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言葉はなまもの。
今日、すごくドラマチックな夢を見た気がする。
話の始まりから終わりまでちゃんとストーリーとなっていて、アクションあり、サスペンスあり、恋愛もありな、なかなかなものだった。気がする。
気がする。
というのは、確証はなく、残念なことに朝起きたら全部忘れてしまったからだ。残ったのは、夢を見たという「感覚」だけで、実に悔しい。
あ~あ、ちゃんと覚えていたら、今ごろ面白い物語が書けたのになぁ~
昼間、家の掃除をしながら、また何か物思いにふけり、「そうだそうだ」と納得することを思ったのだが、それもやはり忘れてしまった。
悔しい。いくら何でも、忘れっぽすぎないか?
悶々と考えていたくせに、すぐ忘れるなんて、私にとってその程度のことだったってことなのか!?
これでもまだ20代前半だというのに!!!
そういうことが、特にここ最近多い。
観劇した舞台の記憶も、あいまいだ。
「面白かった」や「凄かった」といった、感覚的なものは残っても「どんな場面があったのか」「どんな台詞のやり取りがあったのか」はどんどん抜け落ちていく。ライブも、あんなに感動するのに、終わってしまうとセットリストが思い出せない。毎日の記憶の曖昧具合は、社会人になってから急に加速した。
私自身(コロナ禍直撃の後半約2年を除き)、正直、学生の時の方が忙しかった。手帳は予定でぎっしりで、日々何かに追われており、あっち行ったりこっち行ったり、あれやったりこれやったりせわしなかった。でも、記憶は色々と鮮明であった。と思うと、忙しさとは比例しないということなのだろう。
やはり、これが大人になるということなのだろうか。
昔、電話で突然彼氏にフラれた時があった。
理由はなかなかややこしいのでここでは省略するが、要するに「他に好きな人がいた」からで、その時の彼から発せられる言葉の全ては、私に衝撃を与え、ボロボロにしたのは言うまでもない。
しかし、その時の言葉はもう、思い出せない。
やはり、残っているのは「感覚」だけだ。
これまで、その時体験した想いや感情を言葉にすると、そのカタチが1つに固定される気がするのが嫌で、あえて残さないことが多かった。
しかし、今は言葉に残すことがむしろその時を残すのではないか、なんて思ったりする。
思いついた時に起こさなければ、消えてしってしまう。
言葉だけでなく、感情も、熱量も。
とにかくこれが残念で、がっかりしていると友達に話したら、びっくりされた。一般的には、そんな「今思うこと~」だの、「あの時の言葉が~」なんて、特に気にすることなく生活するものらしい。そうだったのか。
「今しかない」という謳い文句にすぐつられる私は、とにかく「なまもの」に弱いのかもしれない。
生まれてくる言葉も、舞台を観ることも、期間限定のお菓子につられることも、お酒の一番の肴がお刺身なのも。
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