日記 「恥部丸出し」のお話
急に思い出した会話があって。
それは大学生のころ。
バス停で教授と同級生と3人で、バスを待っていた時のこと。
目の前を老人と老犬(和犬だった)が通った。
犬はしっぽをピンと立てていて、肛門が見えている。教授がひとこと。
「いいねえ、犬は。恥部丸出しだよ」
これだけだと「何の話だ」という感じですが、これには前段の会話があって。
私がいた美大のとあるデザイン学科は、作品を作るだけじゃなく、
というより、学部入学初年度は、作ることそのものよりも「作ったものを他人に説明する能力」をやたらに鍛えたがっていて。(何でだったか忘れた)
どの授業でも資料を作ってプレゼンしていた記憶がある。
そして、美大の1年生なんてまだ高校生レベルだから、大したものは作れない。
それを、まるで立派な意図や目的があるかのように、よく知らない他人の前で説明しなければならない。「コンセプトを語れ」とかいうやつ。
私は「ただ絵が描きたかっただけなのに、なぜか就職の必要性に呪われてデザイン科に来てしまった」ような10代だったから、けっこうキツかったと思う。言うべきことなんて何もない。そもそも、実は興味がないし。無理矢理見栄を張って体を動かしていた。
それで、教授と同級生と3人で、人前で自分の作品を厚顔無恥に語ることの難しさを、なんかもっと柔らかい言葉で話し合っていた。
「朝起きた瞬間、『今日は最強だ。何も怖くない』と思って作品のことを考える時と、『今日はダメだ。誰の前にも出たくない』と思う時がある」
と、多分、私が言った。
それに対しての
「犬はいいよね、恥部丸出しで」
だった。
そう、作品のことを他人に話すのは恥ずかしい。
口が軽くなった酔っぱらいのような気分になる。
作品は個人的なもの。つまり恥部だ。
犬はいいなあ。恥部を「恥」とは思ってない。
私は今、とても個人的な作品(?)を作っていて、これが恥部のかたまりなんです。そして本当にしょうもない。
今までなんとなく作ってきた作品は、同じくしょうもないけど、なんか、「よそゆきの」ものだったんだなと、これで気が付きました。
私が、本当に、純粋な欲望に突き動かされてやることって、みっともない。
でも、いい作品はある種の恥部を晒すもんだし、それを厚顔無恥に、
というより、もはや恥なんて遥か遠い山の向こうに置いてきたか、そもそも認識の外にある超人か、まだ恥を捨てる過程で腹を据えている人が、何某かの表現者をやるんだよなあ。
私ってまだまだ逃げ腰なんだなあ。
でも、できればやっぱり晒したいじゃない?
恥部を使うあの行為と一緒で、うまくいくと凄く気持ちがいいから。
色々晒した上で他人が大きく反応する時が、表現のおいしい部分でもあるじゃんか。たぶん。
たいていうまくいかんのですが。だから辛いんです。
と、今日は思いました。
またね👋
がんばりますp( ∵ )q