それは突然やってきた。いつものカフェで朝食のプチパンと不格好なグラスに入ったカフェオレを飲んでいる時に。 ちょうど一年前にもモロッコのカフェのことについて書いた。その頃の僕はカフェの前を通り過ぎながら、そこにたむろするおやじ達を見る観察者だった。が、今はそのおやじ達と肩を並べて木陰のテラス席に陣取っている。 実は最近退屈している。一年も同じ街に暮らしていると新鮮さが失われてくるものだ。それで時々、いつもは家で食べる朝食の代わりにこのカフェに来るのだ。このカフェは行きつけ
メディナの路地の奥深く、香ばしいパンのにおいを辿って行くとハンマムに辿り着く。ハンマムはイスラム世界に特有の公衆浴場、つまり銭湯である。銭湯とコーヒー牛乳の関係には気づいても、銭湯とパンの関係には気づくまい。各町内に数件あるハンマムでは、釜に薪をくべてお湯を沸かし、その熱でパンを焼く。そのためハンマムの隣にはパン屋と言う配置になる。人々の主食であるパンと体を清潔に保つために欠かせないハンマムの熱源を共有してしまう画期的なエコシステムが数百年も前から都市の中に組み込まれている
別に某有名サイコサスペンスとは何の関係もないです。はじめにお断りしておくけど。 羊犠牲祭とも呼ばれるアイード・エル・クビールはモロッコでは新年に当たる大きなお祭りである。文字通り、この日、各家庭では生きた羊を殺すのだ。数日前から職場の警備員達からは、「羊買ったか?」と毎日のように聞かれ、その度に答えに窮していた。また、スーパーの駐車場にはテントが設けられ、仮設の厩舎のような中で生きた羊が売られていた。そんなわけで、アイード当日、家を出た僕はいつもと変わらぬ街の様子に安心し
プシューッという音とともにバスの扉が開くと、車が止まる前からバスにへばりついて車体をバンバン叩いたりしていた男子高校生たちが我先にとバスに乗り込む。その様はラグビーの試合か、なにかの祭りを見ているようだ。日本の通勤ラッシュと同じくらいの人口密度なのに誰一人並ばないので、乗車口近辺は混沌とした状態になる。モロッコおやじたちは、若くて生きのいい奴らにはかなわんとばかりに人ごみの後ろであきらめ顔で突っ立っているだけだ。僕もその例に漏れない。 しかし、彼らの席取り合戦に勇敢に立ち
「金を貸してくれないか。月末に必ず返すから。」顔中にひげをたくわえ、いつも哲学者のように気難しい顔をした同僚が僕のところに来て言った。モロッコ人はとかくルーズだ。彼は同僚の中では一番まじめとはいえ、金を貸すのはあまり気が進まなかった。それでも彼の顔があまりにも深刻そうだったので貸してやることにした。返って来なくてもいいや、ぐらいの気持ちで。どうせたった50ディラハム(約600円)だ。が、予想に反して金はきちんと返ってきた。給料が入ったらしい。それにしても、たった600円に困
街の安食堂ではおやじ達がハリーラ(スープ)とゆで卵を目の前にしておあずけを言われた犬のようにじっとしている。やがて「アッラー」という日没を知らせるアザーンが響くと彼等は堰を切ったように食べ始めるのだ。 そう、今はイスラム暦のラマダン月。ラマダンは断食と訳されるが、厳密には飲み食いできないのは日の出から日没までである。この間、煙草も吸えないし、厳格な人は唾を飲み込む事もためらう。しかし、夜はいつも以上に食べるので、ラマダンが明けると太る人も多いらしい。本来は貧しい人々の気持
「コニチワ!」(今、朝だけど)、「アリガト!」(何もしてあげてないけど)、「スケベ!」(失礼な!でも、どうして知ってるんだ?)、「ナマステ」(日本語じゃないだろ!)。こんな調子で狭い通りの脇に座って暇つぶしをしている若者や子供達は日本人と見ると自分の知っている限りの日本語(あるいは日本語だと思っている言葉)を並べ立てて声をかけてくるのだ。別にやましいことがあるわけでもないのに、フェズに住んで毎日のようにこの場所を通っていてもついつい身構えてしまう。ちょうど、近道しようと思って
「アッラーアクバル」まだ薄暗い早朝、モスクからのアザーンで僕は叩き起こされる。この1ヶ月、僕はメディナ(旧市街)の中のモロッコ人家庭にホームステイすることになったのだ。メディナの中にいくつかあるモスクはオオカミが遠吠えを競い合うようにアザーンを叫ぶ。これはイスラム教のお祈りの時間を知らせる呼びかけで、言ってみれば日本の地方でも時々ある街全体に流れるお昼のサイレンのようなものである。ただ、アザーンはサイレンと違って生声がスピーカーから流れる。それぞれのモスクの担当者は、自分の
暑い!ここフェズは毎日40度を超え、鼻で息をすると鼻の穴がひりひりする。 このくらい暑くなると、人間を始めすべての生物が日中は活動を停止する。 犬や猫は日陰のコンクリートにべったりと横になってぴくりとも動かなくなる。 人間は、特に女の人たちはあまり外に出て来ない。 男達はというと、カフェである。 カフェのテントの下にできる日影はおやじ達の重要な社交場である。 もっとも、暑さに関係なくカフェはいつもおやじ達で賑わっているのだが..。 街にあるカフェの数といったら日本の某コー