見出し画像

プレゼントしたいから書くのか?書きたいからプレゼントするのか?

誰かに手紙を送ったのって、最後はいつだろう。

過去をたどっても、なかなか見つからない。たぶん、中学生だろうか。

今や当たり前のようにスマホを持ている。誰かに連絡がしたければ、LINEかインスタのDMかメールか….いくらでも楽な手段があるから、あえて時間も費用もかかる手紙など選ばない。でも、私は手紙が好きだった。

送る相手に合わせて、便箋、封筒を選び、書ききれる分量で話題を絞り込む。鉛筆で書くか?カラーペンで書くか?シールでもはってみるか?なんてこだわりだしたらきりがなく、その時間が楽しかったりする。手で書く手紙はより温かみ、本人の性格と思いがのっかっているような気もする。
高級なメッセージだ。

今や年賀状が廃れた如く、手紙で誰かとやり取りすることなどない。そもそも住所がわからないから、送ることもできない。住所を簡単に人に教えない、プライバシーっていうこともあるしね。

そうすると、高級なメッセージのやり取りは、もうやりたくてもやれる手段が本当にないのかもしれない…。

でも、書きたい!選びたい!!デコりたい!!!

なにか送る手段はないだろうか…?

これはもう、「プレゼント」なのではないか…?

プレゼントに添えるメッセージ。これであれば物と一緒に渡すから手紙をつけてもおかしくない!

プレゼントを贈ることももらうことにも疎かった私が、友達に積極的にプレゼントを贈るようになった。皆、不思議がっている。
「ほんとにキニシナイで!自己満だから!!お返しいらないから!!!」
そうか、お返し、、、かなり申し訳ないな.…。

気づくと目的と手段がごっちゃになることがしばしばある。
気になっている人にデートに行くこととなった。ちょうどお肉が食べたかったし、ステーキ屋さん行きたいって言お。とか
暑くてうっとうしく、美容室に行って髪をバッサリ切った。そしたらずっとモヤモヤしている気持ちもついでに晴れた。とか

昔は、「ちゃんと先を考えてから行動しなきゃ」などとかっこよく思っていたけれど、理由がどうであれ、その事象に自分を動かす熱量があること自体が貴重なのではないか?と思う。
だから、目的も手段もごっちゃでもいいのではないか。
自分がそれで元気になるのなら。相手もなら、なおさらだ。

 手紙を書くことが目的なのか、贈り物をすることが目的なのか…。ニワトリが先か、タマゴが先か…。どちらでも良い。想いはしっかりこもっているのだから。もちろん、気を遣われないささいなものを選んでネ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?