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誰かの"時間どろぼう"にならないために


Time Is Money. 時は金なり。

世間では略してTIMと言うとか言わないとかいいつつ、
ちなみにわたしは

 時間=お金 
(Time Is Money.)

ではなくその価値は、

 時間>>>>お金 
(Time Is MUCH MORE Valuable Than Money.)

だと思っている。


じゃあ実際どうやってそのお金より大切な時間を使うかというと、とにかくわたしの場合は


<家族を含めた好きな人・好きなことのために使う時間を最優先確保>


することで、かけがえのない時間を最大限有効に使い、またそれ以外で時間を使う時はかなり効率を気にしてみたり、しっかりその時間が家族にフィードバックされるように意識している。


でも一方で、結構知らず知らずのうちにうっかり人の価値ある時間を盗む

  "時間どろぼう" 

に自分がなってしまう落とし穴が日常の中にたくさん潜んでおり、そしてほとんどの人はそれにちゃんと気づいていなかったりする。

時に私自身も然り。

自戒の意味も込めて、自分がこう考えるようになったきっかけや、わたしにとっての「時間」というもの、その他普段意識していることなどつらつら書き留めておこうかなと思い、またパチパチとキーボードを叩いている。



水道管工事と
知識・経験・技術へのリスペクト


わたしが自分自身や誰かの「時間」へのリスペクトを持つようになったのは、デンマークで暮らしていた時のこんな経験がきっかけだったりする。


それはデンマークで2軒目の家に住んでいた時のこと。

玄関にほど近いところにある、トイレの中の手洗い場の水道管が突然、水が流れなくなった。長い棒でつついてみても、水道管の中を洗浄するようなタブレットを溶かしてみてもうんともすんとも言わない。そのままでいるわけにもいかず、結局オーナーに連絡して、水道屋さんを呼んでもらった。

するとまあ、ふたをあけてみたらなんてことはない。

彼はおもむろに水道管のU字部分をきゅきゅきゅっと外して、その部分にぴったりつまった息子のおもちゃの部品を取ると、またきゅきゅきゅっと戻して、

「Okay, done.」(ハイ、おわったよ)

と言った。

お恥ずかしながら水道管のU字部分なんてたいした工具も使わず外れるとか、ただそこに詰まってるもの取ればいいっていう基本的なことを理解していなかった世間知らずなわたしは、あまりの簡単な事態にちょっと恥ずかしくなってしまった。

「Thank you! How much is it?」(ありがとう!お代はいくらですか?)

おずおずとそう聞くと、彼は

「2000dkk.」

と答えた。
日本円にして約3万5000円ほどである。

えええええええたっか!!!!!!!!!!!!!!!

と思ったのはもう言うまでもない。

(ごめんなさいちょっと記憶が古くて正直金額は違うかもしれない。ただ日本円で2万以上でびっくりしたことを覚えてる。)

日本でいうところのクラシ●ンくらいの値段を想定していたわたしはえらくびっくりした。だって、ただU字部分をはずして、中身をとって、戻しただけなのだ。正味作業時間5分にも満たない。

それでもデンマークでは、
【技術を持っている人を呼んで時間を拘束した】
からには、それ相応の対価を支払わなければいけないのだ。

たとえそれが、実は自分ができるような簡単なことだったとしても。


わたしはその時、デンマーク人がやたらと自分の家をDIYでどうにかしようとするのはこういうことだったのか!と理解した。

つまり、自分たちでどうにかできることは自分たちでやらないと、べらぼうにお金が飛んでいくと言うこと。

だから彼らはできることは自分でやる。水道管が詰まろうと、セントラルヒーティングの調子が悪くなろうと、庭に小屋が欲しくなろうと、なんなら家をリノベーションしたいと思おうと。

その代わり、やはり自分にはできない部分には、技術を持っている人にしっかり対価を支払って対応してもらう。

そこにあるのは、【知識・経験・技術へのリスペクト】だ。

そしてそれは、【彼らがその知識・経験・技術を身につけるまでに費やした時間へのリスペクト】でもあるのだ。


そうしてその人の時間へ、しっかり対価を支払うことによって、彼らは少ない時間の労働で、十分な報酬を得ることができる。

自分の時間を最大限有効に自分のために使いつつ、適切に働いて生活するためのお金を得る仕組みにしっかりなっている。

自分の時間もあるから、できることを自分でやろうと思える。

結果、自分でつくりあげた暮らしを彼らは愛し、そして丁寧に楽しんでいる。

逆に、技術を持つ人がその技術を薄利多売しなければ暮らしていけないような仕組みの中で、どうやって人は幸福になれるっていうんだろうか?

