家は襤褸でも・・・
「金を貸してくれないか。月末に必ず返すから。」顔中にひげをたくわえ、いつも哲学者のように気難しい顔をした同僚が僕のところに来て言った。モロッコ人はとかくルーズだ。彼は同僚の中では一番まじめとはいえ、金を貸すのはあまり気が進まなかった。それでも彼の顔があまりにも深刻そうだったので貸してやることにした。返って来なくてもいいや、ぐらいの気持ちで。どうせたった50ディラハム(約600円)だ。が、予想に反して金はきちんと返ってきた。給料が入ったらしい。それにしても、たった600円に困る生活というのはどんなものだろう。
いつも安くてまずそうな煙草を吸っている彼の生活は想像に難くない。この前の新学期だって、子供の教科書が高くてかなわないとぼやいていた。そこで僕は一つの提案をした。「今度来る新しいボランティアをホームステイさせないか。」多くはないがちょっとした金額がステイ先に謝礼として払われるからだ。でも、謝礼の話はとりあえず黙っておいた。メディナの奥に住んでいる彼の家にも興味があった。彼はちょっと考えてから「家を見てから大丈夫かどうか判断してくれ。」と言った。
次の日の昼休み、一緒に彼の家へ向かった。メインストリートから外れると商店もなく、細い道の両側に茶色い土壁だけが続いている。崖の裂け目を歩く様に茶色い土壁が続く袋小路を行くと、もうすぐ行き止まりという所で戸口から子供たちが顔を覗かせていた。彼の子供たちらしい。鉄の鋲を打った重々しいドアをくぐると小さな中庭に出る。中庭といっても3坪ほどのタイル張りの床があるだけだ。しかし、釉薬がはげたタイルにはかつての美しいモザイクの痕跡はない。メディナの伝統的な住居の形通り中庭を囲んで部屋があり、見上げると青い空がぽっかりと切り取られている。この家は15世紀に建てられたというから、もう5世紀も人が住み続けている事になる。昔は一つの家に大家族で住んでいたらしいが、今では1、2階で全く別の家族が住んでいる事が多い。この家も、かつて2階にいる家族の気配をかすかに感じさせたはずの回廊の格子の手すりが今ではベニヤで塞がれている。
決してきれいとは言えないが、モロッコの普段の生活を体験するにはいいだろう。居間兼寝室で大皿のクスクスを家族と一緒に食べた後、僕はそう判断してホームステイの受け入れをお願いした。が、謝礼の話をすると彼は頑として受け取らないと言う。「寝るところはみんなと一緒だし、食事だって一人くらい増えても変わらない。」と彼は言う。
それでも、やはり来客となれば少しは気を使うだろう。さっきのクスクスだって大きな肉の塊が乗っていた。それが一家を背負って立つ彼の意地なのだろう。現代的生活に流されそうになりながらも伝統的スタイルを守り続けるこの家と、絶対に金を受け取ろうとしない彼の気概のようなものが僕の中で重なった。家は襤褸でも心は錦、か。彼が金を貸してくれと言った時自分が思った事を思い出して、僕は少し恥ずかしくなった。