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スコットランド修士留学雑記 Semester2はじまり

もうすぐ授業がはじまる。その前に、気持ちを整理しておこうと思って、noteを書き始めた。前の投稿からしばらく経ってしまった。さて、何から書こうか。

スコットランドに来てから、まるまる四ヶ月が過ぎた。あっという間といえば、あっという間だし、一年の修士で、あと八ヶ月あるのかというと、けっこうあるな、とも思う。ちょっとお腹いっぱい感もある。

以前も書いたと思うけれど、こっちに来てからその先、どこに住むのかあまり決めずに来た。一旦、最初のセメスターの間は、周りが就活をすでに始めても(一年のプログラムということもあり、入学してすぐに「この後どうするの?」という会話、何度もした。)あえて決めずに、来るものを眺めよう、何かアンテナがピンと立ったら動こうぐらいに思っていた。

結果、特にこれというものがあったわけではないけれど、年末ぐらいから日本に帰る選択肢が、なんとなく自分の中で濃くなっていった。物価も高ければ、外国籍で非ネイティブがここで働く、住むことはかなりハードルが高い、と肌身で感じる。ハードルが高いからといって諦めたくは無いと思っていたし、逃げるように消去法で、だいすきな日本、というか東川町に帰ることもしたくない。だからこそ、本当に心から自分が望むことは、なんだろう… とゆっくり思考を巡らせていた。自分の性格上、このじわじわと腹が決まるのを待っている時間が大切で、ここでぐっと腹落ちすれば、あとはやることをやればいいとスイッチが入る。

改めて、いろんな物事と視点に触れ、Compathの活動、いまつながっている仲間たちがこれ以上ないほど誇らしく素敵な仲間たちだと、改めて体感したのも大きい。自分は、変化が怖いけれど同時にすごく強い冒険心も持っていて、だからこそ一箇所、同じものに向き合い続けるのが苦手だ。その冒険心を満たすためにも、今回はこうしてスコットランドに来たのだけれど、どうやら場所を動く冒険は(今のところ)やりきったようだ。やりきれた恵まれた環境、周りのサポートに感謝だ。

年末からふと、しばらく腰を据える家が欲しいと思い始めたのも、自分の心の中での不思議な変化だ。周りの多くは結婚し、家を持ちという世代だから、それを見て、焦る気持ちもある。けれど、どうしてもこれまた、自分の中で、その決断を取ることの現実味が無くて、こうして今も有り難く、自由に生きているわけだけど、もう少し定まりたい気持ちがやってきたようだ。その印に、引っ越しが多いから、いつどこに動くか分からないからとストップしていた、食器集めを再開。フィンランドで、ARABIAのパラティッシを買ってしまった。かわいい。

以前、鎌倉で住んでいたシェアハウスで、シェアメイトがコレクトしてたなぁ。あの時は、自分も買うと思ってなかったけれど、忙しい中でも、好きなお皿で食事を楽しむ彼女の暮らし方は憧れだった。それがずっと頭の片隅にあったようだ。


日本に帰ってからも、ここでもやっぱりCompathの活動に繋がることを研究し続けたい。研究のテーマは、社会に蔓延る「能力主義」から、

ざっくり「能力主義」とは何かを説明すると… 学力などで示される、実はとっても曖昧な「能力」によって、人の優劣が決まること。フェアのようでいて「能力」自体があいまいなのと、例えば学力は、お金持ちほどつけやすいことが分かっていて、実は不公平なのに「能力で判断してますからね」というだけで、なんかフェアに判断されているように感じてしまったりする。一部の能力、例えばテストでいい点が取れるとかが良いと判断され、それ以外の実は大切な能力やあり方などが見過ごされてしまうこと、社会で評価される能力をつけることが現代を生き抜くために大事になるために、自分の心からやりたいことを中心に仕事や生活をすることが難しくなること、などが気になっていた。