この水道管の一件は、痛い出費にはなったけど、わたしにとってはかけがえのない学びのあった瞬間になった。


そしてそれ以降、わたしは人の【知識・経験・技術】へしっかりリスペクトを持ち、その力を借りる時にはしっかり対価を支払う人間でありたいと思いながら暮らしている。

なぜならそれが、みんなが幸福につながる暮らしになっていることを知ってるから。

どこまでできているかはわからないけど、少なくとも、そのつもりである。




「話を聞いてもらう」も実は全然タダじゃない


これ、特に色々と新しい人脈を広げていく時に気をつけていることで、いろんな人に会うと、結構みなさん

「今度お話ししましょう!」

って気さくに言ってくださるし、実際時間もとってくださる方たくさんいるんだけど、

"実はその時間すら、その人にとってお金より貴重な時間を使っている"

っていうことを頭の片隅から絶対はなしてはいけないと思ってる。


なのでわたしはいつも、時間をとっていただいたら、結構ずっと

わたしはこの人にどんな価値を提供できるだろうか?!

って結構真剣に悶々考えているし、とにかくその時間の間にその人から聞きたいことがたくさんあるし、絶対にその時間を無駄にしたくないと思いながら過ごしている。


なのでふと会話の中に自分が力になれそうだったり興味がありそうなことがあれば、「それ、めちゃくちゃ気になります!一緒に何かしたいです!」って伝えるし、そうじゃなくても、せっかくとっていただいたその時間で何を自分はその人から受け取れるかめちゃくちゃ耳をすましている。

大体の場合、その一回目でちゃんと価値を伝えられなければ、二回目ってなかなかない。

だってみんな本当に忙しいから。

特に素敵な人であればあるほど、本当に忙しい。
だって大人気だから。

そんな中自分に時間をとってもらっていることってめちゃくちゃ貴重なこと。

「話すだけならタダ」とか、
「話だけだったらいつでも聞いてもらえる」とか、

たとえその人が気にしなくていいよー!って気さくに言ってくださったとしても、受け手がそれを当たり前だと思い込んじゃいけない。

いや、みなさん言ってもほんと時間はとってくださるし、いつでも連絡してー!って言ってくれるし、めっちゃ相談も乗ってくださるけど。

でも絶対わたしにつかってくださったその人の大切な時間、それと同じだけ、あるいはそれ以上何かを返せる自分でありたいし、今は無理でもかならずいつか!とずっと思っている。




雑談は "見極めれば" 至高のコミュニケーション


散々あいての時間へリスペクト!とか言ってきましたが、そんなわたしが時に積極的にあいての時間を食いにいくことがある。それが

雑談。

はい。雑談です。笑


「え、雑談ってめっちゃ相手の時間の無駄遣いじゃないの?!」

って思う方もいると思いますが、わたしは割と、

雑談こそ至高のコミュニケーションじゃなかろうかと思っている派。笑



いつでも最短距離を行く人は、
道も知らず、
そこに広がる美しい景色もきっと知らない。

だから人生がどれだけ豊かであるかって、
実は人生どう回り道するか、
言い方を変えれば、<時間をどう無駄に使うか>で決まると思っている。

・・・矛盾してる?笑

いやいや、全然矛盾してない。


ここで大切なのは、その無駄 "かもしれない" 時間を、
<誰と過ごすか>ってことなんです。

大切な時間を
何をして過ごすかも大事。

でもそれ以上にわたしは、
誰と過ごすかこそがめちゃくちゃ大事。

だから、あわよくばわたしは「この人好きだな!」と思った人とより多くの時間を過ごしたいと思うし、一見目的のない、ふわっとした雑談を通しての思考の至高なコミュニケーションを全力で楽しみたい


でも同時にもちろん、その人の大切な時間をただ奪いたくはない。


ではどうするか?


"自分がその人にとっての、
この人となら一緒に無駄な時間を過ごしたいと
思ってもらえる魅力的な人になる努力を全力でする"


これです。これに尽きる。


なので冒頭で「雑談は "見極めれば" 至高のコミュニケーション」と "見極めれば" を追加した理由、それは、


<相手にとって自分が雑談相手として認められているかどうかを見極める>


って言う意味です。

雑談相手として認められていれば、雑談は至高のコミュニケーション。

認められていないのに雑談をすれば、それはただの時間どろぼうになってしまう可能性がある。


だから自分は、
より魅力的な人物になること、
その人にたくさん面白い話のできる人になること、
役に立てる人であること、
どうでもいい瞬間を一緒に笑って楽しめるような、
受け皿の大きい人間になること。


これがわたしの、

誰かの"時間どろぼう"にならないために、そして何より

誰かと人生をより豊かにしていける自分になるために


大切にしていること。



Dear モモ - 時間どろぼうに立ち向かう少女へ -



本を読むのが苦手なわたしにも好きな本があって、
そのひとつがこのミヒャエル・エンデの代表作の「モモ」。
「時間」とは何かを問う、エンデの名作。

人生の中で、限りあるあなたの大切な時間を、
どんなふうに、だれと過ごしたいか迷ったら、
ぜひ一度手にとって読んでみてほしい。

そしてもしその時間の過ごし方の中で、
誰か自分以外の人がそばにいる時間を望むなら、
もしかしたら少しだけ、
その人にとっての時間へ想いを馳せてみてもいいのかも。


さて、わたしもまたもう一度夏休みにこれを息子と娘と読もうかな。
たったいま大人の夏休みの課題図書が決定しました笑


これを読んでくださったみなさんの今日という時間が、
誰かとともに幸福なものでありますように!




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