまのところ、結果として何も持っていない。
何も持っていないから、不安。
でも、何も持っていなくても、楽しいこともある。

だから、何も持ってなくたっていいじゃんって、私は言いたい。
不安だし、劣等感もあるし、強がりなんだけどさ。
でも。
春斗みたいに、私みたいに、何かを手に入れられない人が、何かを手放さなければいけない人がいるのなら。
投げ捨ててしまいたいのに、無くなってしまうことが怖いって、思う人がいるのなら。
たとえ強がりでも、私はそう言いたいのだ。

「最近どう、元気?」
「仕事辞めたんだってね、大丈夫なの」
「私も仕事辞めたい。でもちょっと怖いんだよね」
ある友人から数か月ぶりに連絡があった。
世の中がこんな状況になってからめっきり会っていない。
彼女の真意は分からない。
けれど、5月のあの頃の私のように、少し落ち込んでいるように思えた。

「元気だよ」
「何も変わらず過ごしてるよ」
「不安はあるけど、楽しく生きてるよ」
彼女にとって、この答えが正しかったのかは分からない。
けれど、怖いとこぼす彼女に私がしてあげられることは、やっぱり強がってみせることだと、そう思った。

「そうやって続けていけば、それも僕らしくなっていくと思うし。」
と、素直になれない強がりな慎森は言う(大豆田とわ子/第7話)。
強がって、強がって、そしていつか本当に、かっこよく生きていられる自分になれればいいな、と思う。

苦しくて、みじめに思えるときがあっても。
寂しくて、孤独に思えるときがあっても。
たとえ嘘でも、今は強がりでしかなくても。

かっこつけて生きていこうじゃないか。
こんな私でも、楽しく自由に生きているよ。

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