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中国の病院で価値観が崩壊した話

※2009年の出来事を記憶を頼りに適当に書いている記事なので内容が非常に主観的で信憑性がないことを予めご了承ください。ネタ程度に思っていただければ。

あれは冬だったか夏だったかもう思い出せないのだけれど、あんまりにも寒いのが可哀相で自分が着ていたはんてんを貸してあげたから多分冬だったと思う。

初めての病院

ある日隣の部屋の子が熱を出した。成田空港から一緒に飛行機に乗ってはるばる中国のすみっこ長春に留学に来た日本人の女の子だ。38度近い熱で、体調を崩した一日目・二日目は大丈夫と言っていたけれど三日目の夕方になっても熱が下がらず、このままではいよいよまずいという話になって病院に行くことにした。一応街の中心部には日本語がわかる医者がいるような日中友好病院なるものが存在していたけれど、もうタクシーを拾って大きな病院まで行くような体力は彼女には残っておらず、やむなく寮から徒歩3分の病院に駆け込んだ。留学生は誰も寄りつかない場所だ。

夕方、16時くらいだったと思う。それも定かではないけれど、受付を済ませることができたから多分そのくらいの時間。自動ドアを二つくぐってぽつんと灯りのついた受付(節電なのか廊下は暗かった)を済ませたあと、血液検査?をすると言われて指さされたのはさっきくぐった自動ドアだった。

えっ?帰れってこと?

いきなり海外の病院の洗礼を受けてしまったと思ってよく見てみると、二つの自動ドアの間に折り畳みの長机が置いてある。まさかそこで注射するっていうのか・・・。

そのまさかだった。なんでわざわざこんなところで。場所ないの?あるだろうよ!でもそこでした。自動ドアと自動ドアの間にはさまれて注射をした。多分したと思う。わたしが彼女の後ろで動くたびに、ドアが開いたり閉じたりしたものだから覚えている。いや、どうかな。あまりの衝撃だったから逆に記憶があいまい。まあ、針を刺されたのはわたしではなくて友だちだったけれど。針はその辺の段ボール箱に捨てられた。それも併せて衝撃だった。衛生面とか、嘘でしょう。衝撃コンボ。

結局なんで外?の疑問は解決しないまま、次に連れていかれたのは寂れた無人駅の待合所みたいな場所だった。プラスチックの椅子に座って、白く塗られたコンクリートの壁を見つめて20歳の日本人女子二人は何かを待っていた。正直いうと、わたしも友だちも医療に関する中国語なんて全然勉強してこなかったから、看護師さんの言っていることは2割もわからなかった。小さな窓からなんか怖い顔して中国人の看護師さんが友だちの腕を指さしてる。多分、点滴だ。

点滴もその場でした。薄暗い寂れた無人駅の待合室のような場所でした。わたしではなくて友だちがした。突然ぶすっと刺されて熱もがんがんでていて何もかもが意味が分からなくて友だちは半分泣いていた。針はその辺にあるごみ箱に捨てられた。当時はこんな風景20年間生きてきてみたことないなと思ったけど、今思えば映画でみたことある。海外の、ゾンビ映画とか。スリラー映画とか。そういうやつだ。彼女はこのあとゾンビになっちゃう。

そして入院

点滴をしたあとは、今日は入院をしなさいという話になったみたいだ。お医者さんが何を喋っているのかほとんどわからなかったけれど、とにかく家に帰るんじゃないということだけはわかった。薬をもらって、いざ病室に案内されると思ったら・・・看護師さんから衝撃の事実を聞かされる。

病院のベッドがいっぱいだから、一緒ね。

一緒?一緒ってどういうこと??わたしも入院しろってこと?全然理解できないんですけど。そう思って病室を覗いてみたら、なんと三人の患者が二台のベッドをくっつけて一緒に寝ているのだった!三人は同じ年代くらいの女の子で、コホコホと咳をしながら仲良くくっついて寝ていた。
一緒って、一緒ってそういうこと!

