どこでもいる駐妻になりたくない駐妻は どこにでもいる

※タイトルは昔、某セクシー女優さんが投稿してた呟きのオマージュです。

見下している人が苦手

ハブリハブられ、ぼっち駐妻も経験してみて、最終的に一番苦手と感じたのは、

「常に『私は他の○○とは違う』と言っているタイプ」
    ※○○には「駐妻」「日本人」などの肩書が入ります。

気持ちはわからなくない。
「駐妻」「駐在妻」と検索してネットに出てくるのは、21世紀にして昭和の人間関係を作っていたり、意義の無いマウンティングをしている優雅な暮らしの奥様像ばかりである。(最近はわりと減った気がする)

「こんなのと一緒にされたくない!」という気持ちはわかる。
先に赴任している先輩奥様が怖く見えるのもわかる。
みんな最初の頃はそうだから。

ただ、その「古くから作り上げられた駐妻像」に囚われすぎている人が苦手。

話をしてみると、各メディアで古くから練り上げられてきた「駐妻像」を相当意識して忌避している人が多かった。
実際私が住んでいたところでは、物価が高くて、そんなメディアに出てくるような駐妻生活をしている人は見かけなかったけれども。

彼女たちは「私は高級ランチばかりしてる穀潰しとは違うのよ!」と息巻いていた。
その情熱が語学、資格の勉強やビジネスに向けられているのは尊敬するが、その中でも他の駐妻を見下して、それが漏れ出ている人が苦手だった。

ちょっとでも、(本人の中の)駐妻像に当てはまるようなことをしたら指摘されるのである。ママ友集団で集まるとか、駐妻同士でランチするとか。

数回、「あなた、『普通の駐妻さん』とはちょっと違うね」と言われて、歩み寄ってもらったことがあったような気がするが、そもそも『普通の駐妻』を見下してないと出てこない発言である。

しかし当然のことだが、見下されながらの交流はつまらないし不愉快だ。
私も含め、そういった人から距離を取る人がいたのは説明する必要もないだろう。

群れる側ハブられる側、気ままぼっち派も全部経験したけれど、どれも一長一短でいいと思う。
しかし、「私は他の奥さんと違うから馴染めない」と考えてると顔や態度に出るから、マジで馴染めないし、あなたの言う「群れ」側からも願い下げの性格になってますよ…と、これは元駐妻の老婆心である。

Twitterでも遭遇

私は複数SNS・ブログで駐妻アカウントを稼働していたが、Twitterのようなミニブログにもこうした人はいた。
しかし、長々とご自身の素晴らしさをアピールするのに、あれほど向いていないツールは無いと思う。

腹を割って話せる友達がいない孤独な駐妻生活中、ふと「近所に住んでいない駐妻の友達が欲しい!!」と思い立ち、選んだのがTwitterだった。
「駐妻アカウント」を作り、駐妻さんを見つけ出し、海外生活の悲喜こもごもをゆるく共有してSNSのぬるま湯に浸かっていると、時折『私は他の人とは違う!』というスタンスの駐妻さんが現れた。


彼女たちは、「匂わせ」も含めひとしきりご自身の意識とステータスの高さを呟くが、たいていそのうち消えてしまう。
数年間、その現象が毎回違う人によって繰り返すのを眺めながら、「これも駐妻あるあるなのだろうか」と考えるようになった。

消えていった彼女たちの投稿を振り返ったことがあった。
傾向を一言で言うと「絡みづらい」のだ。遠回しな自慢やひねりすぎた自慢とか。(※具体例は多岐にわたりすぎて書けない)
だから投稿にコメントできない。フォローもしづらいし、したとしても💓を送るくらい。本人が一生懸命「発信」しているかもしれないが、見る側としては返し様が無いのだ。これではつまらなくなって止めてしまう人もいるだろう。つながりを求めていた人なら尚更だ。

Twitterは独り言に近いツールだ。しかし、タイムラインで他の人が見えている状態で、本当にずっと独り言だけ続けるのもしんどいだろう。

「他の奥様とは私は違う」


これは誰もが思ってることだろう。
しかし、それでも結局大体みんな似たような感じになると思う。
家族にとってはその奥様は唯一なのは確かだけれど、それ以外から見たらそこに住んでるただの日本人女性だから。それまで共有してきた文化や習慣が同じで、地域やできること(自己研鑽含む)が同じなら、パターン化もするのは当然のことだったのではないだろうか。


読んでいる方もうんざりしてきたところで〆

ここまで長々と、自分の嫌いなタイプをあげつらってきた。

「人は自分と似たような人を嫌う」という。
私が彼らのような人間が嫌いなのは、自己嫌悪から来ているのかもしれない。もしくは妬み。
正直羨ましいのだ。私もあのくらい、相手にどう取られるかを気にしないで自慢話をしてみたい。でもやったら数少ない駐妻仲間も友人も失いそうでできない。
でも私だって何者かになりたい。どこにでもいるような奴で終わりたくない。身の丈に合わない自己顕示欲が、油断すると歪な形で漏れ出てきそうになる。

「どこにでもいるような駐妻」になりたくない駐妻は
                     どこにでもいるのだ。

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