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7%のことば - わたしが"書く"時に意識していたことの考察 -


「どうやったらそんなに共感してもらえる記事が書けるんですか?」


いやもうそれはまさに私こそ聞きたい(笑) 


っていう感じではありますが、これは最近いただいたご質問。

というのも以前、私に起こったちょっとした奇跡の出来事をnoteに書いたら、それがまさかまさかのうちにたくさんの方にシェアしていただき、私のささやかなブログ&note人生の中でありえないほどの方に読んでいただけた記事になったのをきっかけに、こういうご質問を有り難くもいただくことが増えたのです。(ありがた屋)

その記事を公開して私ははじめて、全く私とこれまで人生において接点のなかった方が、私の文章を読んでコメントや感想を下さる、とか。(嬉しい)

時に「感動した」という声が届いたり、「この文章を受験生たちにも読んでほしい!」とシェアしてくださったりとか。(泣ける)

さらには結果放映はされなかったもののテレビ局から取材の申し込みがあったり、この記事がきっかけで講座のコメンテーター的なポジションで参加さえていただけたり、とか。(驚き)

ありがたすぎることに日常ではなかなか経験できない数々のことが起きた。


でもそんな中、私の中では実は

「たった一本の記事がここまでの影響があるなんて、ことばの力ってすごい!」

というシンプルな感動と驚き、そしてそれと同時に

「この情報が溢れたこの時代に、ただことばだけで伝えようとしても、伝わったようで伝わらない・・・!どうしたらもっと伝えられるんだろう???」

という全く正反対の矛盾がぐるぐるもやもやしていて、冒頭の質問への私なりの答えもなかなか言語化できていなかった。

のだが、今日、

ふと聞いていたラジオで、その答えへのヒントとなる言葉が耳に飛び込んできた。

それが、

"ことばの影響力はたったの7%である"

という、なんとも衝撃の言葉だった。




「伝わることば」 と 「伝わらないことば」


「伝える」ということに対して興味を持ち始めた私が、まわりのインフルエンサーだったり、共感される力が強い人たちを観察して気づいたことがひとつある。それは、

"結局のところ、つきつめるとみんな同じメッセージを発信していないか?"

ということなのである。

さすがに全く同じ、とは言わないけれど、でも世の中をリードしている人の多くが、同じような世界観や価値観、哲学へ行きついているような気がしてならないのだ。

つまり言うなれば、同じ山に、違うルートで登っていっているだけで、辿り着く先はみんな同じ というイメージ。だから、極めた人たち、影響力の高い人たち、所謂「インフルエンサー」と言われる人たちは、登ってきた道筋は違えど、結局言っていることが似通ってくることが多い。

そして、突き詰めていくと、切り口は違えど、えてして非常にシンプルなメッセージに落ち着いていくものだ。例えば

「自分らしく生きよう」

とか、

「心や体が感じている感覚に耳を傾けてみよう」

とかそういうものだ。


しかし例えば「自分らしく生きる」なんて言葉は、Googleで検索すればたちまち約 46,100,000 件もヒットするようなありふれた言葉なわけです。大量にそれっぽい記事もたくさんあって、読めば「なるほどね〜」と思える。


でも、大体の場合、その時にそう思うだけなんですよね。


ほとんどの場合は、あまりにありふれた情報、なんとなくそれっぽい情報はその人の頭は理解させられても、心まで届かない


心まで届かないから、その人の人生、ま〜、変わんないんです。


なんとなくそれっぽい読後感が残るだけ。
それって「伝わることば」とは言えなくないか?と悶々とする日々。


一方で、同じ言葉を発しても、その言葉を受け取った人の人生まで変えてしまう力を持った人もいる。


その違いはいったいなんなんだ!?と考え続けたある日、あるラジオが私にこう告げました。


"ことばの影響力はたったの7%である"


