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カフェ・ルネサンス

 それは突然やってきた。いつものカフェで朝食のプチパンと不格好なグラスに入ったカフェオレを飲んでいる時に。
 ちょうど一年前にもモロッコのカフェのことについて書いた。その頃の僕はカフェの前を通り過ぎながら、そこにたむろするおやじ達を見る観察者だった。が、今はそのおやじ達と肩を並べて木陰のテラス席に陣取っている。
 実は最近退屈している。一年も同じ街に暮らしていると新鮮さが失われてくるものだ。それで時々、いつもは家で食べる朝食の代わりにこのカフェに来るのだ。このカフェは行きつけなので、カワジ(ウエイター)は僕が目で挨拶して席に着くと黙ってパンオショコラとカフェノスノス(カフェオレ)を持ってきてくれる。
 そして、それは突然やってきた。何の前触れもなく。木陰から通りを眺めながらパンを食べ、コーヒーを飲んでいると、なんだか急に目の前の風景が新鮮に思えてきたのだ。 それは僕の中にある枯れた泉の底から急に透明な水がこんこんと湧いてくるような感覚だった。フラッシュバックとも似ているかもしれない。
 モロッコに来て一年、「もう、なんかめずらしいこともないな。」と思っていたのだが、心地の良い木陰、吹き抜ける熱い風、カフェで談笑するおやじたち、ガラス瓶をガシャガシャ鳴らしながらコーラのケースを運ぶロバ、目の前を通り過ぎるリヤカーなどがまるで初めて見るもののように思えたのだ。それらはいつもと同じ風景なはずだ。でもどこか感じが違う。いつも僕を取り囲んでいる透明だけれど分厚いガラスが急に取り除かれたように。
 そうそう、こういう感じだった。学生時代の夏休み、一人で初めて海外旅行に行った時もなんだか日本と違う暑さを肌で感じて、ふるふるうち震えていた。焼ける石畳の上を毎日意味もなく歩き回った。 碧すぎる海や赤い地平線、痛いほど照りつける太陽、見るもの感じるもの全てが新鮮だった。
 今日の気温はたぶん体温を超えるだろう。 今年もやってきた熱波が僕の遠い記憶に火をつけたのかもしれなかった。カワジに代金を払って、ふと店の看板を見ると、そのカフェの名はルネサンスだったということに気がついた。行きつけのカフェなのに名前を気にしたことはなかった。「ルネサンス、再生か・・・。」このところ落ち込んでいた僕へのアッラーのプレゼントだろうか。僕は一人ほくそ笑んで職場に向かって歩き始めた。

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