今まで生きてきた常識のバロメーターみたいなものが一気に振り切れてしまってもうだめだった。
多分友だちはここを人生最後の土地と覚悟したと思う。熱で朦朧としていたからかもしれないけれど、もうなんでもいいから安らかに眠らせて下さいって顔をしていた。

ここでわたしは入院の準備をしてくるねって一度寮に戻ることにした。友だちが入院することになっただけでなく、留学生寮を一歩出たすぐ先にあった想像以上の環境の違いに多分わたしも大きなショックを受けていて、一体この入院に何が必要なのか、正直わからないでいた。

飲み水の確保

毎朝食べていたカニパンみたいなサイズの小さな菓子パンをいくつかと、タオルといつも着ていたはんてんを持って行った。やっぱり冬だったんだろう。ひどく乾燥していた。そしてなんと残念なことに冷蔵庫の中には何もなくて、肝心の飲み水が用意できなかった。飲みかけのマンゴージュースじゃあんまりだ。

でも病院だし、さすがに水の用意はあるよね。

中国に来てから大学や寮やいたるところにボトルを補充して水とお湯が飲める給水タンクがあるのを見ていたから、それを飲めば安心だと思った。病院の仄暗い廊下にも、何台も給水タンクはあったから。病院だもの。薬を処方してくれたもの。水はきっとある。大丈夫。

そう思って病院に戻ったけれど、なかった。タンクはあった。だけど水は一滴もなかった。看護師さんに聞いたら今日の分は全て飲み切ってしまって、明日にならないとボトルは届かないという。なんてこった。
申し訳ない気持ちでいっぱいで、明日朝一でお店にお水を買いに行くねと約束して、その日わたしは寮に帰った。友だちはどうにか確保したコップ1杯の水で薬を飲み、三人ベッドの一番左に横になっていた。二台のベッドは、三人で押して合体させたそうだ。病人も三人寄れば・・・ってそんなことってあるか。真ん中の人は落ちたりしないのかな?とっても寝相が悪い人だったらどうしよう??

ここは病院なのに寒い、とにかく寒いと友だちは言って、看護師に暖房をつけてほしいと頼んだけれど、今は時期じゃないから暖房はかからないってぴしゃりと言われてしまった。長春市の暖房はすべて街で管理されているらしいと噂で聞いていたけれど、本当だったのか。病室を出て一人で帰る途中で当直看護師の部屋の前を通ったら、電気ヒーターが煌々と看護師の足元を温めているのが見えた。

価値観の崩壊

日本に住んでいたとき、コンビニの過剰なサービスとか、ファミリーレストランの薄っぺらな笑顔とか、居酒屋のらっしゃいあせー!とか(いらっしゃいませ)、そういうのを正直煩わしく感じていた。
お店のひとはみんなアルバイトできっと大したお給料をもらっているわけじゃないのに、ちょっとしたことで苛立つお客さんにサービスがなってないとか態度がわるいとか言われているのもみたくなかった。
そして丁寧なサービスが受けられるのが当たり前になってしまって、それが受けられなかった時の不満が、自分の心にも自然と沸いてきてしまうのを感じて嫌だった。
無駄なサービスに溢れて、日本中が疲弊しているように感じていた。

だから中国に来て初めて食堂で服務員にメニューをテーブルに叩きつけられ、何を頼んでいいかわからなくて迷っているうちに舌打ちと共に立ち去られたあの日、日常で過剰なサービスをしないし求めもしない世界に来たことに、衝撃と共に夢の国(正反対である)に来たような妙なワクワクを感じたのだ。お会計で美味しかったよ、って言ったらあんなに不愛想だった服務員がまた来てねって笑ってくれるだけで嬉しかった。

今回の病院の環境は多分その延長にあった。君が理想としていたサービスがないとはこういうことにも繋がっているのだよ、という現実を突きつけられたことでわたしの頭の中は白も黒もつけることができなくなってしまった。

正直、2019年の今もどっちがいいなんて言い切ることはできない。もしかしたら入院したのが自分じゃなかったからかもしれない。だけどあの時の経験があったことで、わたしは常に偏った価値観を持たないようにしようと心に決めることができたと思う。

なんてさも意味ありげにまとめてみたけれど、
やっぱり病院では手厚く看護されたいよ。

#エッセイ #中国 #病院 #留学 #思い出

なんとか生きていけます。