それを聞いて、もう、がび〜〜〜〜ん、だったわけです。



「人は見た目が9割」 の誤解と真実


最初に誤解のなきよう、先程の言葉を丁寧に説明しますと、これは「メラビアンの法則」という心理学的なある実験から得られた法則の一部をやや誇張して表現したもので、正しくはこういう内容の実験です。

この研究は好意・反感などの態度や感情のコミュニケーションについてを扱う実験である。感情や態度について矛盾したメッセージが発せられたときの人の受けとめ方について、人の行動が他人にどのように影響を及ぼすかというと、話の内容などの言語情報が7%、口調や話の早さなどの聴覚情報が38%、見た目などの視覚情報が55%の割合であった。
by  Wikipedia「メラビアンの法則」

 
これはあくまで、「好意・反感などの態度や感情のコミュニケーション」において「メッセージの送り手がどちらとも取れるメッセージを送った」場合というかなり限定的なコミュニケーションの場合のみに限られた実験結果。にもかかわらず、世間的には過大解釈を行って、「見た目が一番重要」あるいは「話の内容よりも喋り方のテクニックが重要」という結論に導いてしまう場合もあるらしいのでそこは要注意の事実(これが「人は見た目が9割」の言葉の真実)。


正しいメラビアンの法則の解釈は、おそらく

「コミュニケーションにおいて相手によりメッセージを伝えたいならば、身だしなみや態度、ボディランゲージなどの聴覚や視覚を通じた非言語コミュニケーションにも気を配ることでより強いメッセージとして相手に齟齬なく伝えられる」

という点なのだと思う。

なので、「ことばの影響力はたったの7%」は、通常のコミュニケーションにおいてはあてはまらないものの、実際どのくらいの割合なのかどうかはわからないが、やはり言語情報そのものよりも、聴覚情報、視覚情報のほうが影響力が大きいことは間違いがないのではと思う。


一方でこんな言葉もある。

" People remember:
10 percent of what they read;
20 percent of what they hear;
30 percent of what they see;
50 percent of what they see and hear;
70 percent of what they say;
and 90 percent of what they do and say. "
人は
読んだことの10%、
聞いたことの20%、
見たことの30%、
見たり聞いたりしたことの50%、
自分が言ったことの70%、
そして、自ら行動したことと発言したことの90%を記憶する。


やはり言語情報より聴覚情報や視覚情報の方が強い・・!!

しかも今度は体験や行動というより強いジャンルがきた・・・!!!


そう。つまりやっぱり、
「伝わる」ということは言葉だけの問題ではない。

その「ことば」に付随するありとあらゆる付加情報が、
その人の
耳や、
目や、
触覚や、
味覚、
なんなら過去の記憶とか、
ありとあらゆるその人の感覚を刺激して、
その人がことばを通じて何か【体験】をした時、
その言葉はその人の血となり肉となり、
人生の一部に溶け込んでいけるのかもしれない。

まあこれは、あくまで私の推測に過ぎませぬが。



コンセプトは私の記憶や想いの【追体験】


ここでもう一度冒頭の質問に戻ってみる。

「どうやったらそんなに共感してもらえる記事が書けるんですか?」


重ねていうが、まず言うなら


【 む し ろ 私 が 知 り た い ! 】


が本音ではあるのですが、とはいえ自分なりに考察していかな私も成長していけないと思うので、ちょっと質問を変えて自分なりの答えをひとつだけ、書かせていただくならば、


Q.「文章を書く時に意識していることはありますか?」

A. 「伝えたいことがあった時、そのメッセージに至った経験や体験と、その時の私の心情の動きを素直に言葉に落として、私の体験を【追体験】してもらえるように意識して書いてはいます。」


やっぱり37年も生きていると、たくさんの出会いや別れや困難や喜びがあって、その度に心が動いたり、深く学んだり、人生が一歩大きく動いたり、ほんとうにかけがえのないことがたくさんある。