徐々に「Citizenship(一市民として、社会を自分たちが作っているという自覚を持つこと のように今は理解してる)」をどう高めるかに興味が移ってきた。どちらのテーマも奥深くって、知った気になったと思えば、すぐに沼に出会う。その度に、わたし頭良くないな、勉強向いてないな、と思うのだけど、またその沼を進むと、新たな視界が開けて深まる感覚が好きだ。

よく聞いているpodcastの超相対性理論の「わかる」についての回でも、完全にわかることは無くて、自己破壊(自分の知っていることに常に疑問を持って、壊し続けていくこと)が大切だと言っていた。教授に、友人に言われて、ああ全然わかってなかった、あちゃーと日々思うのだけれど、これをいかにたくさんできるかがきっと大事なんだろうな。いっぱい壊されていきたい。

話は、ぐるりと変わるけれど、年末に体調を盛大に壊した。今も、背中がずっと変で、調べた限りで症状の名前は「肋間神経痛」というらしい。外部要因的には、冷えと日照量不足が、確実に悪影響。思い返せば、日本にいてもこの時期は、ここ最近毎年なにかしらの不調が出ているので、苦手な季節なんだろう。年を重ねるとともになのか、体に敏感になれてきたのか、体はより素直に反応する。フィンランドで、マッサージを受けた時にメンタルから痛みが来てるとも言われ、改めて心にも向き合う時だと感じた。マッサージの前後、小中学生ぐらいに感じていた孤独や自信の無さを改めて思い出したのは、不思議な体験だった。メンタルの不調でいうと、朝起きるといつも、あああれもこれもできてない、やることいっぱい!!!!!!という気持ちでなぜか焦ってしまう。あまり自分にラベリングを付けたくないけれど、おそらく自分はハイリーセンシティブなので、ちょっとのこともすぐに気にするし、考えるし、結果いろいろ時間がかかって、時間に追われ、、みたいな悪循環がまわる。この性格と付き合う方法と心構えを、日々また模索している。

体調を崩した時、特に支えてくれたのは、クラスメイトのKristenだった。(日本やエディンバラの他の友達にも、たくさん声かけてもらいました。本当にありがとう😭)本当に絶妙な距離で、サポートし続けてくれた。アメリカ出身の彼女とは、もちろん英語で話すのだけれど、言語ではないものでも繋がっているというか、英語が多少拙くても、向こうの言ってる単語が多少分からなくても、言ってることがよく分かるし、伝わる。彼女に出会えたことは、この留学でいちばんよかったことかもしれない。距離が離れるとつながり続けるのは難しいことが多いけれど、エディンバラを離れても、きっとKristenとは繋がり続けられると思う。

Semester1おわりに、他のクラスメイトも合わせて田舎に出かけた時のKristen
地理にも歴史にも詳しく常に旅先を探している人なので、出かける先のチョイスが完璧だ

話を自分の体調に戻して、自分の体調を中医学やアーユルヴェーダの視点、メンタル的な視点、いろんなところから見られるのは、これまでいろいろ触れて、学んできてよかったなぁと思う。私の症状は、こっちの病院の人に話しても、鎮痛剤飲んでとしか言われなかった(実際にお医者さんにかかれたわけではないけど、電話口で、薬局の窓口でそう言われた)。でも鎮痛剤は効かないし、根本解決にもならない。だからこそ、自分のどんな生活習慣、環境が原因なのかきちんと探って、それに対処しようとする東洋医学の考え方が、改めて素晴らしいと思った。私のこの分野のお師匠であるさよちゃんはずっと、日々の食事や習慣で大切な人の体調を整えられる「家庭のお医者さん」を増やしたいと言っていたけれど、ほんとうに必要だと今また腹落ちしている。


今回もまた支離滅裂なnoteだけれど、ここまで読んでくださって、ありがとうございます。こうして文章にし続けることが、自分の整理と思考の発酵に繋がっているから、読もうと読まれなかろうと(気にしてしまう、、)記録を大切にするぞ。

明日から、ついに授業ウィークがはじまる。コツコツ、自己破壊しながら、積み重ねてこう。

崩れたらまた重ねたらいい。


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