そしてそういう時に、自分にとって大切なメッセージが浮かんだりして、ああ、このメッセージを伝えたいなって思ったりする。


でもそのメッセージが自分にとって特別なのは、それがまさに自分が自分の人生の中で見つけた答えだからで、それはさまざまな物語の中で意味をなすものであって、言葉そのものに価値があるかどうかは正直わからない。


ただその言葉を単純に伝えて伝わるかというと、なんとなくそうではな気がして、そのメッセージそのものよりも、私が体験したその出来事やその時の私の心情もひっくるめてシェアすることが、唯一そのメッセージを伝えられる手段なんじゃないか、と、今までなるべくそう書いてきた。


例えばこれは、一言で伝えるなら、

「あなたが自分のためにと頑張ってきたことが、知らない間に、誰か他の人の道を切り拓いているかもしれないんだよ。だから、大丈夫」

って、頑張っている全ての人に伝えたくて書いたエッセイ。
たったこれだけのメッセージを伝えるために、5000文字オーバーの思い出話を書いた。笑

その思い出話が、きっとたくさんの人にあったであろう過去の「受験」という記憶に共鳴してか、たくさんの方に読んでいただけた。多分私の過去への共感ではない。私ももちろんその時全力で頑張った自負はある。でも私くらい頑張ってた人なんて、ごまんと世界中にいたはずだから。だからきっと読んでくださった皆さんが、私の話を通して、過去に頑張った自分を思い返していたんじゃないかな、と思っている。



これで伝えたかったことは、

「固定観念を捨てて、ありのままの子供をもう一度みてみよう。」

子育てしていると、知らず知らずのうちに生まれてしまっている親が子を見る時の「固定概念」。ほんと無意識なんだけど、ふと気づくことができたから、目の前にいるありのままの子供たちをもう一度見てみようって世のママたちに届いたらいいな、って書いたエッセイ。

こちらは3800字オーバー。その時の出来事を綴った。



その人の人生を変えていくのは、最終的にはきっと
その人自身の「体験」や「行動」


ここで、メイムーンの法則をひとつ。


人は、
出会った言葉の7%にはっとさせられ、
出会った音楽や映像の10%で心がゆさぶられ、
出会った人の30%で価値観が育ち、
経験した体験の50%で成長し、
起こした行動の100%で人生が動く。


・・・・・ごめんなさいそれっぽいこと書きたかっただけだからパーセンテージはなんか、それっぽい感じですが。笑


でもなんとなく、私が考える、人生が動くきっかけって、こんな感じじゃないかなーとか。ことばや映像や出逢いはあくまできっかけで、その人の人生を動かしているのはその人自身の「経験」や「行動」なんだろうと。


そんな中で、ことばのもつ力って、母数が多すぎるから影響力たるやもしかしたら少ないかもしれないけど、それでも結局のところ私たち人間のコミュニケーションのほとんどはもちろんことばで行われていて、ハッとした気づきもきっと多数はことばから起きていると思うし、やっぱりことばの持つ力ってすごいと思うし、そこに力があると信じている。


ことばにするから、自分ではない誰かに伝えられる。
ことばにするから、自分を知らない人にも伝えられる。
ことばにするから、時も場所も越えて伝えられる。


ただ、すごくやっぱり意識していたいのは、
そこに紡ぐのはただのことばではなくて、

血の通った、

温度のある、

まるでそこに自分がいるかのように情景が浮かび、

ことばを読み終わった時に、

その言葉との出会いにより自分に新しい「体験」が残るような

私はそんな文章が書ける人になりたいなあと、
そんなふうにあらためて思った。


・・・できてるか、できてないかではない。

・・・やるか、やらないか、だ・・・!! (心の叫び)


と、強く、こころに誓いつつ、今日はこのあたりで。
最後までお読みいただきありがとうございました!
今日もまたみなさまの1日が、また素敵なものになりますように・・・

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